ベイビー•プロポーズ
不意打ちで腕を引っ張られたらしい。
バランスを崩した黎の腕を掴んだままのさやかちゃんが背伸びをして黎へと顔を寄せる。縮まった2人の距離がゼロになる。
その一連の動きがスローモーションのようにゆっくり視界に映し出された。
一体何が起きているんだろう。
目の前の光景から逃げたくて、受け入れたくなくて。考えることを放棄した私の頭は真っ白な靄で覆われた。
まるで全ての時が止まったように、私自身も1ミリも動くことができず固まったまま。それまで聞こえていた音も消え、サイレントな世界へ迷い込んでしまったよう。
一瞬の出来事のはずなのに、私の体感ではものすごく長い時間に感じた。
私の意識を呼び戻したのは、ちゅっと鳴ったリップ音。その可愛らしい音と共にさやかちゃんの顔が黎から遠ざかった。
「……さっいあく」
続いて耳に入ってきたのは、今までに聞いたことのないくらい低く、苛立ちを隠しきれていない黎の声だった。
未だこちらに背を向けた状態の黎の表情は分からないけど、右手で口元を拭っているようだった。
私の世界に徐々に音が戻ってきた。後夜祭が始まったのか、体育館からは盛り上がっている生徒の声や音楽が漏れ聞こえてくる。いつもより速いスピードで脈を打つ心臓の鼓動が全身に響いた。