愛すべきマリア

 コホンとひとつ咳払いをしたアレンがお道化た調子で言う。

「ねえマリアちゃん。トーマスは君のお兄ちゃんなんだよ?」

 マリアが真面目な顔で頬を膨らませた。

「違うよ! お兄ちゃまはもっと小さいもん」

「あれ? もしかして……マリアちゃんは成長の祝福を知らないの? 人はね、三歳から七歳までの間で、たった一日で大人になるんだよ。まあ体だけだけどね。早い人だと三歳かな、遅くても七歳までには来るんだ。マリアちゃんのお兄ちゃんは何歳?」

「七歳」

「そうかぁ……じゃあ成長が遅いタイプの人だったんだね。でもやっとトーマスお兄ちゃんにもその日が来たんだよ。丁度マリアちゃんが眠っていた時だから、気づかなかったのかもね。トーマスの体は大人になったんだ。まあ中身はまだまだガキだけど」

 トーマスが口をパクパクさせながらアレンを見た。
 まるっと無視して続けるアレン。

「僕は早い方だったからずっと前に終わってる。アラバスもそうだ。だからわかるのだけれど、マリアちゃんも早いタイプじゃないかなぁ」

「そうなの?」

「うん、お兄ちゃんの顔は覚えてる?」

「勿論よ。大好きなお兄ちゃまだもん」

 マリアの言葉にデレるトーマス。

「大きくなっちゃったトーマスはお兄ちゃんの顔じゃない?」

「よく似てる……本当にお兄ちゃまなの? マリアが知らないうちに大きくなっちゃったの? だからおててもからだも大きくて、ほっぺがじょりじょりするの?」

 マリアが振り返ってメイド達を見た。
 全員が示し合わせたように頷いている。

「メリイもエミリも? みんなは何歳だったの?」

 メリイがコホンと小さく咳をして声を出した。

「私は五歳でございます」
 
 続けてエミリが口を開く。

「私は六歳でした」

 マリアが不思議そうな顔で侍女長を見た。

「じょじょちょは?」

「私は遅くて七歳でしたわ。お兄様と同じですわね」

「ふぅん……不思議ね。いきなり大きくなるなんて」

 素直にアレンの言葉を咀嚼している。

「アエンは?」

「僕は三歳だった」

「アシュは?」

「……忘れたが、同じ頃だろう」

「ふぅん……」

 納得したのかしていないのか、トーマスに縋りつくようにして顔を覗き込むマリア。
 そんな妹の手を引いてソファーに座り、その手を自分の頬に当てた。
 何の躊躇もなくトマスの膝に座るマリア。

「おい! お前たちはいつもそうやって座っているのか?」

 アラバスの声に、ニヤッと笑ったトーマスが答える。

「僕が望んでいるわけじゃないんだけれど、なぜかマリアがそうするんだよ」

「兄妹と言えど、マリアには婚約者がいるんだぞ? 控えるべきだろう!」

 我慢しきれなかったアレンが噴き出した。

「こんにゃくにゃ?」

 アラバスが前のめりで言葉を吐く。

「違う! 婚約者だ。そしてマリアの婚約者は俺だ。俺以外には、そのようなことをしてはダメなんだ」

「ダメなの?」

「そうだ、ダメだ」

 そう言うとアラバスはトーマスの向かい側にどっかりと座った。

「だからこちらに来なさい」

 マリアが不思議そうな顔でアラバスを見た。

「膝に座っていいのは婚約者だと相場が決まっている。トーマスに婚約者ができたら、その女性がそこに座るんだ。だからマリアはもう座ってはいけない」

 マリアは使用人たちに助けを求めたが、全員が打ち合わせたように視線をずらした。

「そうなの? アエン」

「まあ……そうかも? トーマスにはまだ婚約者がいないから、許してくれているだけかな? いずれトーマスもお嫁さんを迎えるだろ? そうなったらマリアちゃんはダメだね」

 マリアが『お嫁さん』という言葉に反応を示した。

「お嫁しゃん! マリア知ってるよ。真っ白なドレスでキラキラしてるんでしょ?」

「真っ白? ああ、ウェディングドレスのことか。そうだよ。女の子が一生で一番輝く日だ」

「マリアも! マリアもお嫁しゃんやる!」

 トーマスが慌てて何かを言おうとするのをアレンが止めた。
 アラバスが前のめりになってマリアに言う。

「そうか! マリアはお嫁さんになりたいのか」

「うん! 真っ白でキラキラになる!」

「よし分かった! すぐに準備を進めよう」

「おい! ちょっと待て!」

 トーマスが慌てて立ち上がろうとするが、マリアが乗っているのでどうしようもない。
 アレンが宥めるように言った。

「そうだね、マリアちゃんもいつかはお嫁さんになるんだ。楽しみかい?」

「うん! 早くなりたい」

「じゃあお嫁さんになるためのお勉強を始めないとね」

「お勉強? なあに? それ」

「マリアちゃんの体はもうすぐ大人になるでしょ? でもね、中身が追い付いてないとお嫁さんにはなれないんだ。だからお勉強」

「トマシュもアエンもアシュも?」

 アレンが急に神妙な顔になる。

「ああ、僕たちにとっては、日々のすべてが勉強だと言える……

 後ろで侍女長がプッと吹き出した音がした。
 それをチラッと見たアレンが続ける。

「そう言えばマリア、今日一緒に遊んだきれいなおばちゃんとはどんなお話をしたの?」

 マリアが人差し指を顎に当てて考えている。

「何でもマリアの好きにして良いって。ずっと子供でいて良いって言ったよ」

「あのばばあ……」

 そう呟いたのはアラバスだった。
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