愛すべきマリア
「ああ、帰ったのか。今日は早いな」
アラバスが書類から目を離した。
「本当なら今年はイベント以外は登校しない予定だったのに、あの狸娘のために毎日行ってるんだもん。用事が無ければ帰るさ。狸が来ないなら猟師はいらないだろ?」
「なんだ、あの狸娘は休んだのか?」
「うん。それにちょっと耳に入れておいた方がいいかもって思った話もあってね」
アレンとトーマスが顔を上げた。
四人はソファーに座り、文官たちには休憩を与えた。
カーチスが静かに話し始める。
「最終学年になってマリア嬢がまったく登校してないだろ? まあ例の事故の件は知れ渡っているから、そのせいだと思っているみたいだけれど。どうやら死にかけているとか、顔にものすごい傷が残ったとか、そういう噂になっているんだ」
「まあ想定内といえばそうだな」
アラバスが頷く。
「そうだよね。それが続きがあってね、次の第一王子妃はレイラ・クランプ公爵令嬢で決まりだという奴らと、ラランジェ・シラーズ第二王女になったという奴らに分かれている」
「なぜその二人に固定なんだ?」
「セルフアピールが凄いってこともあるけれど、まあ身分順みたいなもんじゃない? 侯爵家や伯爵家の令嬢たちも色めき立ってはいるけれど、表立った動きは無いよ」
アラバスが深いため息を吐く。
「前門の虎、後門の狼というなら俺も本気で討伐もするが、狐と狸じゃなぁ……」
アレンがプッと吹き出した。
カーチスもつられて笑いながら言う。
「それで? 兄上の大事なうさちゃんは? 母上がノリノリでウェディングドレスを選んでたけれど、本当に結婚する気?」
「勿論だ」
カーチスが真顔になる。
「僕は兄上の手足としてこの国を支える覚悟はできているけれど、あのかわいいうさちゃんを巻き込むのはどうかと思う。狐や狸が嫌だというなら、そこら辺のロバかカバを飼い殺しにした方が良くない? 大喜びで生贄になりそうな令嬢なんて掃いて捨てるほどいるでしょ」
「王宮は動物園じゃないんだ。狐や狸やロバやカバが何を食うのか知らんし興味もない。その点、兎なら人参を与えて俺の膝に乗せておけばいいだろう?」
まだ膝に座らせることに拘っていたんだと思ったが、トーマスもアレンも黙っていた。
「僕の尊敬する兄上がロリコンだったなんて……」
「俺はロリコンなんかじゃないぞ!」
「だって結婚するってことは、あんなことやこんなこともするんでしょ?」
「お……お前……トーマスの前でそんなことを言うな!」
アラバスがチラッとトーマスを見た。
「今更お気遣いなく」
トーマスが不貞腐れたような声を出した。
「いや……マリアとは婚姻を結ぶが、あんなことやこんなことは……マリアの心が年齢に追いついてからだ」
アレンが涙目になりながら会話に割り込む。
「やっぱりするんじゃないか」
カーチスが不貞腐れたようにそっぽを向いた。
「そんな話をしてるんじゃないだろ?」
笑いを堪えながらアレンが止めた。
「ああ、そうだ。ごめんごめん、兄上を揶揄うチャンスなんてほとんどないから楽しくなっちゃった。ごめんねトーマス。話を戻すね。どうやらラランジェの侍女が一人消えたらしい。その侍女というのは学園にも同行していたのだけれど、この一週間ほど来てないんだ」
「侍女が? 単に機嫌を損ねたってことじゃないのか?」
「そうかもしれないけれど、僕は王女の後ろにいるその侍女が、変わったことに気づかなかった。それほど気配を消すのがうまい女だということだよね。よほどの訓練を受けているとしか思えない」
「気配を消す? 存在は認識できるのに、個人が特定できないということか?」
アラバスの声にアレンが反応した。
「あの時の女もそんな感じだったよ。うん、そうだ。気配がしないんだ。居るのにまるで存在感がないって言うか……」
トーマスがバッと顔を上げた。
「消えた侍女があの時の令嬢だと言うのか?」
「いや、同じ感じだと思っただけだが、もしかしたらそうかもしれない。これだけ探して見つからないなんて気色悪いよ」
四人が黙り込む。
沈黙を破ったのはアラバスだった。
「それほど記憶に残らない女なら、なぜお前は気づいたんだ?」
「いや、気づいたのは僕じゃない。狸娘と同じクラスの令嬢だよ。生徒会に入っている子なんだけれど、放課後メンバーで学園祭後の舞踏会の話をしている時に、そう言えば王女殿下のお付きの方って変わられたのですねって言ったんだ」
「なぜ気づいたと?」
「消えた侍女っていうのが、記憶に残るほど足が大きかったんだってさ。男の僕たちじゃ絶対に気づけないよ。女性の足をまじまじと見るなんて不躾だし、侍女のお仕着せなんて踝も見えないだろ?」
「まあそうだな。でもそうなら女性でも気づかないだろ?」
「狸娘の侍女は、授業中は教室の外で待機してるんだ。それで、ずっと立っているのもきついだろうと思って、使っていない椅子を廊下に出してやったんだってさ。とても喜んで座っていたらしい。座ると見えるんだよ、足首から下が全部」
「なるほどな」
「まあ、授業が終わる前にはもう立ち上がっているから、他の生徒は気づいていないだろうし、もしかしたら王女も知らないかもね。彼女は生徒会の準備で授業を途中抜けしたときに、偶然気付いたって言ってたよ」
「偶然かぁ。一目で印象に残るほどの大きさってことだな」
「うん、顔とか髪型とか思い出せないんだけれどね。訓練で気配を消せるほどの技を身につけたのに、まさかそこで特定されるとは思わなかったのだろう」
「今度の侍女の足は普通サイズってことだな」
「そうだね、そう言ってた」
「何処に行ったのだろう。出国するなら連絡が来ているはずだ」
アレンがすぐに立ち上がり、廊下で休んでいた文官にシラーズ王国へ出国した者のリストを持ってくるように命じた。
「それと、西の森でボヤ騒ぎがあっただろ? 被害者も出たし、放火だという噂もある」
トーマスが口を開いた。
「あの被害者がその侍女だと?」
「調べてみる必要はあるかもね」
アラバスが苦虫を嚙んだような顔で言う。
「たとえそうだとしても、人の命をなんだと思っているのだ」
ソファーに戻ったアレンと入れ違うように、今度はトーマスが他の文官を呼んだ。
アラバスが書類から目を離した。
「本当なら今年はイベント以外は登校しない予定だったのに、あの狸娘のために毎日行ってるんだもん。用事が無ければ帰るさ。狸が来ないなら猟師はいらないだろ?」
「なんだ、あの狸娘は休んだのか?」
「うん。それにちょっと耳に入れておいた方がいいかもって思った話もあってね」
アレンとトーマスが顔を上げた。
四人はソファーに座り、文官たちには休憩を与えた。
カーチスが静かに話し始める。
「最終学年になってマリア嬢がまったく登校してないだろ? まあ例の事故の件は知れ渡っているから、そのせいだと思っているみたいだけれど。どうやら死にかけているとか、顔にものすごい傷が残ったとか、そういう噂になっているんだ」
「まあ想定内といえばそうだな」
アラバスが頷く。
「そうだよね。それが続きがあってね、次の第一王子妃はレイラ・クランプ公爵令嬢で決まりだという奴らと、ラランジェ・シラーズ第二王女になったという奴らに分かれている」
「なぜその二人に固定なんだ?」
「セルフアピールが凄いってこともあるけれど、まあ身分順みたいなもんじゃない? 侯爵家や伯爵家の令嬢たちも色めき立ってはいるけれど、表立った動きは無いよ」
アラバスが深いため息を吐く。
「前門の虎、後門の狼というなら俺も本気で討伐もするが、狐と狸じゃなぁ……」
アレンがプッと吹き出した。
カーチスもつられて笑いながら言う。
「それで? 兄上の大事なうさちゃんは? 母上がノリノリでウェディングドレスを選んでたけれど、本当に結婚する気?」
「勿論だ」
カーチスが真顔になる。
「僕は兄上の手足としてこの国を支える覚悟はできているけれど、あのかわいいうさちゃんを巻き込むのはどうかと思う。狐や狸が嫌だというなら、そこら辺のロバかカバを飼い殺しにした方が良くない? 大喜びで生贄になりそうな令嬢なんて掃いて捨てるほどいるでしょ」
「王宮は動物園じゃないんだ。狐や狸やロバやカバが何を食うのか知らんし興味もない。その点、兎なら人参を与えて俺の膝に乗せておけばいいだろう?」
まだ膝に座らせることに拘っていたんだと思ったが、トーマスもアレンも黙っていた。
「僕の尊敬する兄上がロリコンだったなんて……」
「俺はロリコンなんかじゃないぞ!」
「だって結婚するってことは、あんなことやこんなこともするんでしょ?」
「お……お前……トーマスの前でそんなことを言うな!」
アラバスがチラッとトーマスを見た。
「今更お気遣いなく」
トーマスが不貞腐れたような声を出した。
「いや……マリアとは婚姻を結ぶが、あんなことやこんなことは……マリアの心が年齢に追いついてからだ」
アレンが涙目になりながら会話に割り込む。
「やっぱりするんじゃないか」
カーチスが不貞腐れたようにそっぽを向いた。
「そんな話をしてるんじゃないだろ?」
笑いを堪えながらアレンが止めた。
「ああ、そうだ。ごめんごめん、兄上を揶揄うチャンスなんてほとんどないから楽しくなっちゃった。ごめんねトーマス。話を戻すね。どうやらラランジェの侍女が一人消えたらしい。その侍女というのは学園にも同行していたのだけれど、この一週間ほど来てないんだ」
「侍女が? 単に機嫌を損ねたってことじゃないのか?」
「そうかもしれないけれど、僕は王女の後ろにいるその侍女が、変わったことに気づかなかった。それほど気配を消すのがうまい女だということだよね。よほどの訓練を受けているとしか思えない」
「気配を消す? 存在は認識できるのに、個人が特定できないということか?」
アラバスの声にアレンが反応した。
「あの時の女もそんな感じだったよ。うん、そうだ。気配がしないんだ。居るのにまるで存在感がないって言うか……」
トーマスがバッと顔を上げた。
「消えた侍女があの時の令嬢だと言うのか?」
「いや、同じ感じだと思っただけだが、もしかしたらそうかもしれない。これだけ探して見つからないなんて気色悪いよ」
四人が黙り込む。
沈黙を破ったのはアラバスだった。
「それほど記憶に残らない女なら、なぜお前は気づいたんだ?」
「いや、気づいたのは僕じゃない。狸娘と同じクラスの令嬢だよ。生徒会に入っている子なんだけれど、放課後メンバーで学園祭後の舞踏会の話をしている時に、そう言えば王女殿下のお付きの方って変わられたのですねって言ったんだ」
「なぜ気づいたと?」
「消えた侍女っていうのが、記憶に残るほど足が大きかったんだってさ。男の僕たちじゃ絶対に気づけないよ。女性の足をまじまじと見るなんて不躾だし、侍女のお仕着せなんて踝も見えないだろ?」
「まあそうだな。でもそうなら女性でも気づかないだろ?」
「狸娘の侍女は、授業中は教室の外で待機してるんだ。それで、ずっと立っているのもきついだろうと思って、使っていない椅子を廊下に出してやったんだってさ。とても喜んで座っていたらしい。座ると見えるんだよ、足首から下が全部」
「なるほどな」
「まあ、授業が終わる前にはもう立ち上がっているから、他の生徒は気づいていないだろうし、もしかしたら王女も知らないかもね。彼女は生徒会の準備で授業を途中抜けしたときに、偶然気付いたって言ってたよ」
「偶然かぁ。一目で印象に残るほどの大きさってことだな」
「うん、顔とか髪型とか思い出せないんだけれどね。訓練で気配を消せるほどの技を身につけたのに、まさかそこで特定されるとは思わなかったのだろう」
「今度の侍女の足は普通サイズってことだな」
「そうだね、そう言ってた」
「何処に行ったのだろう。出国するなら連絡が来ているはずだ」
アレンがすぐに立ち上がり、廊下で休んでいた文官にシラーズ王国へ出国した者のリストを持ってくるように命じた。
「それと、西の森でボヤ騒ぎがあっただろ? 被害者も出たし、放火だという噂もある」
トーマスが口を開いた。
「あの被害者がその侍女だと?」
「調べてみる必要はあるかもね」
アラバスが苦虫を嚙んだような顔で言う。
「たとえそうだとしても、人の命をなんだと思っているのだ」
ソファーに戻ったアレンと入れ違うように、今度はトーマスが他の文官を呼んだ。