愛すべきマリア
 アラバスがため息混じりの言葉を吐く。
 
「まあ、そうであってもなくても、マリア嬢を呼び出したのは狸の手下という可能性が出てきたってことだな」

 その声にカーチスが反応する。

「その可能性はあるけれど、来たばかりなのに王宮の配置を熟知しているとは思えないよ。西階段を選んだ時点で、王宮に詳しいと考えた方が良くない?」

「そうだね。王族の居住区に一番近いし、そこから上がればアラバスの執務室へも近道だ。だからこそマリア嬢も疑わずについて行ったのだろう。しかも普段はあまり使わない階段だから、目撃者がいる可能性も低い」

 アレンの言葉にアラバスが唇を嚙んだ。
 カーチスが続ける。

「そのピンポイントを突いてきたということは、王宮に詳しい人間が協力しているってことでしょ? だとしたら裏切り者がいるってことだよね」

「そう考えた方が良さそうだな。偶然というにはあまりにも揃い過ぎている」

 戻ってきたトーマスがボソッと言った。

「協力者がいるとして、その者のメリットは何だろうか」

 アレンがパッと顔を上げる。

「そうだよ。何のメリットもないのに危ない橋を渡る人間はいない」

 執務室に再び沈黙が流れた。

「失礼します。第一王子殿下にお客様です。先触れはございませんでしたが、いかがいたしましょうか」

 先触れが無いのに聞いてくるということは、かなりの高位貴族か面倒な人間ということだろう。

「誰だ?」

「シラーズ王国ラランジェ第二王女殿下でございます」

 申し合わせたように四人が顔を顰めた。

「あの……どのように取り計らいましょうか」

 はぁっと溜息を吐いたアラバスが答える。

「ここに通してくれ。仕事中なので側近がいることも伝えてほしい」

 アレンとトーマスは嫌な顔をしたが、アラバスは気づかない振りで執務机に戻る。
 側近の二人も自分の机に戻り、カーチスは適当な書類を抱えて、さも執務の相談に来たように兄王子の机の前に立った。

 全員が配置についたとほぼ同時にドアが開いた。

「お邪魔いたしますわ。先触れもせず申し訳ございません」

 言葉とは裏腹に、さも会えるのが当然という顔で入ってきたのは、まるで今から夜会に行くのかというほど着飾った狸娘ことラランジェ・シラーズ第二王女だ。

「先触れもない訪問ということは、相当お急ぎなのだと判断した。ご用件は何かな?」

「どうしてもお会いしてお伝えしたいことがございましたの」

 そう言うが早いか、狸王女が側近と文官たちを見回した。

「あの……内密のお話しですの」

「内密の話? ああ、それならこのままで構わない。ここに居る者たちは、俺が心から信頼している者たちばかりだ。彼らが聞いて拙いことなら、俺も聞かないでいた方がいいだろう」

 一瞬たりとも書類から目を離さず、投げ捨てるようにアラバスが言った。

「まあ! そんなつれないことを仰ると後悔なさいましてよ? だってマリア嬢のことですもの」

「マリアのことだと? それなら尚更だ。結論から言ってくれ」

 少しだけ怯んだような態度を見せた王女だったが、気を取り直したように一歩前へ出た。

「そういう事でしたら……マリア嬢はお怪我をなさったとか? ご容態はいかがですの?」

「隣国から留学してこられたあなたにまで心配していただくほどのことではないよ。それで? 用件は?」

「まあ! お美しい殿方はせっかちな方が多いと聞いたことがございますが、あながち間違ってはいないようですわね」

 胸の前で扇を閉じたり開いているのはイラついていることを示そうとでもしているのだろうか。

「要件を言ってくれ。私は忙しいんだ」

 ギュッと唇を嚙みしめた王女が、意を決したように口を開いた。

「私、マリア嬢が怪我をした原因を存じておりますの」

「何だと?」

 今にも立ち上がりそうなトーマスを、アランが止めた。

「あの方……実は親密なお付き合いをなさっている殿方がおられたようですわ。その方と密会をしている時に、どうやら別れ話になったようで、それで焦って階段を踏み外したのです。私の侍女が偶然見ていたので確かな情報ですわ」

「……それで?」

「え?」

 自信たっぷりだったラランジェ王女が肩を揺らした。

「ですから……」

 言い淀む王女を前に、アラバスが初めて書類から目を上げた。
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