婚約破棄された悪役令嬢ですが、前世の記憶があるので王弟殿下と結ばれるバッドエンドはご褒美です


「カトリーン・アプリコット公爵令嬢! お前との婚約を破棄する!」


 オリバー王子の大きな声が舞踏会のホールに響いた。私の目の前に立つオリバー王子とその腕に抱きつく聖女エミリー様。さらに二人の背後にずらりと並ぶ令息たちを見て、このスチル見たことあるなと思った瞬間。


 ──前世の記憶が流れ込んできた……!

 
 前世の私は、日本という国に生まれ、大学卒業後にブラック会社に就職。そのまま社畜として働いて短い人生を終えた。 今の(わたくし)の名前はカトリーン・アプリコット公爵令嬢。十六歳。そして、悪役令嬢と呼ばれる存在。
 見覚えがあると思ったスチルは、社畜の息抜きでプレイした乙女ゲーム『(けもの)な貴方も愛してる♡』通称『獣愛(けもあい)♡』のもの。攻略対象者の好感度が上がると、獣化して獣の姿を愛でさせてくれる新感覚乙女ゲーム。

 でも、『獣愛(けもあい)♡』は、ネットのレビューに酷評に晒されていた。

 その理由は──攻略対象者にある。

 『獣愛♡』は、攻略対象者が獣になる。獣になるのは、魔力が多く、大きな力がある選ばれた者のみ。
 獣になるけど獣人ではない。もちろん獣人ではないのでケモ耳も尻尾もなし。獣といいながら獣人にならないなんて嘘でしょう? と膝から崩れ落ちたユーザー達でレビューは荒れに荒れた。

 目の前にいる婚約者、いや、婚約破棄を告げられたから()婚約者の銀髪碧眼のオリバー王子は、シベリアンハスキーに獣化する。繰り返しますが、獣人にはならないので、ケモ耳と尻尾はない。

「カトリーン、聞いているのか!?」

 名前を呼ばれてオリバー王子を見遣る。オリバー王子の好感度がマックスまで上がると獣化して、犬ぞりでオーロラの見える雪原に連れて行ってくれる。風邪をひいて看病されるところまでがワンセットのイベントが発生する。

「はあ……」
 
 思わずため息が出てしまう。シベリアンハスキーも犬ぞりもオーロラも悪いわけじゃないけれど、地球でも実現できる。他の攻略対象者のイベントも似たり寄ったり。どうしてそうなった?

 宰相の息子はキツネで、野うさぎを狩ってリアルファーの襟巻きを贈ってくれる。騎士団長の息子はゴリラで、二の腕にぶら下がらせてくれて、夕日に向かって走り出す。宮廷楽長の息子はカナリアで、肩に止まって美声を聞かせてくれる。魔術師団長の息子はヘビ。いやもう、ヘビだから獣ですらない。ニシキヘビになって首に巻きついてくれるホラーイベントが発生する。いや、本当、どうしてこうなった?

「おいっ、カトリーン、聞いているのか!?」
「オリバーさま〜、カトリーン様はショックすぎて言葉も出ないんじゃないですかあ?」

 イベントを思い出していたら、オリバー王子が顔を赤くして怒っているのをエミリー様が宥めていた。さすがヒロイン。エミリー様は、聖女の力が現れて猫に獣化できるようになり、男爵家の養女として迎えられた。私は獣化できないけど、貴族でも獣化できない人のほうが多い。

「カトリーン、お前が身分を笠に着て、聖女であるエミリーに嫌がらせをしていたことはわかっている! 公爵令嬢といえ、証拠が揃っているから言い逃れはできないぞ!」
「オリバーさま〜エミリーを守ってくださって嬉しいです……っ」

 改めてイチャつくオリバー王子とエミリー様、それからヒロイン(エミリー様)に攻略された攻略対象者を眺めた。攻略対象者すべて揃っていて、逆ハーレムエンドを達成している。あれ、ということは……?

「え……嘘でしょう?」

 どうしよう、あまり嬉しくて声が震えてしまった。

 このゲームは、攻略対象者たちが獣にしかなれない──でもなんでも例外はあるもので。『獣愛♡』にもただ一人、例外がいる。

 呪われたフランセン王弟殿下が狼獣人なのだ。『獣愛♡』の世界では、獣になれることはステータスだけど、獣人は忌み嫌われる存在として扱われている。それにより悪役令嬢に起こるバッドエンドの中で最も酷いバッドエンドとして、狼獣人の王弟殿下に嫁がされてしまう。
 王弟殿下のスチルが映ったのは、一瞬。美丈夫で煌めく青いケモ耳ともふもふの尻尾付き。どう考えてもご褒美すぎて、隠れルートに違いないと話題になった。

 でも、結局何度繰り返しても隠れルートはひらかず『獣愛♡』は、ネットのレビューで叩かれまくった。

「カトリーンが震えるほど反省しているとはな。お前が泣いて許しを請うなら──」
「いえ、反省なんてまっったくしていません!」
「──は?」

 いやいや、冗談ではない。国外追放も修道院送りなんて絶対嫌だ。虐めなんてした覚えもないから、たぶん知らぬ間にゲーム補正が起こり濡れ衣を着せられているのだろう。それはもうどうだっていい。オリバー王子はアホで全然好きじゃないし。

 神様ありがとう。社畜として人生を終えた私に、神様からのご褒美だろう。そうとしか考えられないよね?
 私はこれから隠れルート()に生きたいと思います。

「どうして私が反省をしなくてはならないのですか? 私はエミリー様を虐めてはいませんし、大体悪いのは婚約者のいる殿方に近づいたエミリー様ですよね──この泥棒猫!!」

 逆ハーレムエンドで悪役令嬢がヒロインに向かって「泥棒猫」というのが、王弟殿下に嫁ぐバッドエンドの合図だった。

「くっ! お、お前……っ! お前は叔父上に嫁げ!」
「かしこまりました!」
「エミリーに誠心誠意尽くして泣いて謝れば──はあ?」

 オリバー王子が渾身の困惑を叫ぶ。この世界の獣人嫌悪はとんでもなくて、乙女ゲームの悪役令嬢もショックのあまり気絶した間に王弟殿下の屋敷に運ばれたと画面に流れていた。
 でも、今の私は歓喜に胸を震えている。獣人大好き、もふもふ大好き、しかも狼なんて大好きと最高が大渋滞しすぎてて泣きそう。

「ですから、承知しましたと言いました。喜んで王弟殿下に嫁がせていただきます。今すぐに王弟殿下に、あなたの花嫁が向かうと知らせを出してくださいませ。直ぐに向かいたいので、馬車も用意してくださいね!」
「あ、ああ……」

 ひと息にオリバー王子に告げて満面の笑みをみせてると、オリバー王子が気迫に圧倒されてうなずく。

「では、私はこれで失礼します」

 私は王子妃教育で習った優雅なカーテシーをして辞去の挨拶をすると、用意してもらった馬車に乗り込んだ。


܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭*


 緑豊かな郊外にあるフランセン王弟殿下の屋敷にたどり着いた。

「アプリコット公爵家のカトリーンでございます」

 客間に現れた本物の狼獣人に胸がこれでもかとときめいて、ケモ耳と尻尾に目を奪われた。数十秒のスチルを見るために繰り返しプレイした『獣愛♡』の王弟殿下が目の前にいることに歓喜で身体が震える。
 見上げるくらいすらりと背が高く、逞しい美丈夫。清潔感のある短い青髪に、青に銀色が混ざったような耳が生えている。同色でもふもふな大きな尻尾がピンと伸びていて凛々しい。 

「王弟殿下、こちらにサインを」

 オリバー王子に命令され同行した司祭が婚姻誓約書を机に広げる。もちろん私のサインは既に記入済み。

「……わかった」

 眉を寄せながら発した低くて心地よい声に心臓が跳ねる。初めて聞く声は、想像していたよりもずっと男らしくて格好いい。ペンを走らせサインをする様子を食い入るように見守る。

「フランセン・マクリン殿下とカトリーン・アプリコット公爵令嬢の婚姻がここに結ばれました」
 
 立会った司祭から婚姻成立を告げられ、私と王弟殿下は夫婦になった。結婚式に憧れがなかったと言えば嘘になるけれど、それでも私はカトリーン・マクリンになれたことが嬉しくてたまらない。どうしよう、感激しすぎて涙で瞳がにじむ。
 司祭が乗ってきた馬車で帰るのを確認した王弟殿下は、私と対面する。はあ、めちゃくちゃ格好いいイケメンと見つめあうなんてハードルが高すぎて、火照った顔を隠すようにうつむいた。

「……カトリーン嬢、あなたにとって不本意な結婚だろう。この結婚は『白い結婚』、あくまで形式的な結婚だ」
「え?」

 王弟殿下ともふもふ溺愛ライフを夢見ていた私は王弟殿下の言葉を受けて、ショックで固まった。

「俺は、このように呪われている身。社交をする必要もないし、別邸で過ごせば俺と会うこともないだろう。屋敷の中は自由に過ごしてくれて構わない。必要なものがあれば家令に言ってくれ──俺はこれで失礼する」

 振り返ることなく王弟殿下が部屋を出て行く。白い結婚なんて望んでいないのに、今度は悲しくて涙が頬を伝う……なんてありえない。
 一度拒否されたくらいで諦めるなんて絶対無理でしょう。前世で何回王弟殿下の隠しルートを探して周回したと思っているんですか? 同じ世界にいて、仮にも夫婦になったのに諦めるなんてありえない。全力でもふもふ溺愛ルートを目指しますので、覚悟してください!

「奥様、美しいです……!」
「ありがとう、頑張ってくるわね」
「はい! 応援しております」
 
 欲しいものは家令に、屋敷は自由に、の言葉通り清楚だけど扇情的なネグリジェを用意してもらい侍女たちに着せてもらう。繊細なレースの裾をひらひらと揺らしながら、王弟殿下のいる寝室へ音を立てないよう慎重に入る。
 暗さに目が慣らしてから規則的に上下するベッドに近づいて、王弟殿下に素早く馬乗りになった。

「っ! なっ、えっ? な、なんで貴方がここに……?」
「夫婦になったので初夜を行いにきました。はしたない女はお嫌いですか……?」
「は? いや、夢か? ああ、これは都合のいい夢だな。俺となんてありえない」

 寝込みを襲われて、尻尾がぼわりと膨らんでいる。家令に相談したら、リラックスできるお香を焚いて、軽めの睡眠薬入りのお茶を飲ませて協力してくれた。侍女達も全身をぴかぴかに磨いて応援してくれている。
 王弟殿下の屋敷で働く人たちから王弟殿下を絶対幸せにしてください、と頼まれたくらい王弟殿下は慕われている。私も前世からずっと好きです。

「夢じゃないです。現実です……ね?」
「なっ……?」

 前髪を下ろすと幼く見える王弟殿下の頬に手のひらをつける。夜這いなんて人生はじめてどころか、まともに恋人がいたことがない。大胆なことをしてるけれど、頭が沸騰しそうなくらい恥ずかしくて、緊張しすぎて指先が冷たくなっている。殿下の顔は赤らんでいて触れると熱いくらい。

「ふふっ、殿下はあたたかいですね」

 私の言葉に青いケモ耳がピンと立っているのが愛おしくてたまらない。

「お耳を触っても怒りませんか?」
「……は?」
「一目惚れなんです……駄目ですか?」
「呪われた耳だ。無理することはない──白い結婚で三年過ごせば貴方を自由の身にしてやれる。先程、涙を浮かべて嫌がっていたのは分かっているから……」

 自嘲気味に話す、すべてを諦めているまなざしに胸が締め付けられた。

「本当に一目惚れなんです! 婚姻のときに涙が出たのは憧れの殿下と結婚できたからです。震えていたのも嬉しくて仕方なかったからなのに……っ。かわいい耳ともふもふな尻尾は、私の理想そのものなんです」
「呪われた耳と尻尾が理想だと……?」

 青いもふもふな耳にそっと指を伸ばす。私の気持ちが伝わればいいと思いながら、やさしく撫でるのを繰り返す。ピンと張りつめていた耳が気持ちよさそうに緩んでいくのが嬉しくて。

「私、殿下と結婚できて幸せです」

 耳に唇をよせて、そっとささやいた。

「……信じていいのか?」

 不安と期待の混じりあう青い瞳に見つめられる。下から見上げられる格好なので、必然的に上目遣いになった。はうう……っ! ちょっと、王弟殿下は自分の顔面偏差値を考えてほしい。格好良すぎるイケメンの上目遣いなんて破壊力が半端なくて茹だりそう。
 でも、ここで瞳を逸らしたらまた誤解されてしまうから見つめ返していると、痛いくらい頬に熱が集まっていく。もう、その顔はイケメン罪です。

「好きなのに、白い結婚なんていやです。身も心もあなたの妻にしてください」
「……狼の愛情は一途で重たいけど」
「それ、私にとってはご褒美です」

 まっすぐに見つめて気持ちを伝えると、王弟殿下がふっと笑う。私を見つめる瞳にゆらりと熱が見えれば、鼓動が高まるのが止まらない。

「言質は取ったから。カトリーン、覚悟して」

 新婚初夜、狼になった王弟殿下に私はぺろりと食べられた。


܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭*


 初夜から三日。ようやくベッドから起き上がることができるようになり、篭っていた寝室から出てきた。
 気持ちのいい木漏れ日を感じる屋敷のテラスにお茶の用意が整えられている。視界に広がる青空と木々の緑の心地よさにたまらず深呼吸をしてしまう。

「カトリーンはここ」
「っ!」

 優しく腰を引き寄せられ、王弟殿下の膝の上で横座りにされてしまう。すぐに口元に芳ばしい匂いのクッキーを持ってきた。
 長すぎる初夜が終わり、侍女に代わって私の面倒を甲斐甲斐しくお世話をされて以来、王弟殿下の手ずから食べさせてもらうことが増えている。恥ずかしいけど、嬉しくて、でもやっぱり慣れなくて顔が痛いくらい熱くなってしまう。

「そんな可愛い反応されると、またカトリーンが食べたくなる」
「ひ、ひゃあ!」

 びっくりして王弟殿下を窺うと、くすくす笑っている。揶揄われたのがわかって、お返しに口元に運ばれたクッキーをぱくりと食べてからペロリと王弟殿下の指をなめた。

「ああ、もう。煽ったカトリーンが悪いから」

 王弟殿下の指が私の唇をゆっくりなぞり、熱を帯びた青い瞳と視線が絡む。色気たっぷりに耳朶にささやかれれば、甘い時間を思い出して鼓動が速くなっていく。



「カトリーンおねえさま──!」

 不意に上空から声がして見上げると弟のバードがハヤブサになって急降下している。

「フランセン様、弟のバードが来たみたいです。どうしたのかしら?」
「カトリーンを連れ戻しに来たんじゃないかな?」
「まさか! フランセン様と離れるなんて絶対ありえません」
「ああ、もう。なんなの可愛すぎるんだけど……」

 地球でも最速のハヤブサはあっという間に地上に下りてくると、人間の姿に戻った。獣化を解くと黒髪に金色の瞳のバードは五歳。十二歳も年の離れた弟は可愛くて目に入れても痛くない。

「カトリーンおねえさま! 無事ですか?」
「バードこそ護衛も付けずに飛んできたの? ちゃんと行き先と帰る時間は伝えてある? お父様との視察から帰ってきたの? 諸外国はどうだった?」
「えっと、みんなは飛ぶのがおそいから、きっとあとから来るはず……それに行き先はわかっています……っ、いえ、そうではなくて、お姉さまが呪われた王弟殿下に嫁がされたと聞いて、助けに来ました!」
「え? 助ける……?」

 バードの言葉に目をぱちぱち瞬かせる。思わず王弟殿下に視線を向けると、大丈夫だというように優しく微笑まれた。

「お姉さま、帰りましょう!」

 たたっと駆け寄ってきて、私の腕をつかむ。予想外に力強くてバランスが崩れそうになったけれど、王弟殿下の腰を支える手に引き寄せられた。離さないと言われているみたいな仕草に、ときめきが胸に降りつもる。

「お姉さまから手をはなせっ!」

 バードの声に視線を戻す。涙目で王弟殿下に立ち向かうバードがいじらしくてかわいい。うちの弟、可愛すぎる。でも、ちゃんと間違っていることを教えるのも姉の役目だよね?

「あのね、バード。お姉さまはフランセン様に一目惚れして望んで結婚したのよ。だから、幸せなの。アプリコット公爵家には帰らないわ」
「お姉さま……っ?! ま、まさか、センノウまでされてるのですか?」

 王弟殿下をキツく睨むバードに慌ててクビを振る。不敬だからやめなさいと気持ちを込めて、バードを見つめると口をとじた。

「バード、よく見て。呪われたと言うけれど、フランセン様に生えているのは、三角のお耳ともふもふの尻尾なのよ! すっっごくかわいいと思わない?」

 ドヤ顔で言い放つと、バードが固まった。もしかして、もふもふの素晴らしさに目覚めたかも? はっ、これは、もふもふの素晴らしさをバードにアピールするチャンス……! 私の頬をくすぐる尻尾に抱きつく。

「この尻尾、艶々でもふもふで素敵なの。すごくいい匂いもするし、嬉しいときに揺れるのも愛らしくて大好き……っ」

 もふんと顔を尻尾に埋める。お日様の匂いを吸い込んで頬ずりした。

「はあ、もふもふ天国……っ」
「んぐっ、カトリーン。嬉しいんだけど、それ色々ヤバいから二人きりのときにして。それに弟くんの魂が召されそうになってるよ」
「え?」

 口をあんぐりあけたバードと見合う。確かに魂が飛び出して行きそうな様子に慌てて駆け寄って抱きしめる。もふもふ初心者に刺激が強すぎたかもしれない。何事も順序が大切だったのに!

「バード、死なないで!」
「ぐすっ、おねえさまは、ぼくのふわふわな羽をなでるのが好きだって……ぐすん」
「バードのふわふわの羽を撫でるのも好きよ」
「それなら、なんでなの……?」
「バード、耳と尻尾の生えた獣人は、ロマンなの! ファンタジーなの! あのね、もふもふの夢と憧れをぎゅうぎゅうに詰め込んだのが獣人よ……っ!」

 握りこぶしを作って力説する。もふもふ成分は動物で摂取できるけど、獣人の耳と尻尾からしか摂取できないもふもふ成分があるのだ。もう、これは一晩では語りきれない。バードがもふもふ上級者になったら語りたいけれど。

「…………おねえさまは、しあわせなんですね?」
「ええ! 神様に誓って幸せよ」

 確かめるように金色の瞳に見つめられて、大きくうなずいた。

「ぼくは、おねえさまがしあわせならいいです。でも、もし、殿下がおねえさまを泣かせたら、絶対にゆるさない!」
「バード……っ」
「俺のすべてにかけて幸せにすると誓おう、バード殿」

 姉想いのバードに感激して、王弟殿下の誓いに胸を撃ち抜かれる。はうう、幸せすぎてどうしよう……!

「おねえさま、いつでもわが家に帰ってきていいですからね、というか本当にすぐにでも帰ってきてください」
「ふふっ、バードありがとう」

 ハヤブサに獣化したバードの脚に手紙をくくりつける。あとお父様が婚約破棄について王家とうまくやってくれるだろう。たぶん。

「おねえさまーまたあそびにきます!」
「うん、いつでもきてね」

 あっという間に飛び去るバードを見送った。

「バード殿に誓った通り、カトリーンのことをもっと大切にしなくてはな」
「っ!」

 するりと頬を撫でられ見つめ合った青い瞳は、ゆらりと熱が浮かんでいて。まぶたをとじれば、優しく触れるだけのキスはすぐに深くなり、またしばらく寝室に篭ることになった。


܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭*



 結婚して半年が過ぎた。あれから弟のバードが頻繁に遊びにきては、王都のことを色々話してくれる。今日は王家の出来事を話してくれたのだけど。
 王弟殿下の逞しい胸に頭をぽすりと預けると、思わず小さなため息がこぼれた。

「カトリーン、どうした?」
「えっ? な、なんでもないです」

 オリバー様とエミリー様は婚約したけれど、妃教育が進まず癇癪をおこし、オリバー様も仕事をしないと評判が悪い。でも、まさか王弟殿下に嫁いだ私を側室に、という声が上がるなんて想像もしていなくて。お父様が一蹴してくれたと聞いたけれど、胸がもやもやする。

「俺に言えないこと?」
「えっ?」

 王弟殿下の膝の上にいたはずなのに、気付いたらソファーに押し倒されていた。あまりの早業に目をぱちぱち瞬かせる。

「カトリーンのことは、なんでも知りたいな」
「でも、きっと嫌な気持ちになります……」
「それなら、なおさら知りたいんだけど」

 三角の耳を悲しそうにぺたんと下げて、眉を下げて困ったように見つめられる。イケメンの困り顔だけでも破壊力がすごいのに、耳ぺたんは反則だと思う。しょんぼりした耳を見てると罪悪感が泉のように湧き出てくる。耳ぺたんはずるい。

「泣きそうな顔してる。カトリーンの辛いことを半分、俺に分けてほしい──それも駄目かな?」
「うっ、駄目じゃないです。フランセン様、ありがとうございます……っ」

 バードから聞いたことを王弟殿下に伝え終わると、大きな手で髪をやさしく撫でられる。

「教えてくれてありがとう。俺は、カトリーンのことはなんでも知りたいから、これからも嬉しいことでも、悲しいことでも話してほしい」

 真摯なまなざしに胸がときめいて、気持ちのままに頬にキスを贈る。ほんのりと王弟殿下の顔が赤くなったのが愛しくて、ぎゅう、と抱きついた。毎日どんどん好きの気持ちが膨らんでいる。いつか好きの気持ちが膨らみすぎて、爆発したらどうしよう?

「ああ、もう。可愛すぎて、どうしようかな」
「……フラン、好きです」
「!」

 王弟殿下の喉がゴクリと鳴るのと、私の両腕が王弟殿下の首に回るのは同時だったと思う。とんでもなく甘い夜は、空が白むまで続いた。


 それからすぐにオリバー王子とエミリー様から手紙が届いた。長ったらしい貴族表現で書かれていたけれど、要約すると──大聖堂で挙式をして呪いが解ければ私たちが真実の愛で結ばれていると認めてやる。呪いが解けない場合はオリバー王子の側室に娶ってやるぞと書かれていた。
 どこから突っ込めばいいのかわからない内容に頭が痛くなる。どうやって断ろうかと考えていると、王弟殿下の深いため息が頭上から響いた。

「はああ、すまない」
「え?」

 王弟殿下の尻尾が悲しそうに、だらんと垂れ下がっていて目を見開いた。

「結婚式を挙げていなかったことをすっかり忘れていた」
「ええ? あの、もしかして、それで尻尾が……?」 
「尻尾?」

 しょんぼりした王弟殿下が自身の垂れ下がる尻尾を見て、力無くうなずく。うう、なにこれ尻尾が素直で、いじらしくて尊すぎる。落ち込む尻尾が可愛くて、気づけばもふもふな尻尾を撫でていた。元気になってほしい。

「カトリーン」
「っ!」

 撫でていた手を王弟殿下に掴まれ、尻尾ごと抱き寄せられる。もふもふ、ぎゅう……これは、もふぎゅ!

「カトリーン、今からでも結婚式を挙げよう! カトリーンのために最高のウェディングドレスを仕立てるから」
「で、でも! 呪いが解けなければ側室にさせるって書いてあります……」
あいつ(オリバー王子)に権限はないよ」
「それはそうですけど……」

 おずおずと窺うと、目を輝かせて見つめ返されてしまう。

「カトリーンのウェディングドレス姿が見たい! それとも呪われてる俺と挙式するのは嫌かな?」
「ま、まさか! フランセン様のタキシード姿は見てみたいですし。大聖堂の挙式も憧れてはいましたけど……」
「けど?」

 王弟殿下は柔らかく微笑み、首を傾げて続きを促す。ケモ耳がこてんと揺れるあざとい仕草がずるい。あざとずるいです!

「オリバー様とエミリー様は、仕事も妃教育も投げ出して色恋に耽っていると聞いています。真実の愛で解ける呪いなら、その、もうとっくに解けているはずですから……。挙式をして変な言いがかりをつけられたくはないです……っ! 私、フランセン様と別れるなんて絶対に嫌です。別れさせられたら生きていけない……っ!」
 
 最初はケモ耳ともふもふ尻尾からはじまった憧れだったけど、今は王弟殿下が獣人でも獣人じゃなくても丸ごと全てを愛している。王弟殿下以外の人に嫁げと言われるくらいなら死んだほうがいいと思ってしまうくらいに。

「ああ、もう! カトリーン……かわいすぎるから!」

 あっという間に大きな手が耳たぶから後頭部に滑り込み、食べられるみたいにキスされる。元気になった尻尾がぶんぶん揺れる音がして。
 舌のむつみ合う水音と、こぼれる甘い吐息に二人で一緒に溶けていった。



 王弟殿下には気にするなと言われていても、絶対に別れたくなくて呪いを解く方法を探しまわった。聖水やポーション、依代になる藁人形を取り寄せては王弟殿下に試してもらっている。

「フランセン様、呪いに効くという魔法陣を見つけました!」
「カトリーン、ありがとう」

 きっと今までも、ありとあらゆる呪いを解く方法を試してきたはずなのに、私の不安な気持ちを汲んで付き合ってくれる王弟殿下は優しい。
 
『我はねがう 光よつどえ 呪われしものへ 
 我はいのる 陰よされよ 呪われしものから
 我はもとめる 呪われしもの 解き放て』

 魔法陣が淡く光りはじめ、中央に立つ王弟殿下を包み込む。キラキラと光の粒子が舞い上がり、消えていく。

「うう、これも駄目ですね……」

 光の消えた後に立っていた王弟殿下のケモ耳と尻尾はそのまま残っていた。しょんぼりして肩を落とすと、王弟殿下に頭をぽんぽんと撫でられる。
 
「俺は、カトリーンの気持ちが嬉しい」
「フランセン様……好きです。離れたくないです……っ」
「ああ、俺も好きだ。絶対に離さないから」
「はい……っ、絶対に離さないでください」

 見上げた私の頬を撫でる大きな手。ゆっくり近づいてくる王弟殿下の顔に、瞳をとじれば唇が重なった。熱く繰り返されるキスと甘い愛の囁き。
 私の不安な気持ちを忘れさせるように、どうしようもなく甘やかされて、ぐずぐずに溶かされていった。


܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭*



 『獣愛♡』のスチルで何度も見てきた大聖堂。絢爛豪華で、ステンドグラスから差しこむ光がとても美しい。お父様と腕を組み、繊細な刺繍が施された長いトレーンを引いてバージンロードを進む。
 大勢の招待客はオリバー王子とエミリー様が呼んだのだろうけど。バージンロードの先にいる最愛の王弟殿下しか見ていないので、どんな蔑むような視線も気にならない。

「カトリーン、すごく綺麗だ……」

 白いタキシードを着たフランセン様の尻尾が、はち切れんばかりに左右に動く。格好いいのに可愛いの共演に思わず頬がゆるんで笑ってしまう。
 お父様から王弟殿下に託されて、私は王弟殿下の隣に立つと誓いの言葉が始まった。

「夫フランセンはカトリーンを妻とし、妻カトリーンはフランセンを夫とし、互いに唯一と認め、愛することを誓いますか」
「「はい、誓います」」

 大司教からの問いかけに、ふたりの愛を誓う。このまま終われればいいのに……。

「誓いのキスを」

 キスで呪いが解けるのならば、数えきれないキスでとっくに解けている。誓いのキスをして呪いが解けなかったら、真実の愛じゃないなんてそんな馬鹿げた話なんてない。私は王弟殿下を愛しているのに……。

「カトリーン、俺のことだけ見て?」

 やわらかに微笑む王弟殿下が私に一歩近づいてベールをあげる。甘く見つめる青い瞳は私への想いがあふれていて、呪いや不安が嘘のように消えていく。ただただ、目の前にいる王弟殿下が好きで、愛おしくて、キスをねだるようにまぶたをそっと閉じる。

「愛してる」

 誓いのキスをした途端、大聖堂からキラキラした光が降り注ぎはじめて──



「え? フラン……っ! 呪いが消えてる……っ」

 目の前の王弟殿下の耳と尻尾が消え去っていた。あまりに驚いて目を見開く。

「カトリーン……、尻尾と耳のない俺は嫌いだろうか?」

 きゅうん、と鳴き声が聞こえそうなあざとい上目遣いで見つめられる。私がこの顔に弱いことをわかっていてやっていて、本当にずるい。


「もう……っ! 愛しているに決まってますっ!」

 背の高い王弟殿下に背伸びして、首に腕を回すと、もう一度最愛の夫にキスを贈った。


 それから大聖堂は騒然となり、王城に移動して呪いの鑑定を行い、王弟殿下の呪いが解けたことを証明。
 呪いが解けるまでの経緯に、国王陛下もオリバー王子に王としての資質がないことを認めざるを得なかった。他にも様々な問題が見つかり王位継承権は剥奪。それでも国王陛下の温情で僻地にある領地と一代限りの爵位を与えられ、王子もエミリー様も僻地へ送られた。国王陛下も近いうちに玉座を譲り、王子の元へ向かう予定になっている。

 オリバー王子の王位継承権が剥奪されたことにより、王弟殿下の王位継承権が上がり、王太子に任命。アプリコット公爵家も全面的な支持を表明したことで議会はあっさり通ったと聞いている。


 めまぐるしい日々がようやく落ち着き、王城に住むことにも慣れてきた夜。狼獣人ではなくなったけど、狼な王弟殿下に今日も今日とて甘く食べられて。腕まくらされながらずっと不思議に思っていたことを口にする。

「どうしてキスで呪いが解けたのでしょう……? 呪いを解く鍵は大聖堂だったとか?」
「あー、うん……どうかな?」

 分かりやすく肩が跳ねた王弟殿下をじとりとにらむ。絶対なにか知っている。

「……カトリーン、怒らない? その、呪いはなかったんだ」
「え? 呪いがなかった……? えっ、でも?」
「初夜でカトリーンと結ばれてキスしたときに呪いは解けたんだ。その、カトリーンは、気をやってて気付いてなかったと思うけど……」
「なっ! ええっ、えっ? それじゃあ今までどうしてケモ耳と尻尾があったんですか?!」

 押し倒したはずの初夜は、あっさり形勢逆転してそこからはめくるめく甘すぎる夜だったから記憶があやふやで。とんでもなく甘かった夜を思い出して顔に熱を持つ。まさか初夜に呪いが解けているなんて予想もしていなかった。

「カトリーンはケモ耳と尻尾のある俺が好きなんだと思ってたから、魔力で生やしていたんだ。長年、身体の一部だったから魔力の流れを辿れば再現するのは簡単だったよ」
「……! それって、つまり……?」
「うん、生やせる」

 キラキラと光が見えはじめて、見慣れた青く銀色に煌めくケモ耳ともふもふ尻尾が生えて、目をぱちぱち瞬かせるしかできない。

「獣人姿も悪くないかなと思いはじめてたら、カトリーンが俺と離れたくないって、呪いを解く方法を探し始めるなんて思っていなくて。もう、本当にいじらしくて可愛くて嬉しくて、でも今さら解けてたって言い出せなくて……オリバーには悪いけど利用させてもらったってわけ」

 ニヤリと笑い顔をする王弟殿下も格好よくて、でも、やっぱりケモ耳に視線が向かってしまう。
 
「ああ、もう、やっぱりカトリーンはケモ耳と尻尾に夢中だね」
「っ! えっ、いえ、その。どんなフランも好きですよ?」
「狼の俺も?」
「へ? あの、それって……?」
「呪いが解けたからね、狼の獣化もできるよ」
「なっ、なんで、教えてくれなかったんですか?!?!」

 あまりにびっくりして腕まくらから飛び起きる。初夜のときみたいに王弟殿下に馬乗りになった。どういうこと?

「いや、カトリーンは獣人が好きなのかなって」
「もう、何言ってるんですか? 獣人は好きですけど、狼も大好きです! 人、狼獣人、狼になれちゃうってどれだけフランは私のご褒美なんですか……っ!!」
「ああ、もう! 興奮してるカトリーン可愛すぎるから。俺、カトリーンに嫌われたらってこれでも悩んだんだけど……」

 苦笑いを浮かべた王弟殿下の全身が煌めくと、青みがかった銀色の大きな狼に変わった。

「フラン、どんなあなたも愛しています」

 ご褒美のような魅力的なもふもふにダイブしてキスを贈る。それから獣人に戻った王弟殿下と、まんまるな満月に見守られとびきり甘い夜にふたりで溶けていった──…




 おしまい
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