ベイビー•プロポーズ
「悩んでるところわりぃんだけどさ、それを聞いても俺にはなんもアドバイスなんかできねーよ」
「すいません、こんなしょうもない話を聞かせちゃって……」
「いや、違う。偉そうなこと言えるほど恋愛経験ねーからまじで何も言えねえ」
「え……、恋愛経験が少ない?」
「今まで付き合ったのは1人だけ」
「ええ!1人?!てことは、沢城先輩が付き合ったのはあの美人な彼女さんだけってことですか?」
「ああ」
遠くを向いていた沢城先輩の視線が私の方へと向けられた。驚きから目を丸める私と数秒視線が交わると、沢城先輩はどこか気恥ずかしそうに三白眼を右下へと伏せた。
「自分なんかじゃ釣り合わないとか、自分よりいい相手がいるんじゃないかとか、自分と相手を比べて逃げたくなる伊藤の気持ちは分かる。それで自分が楽になるなら逃げてもいいと思う。ただ、俺みたいに後悔はしないように。俺から言えるのはそれしかねーな」
業務以外で、沢城先輩がこの文字数を口にするのは初めてのこと。
後悔はしないように。
沢城先輩の言葉がすうっと胸に溶けていく。
「じゃ、1本吸ってから戻るわ」
ふらふらと立ち上がった沢城先輩と目線が逆転した。私を見下ろす一切の光を遮断した瞳は相も変わらず死んでいる。
「沢城先輩は後悔、してるんですか…?」
「……ああ」
「先輩ってものすごく一途だったんですね」
私のこの言葉を聞いてすぐ、結んでいた口元を緩めふっと軽い笑いを零した沢城先輩。
「めちゃくちゃな」
8割、いや、9割の女子が恋に落ちてしまうであろう儚げで弱弱しい笑みを見せた沢城先輩は「じゃ」と重い足取りで喫煙ルームのある方へと背を向けた。
私、1割のほうでよかった……。
安堵の溜息を吐きながら、部長にもらった500円玉でアイスココアを買い、気合を入れ直して仕事へと戻った。