愛すべきマリア
数秒黙ったままだったアラバスが、不機嫌そうな声を出す。
「それでどうしたと言うのかね? マリアが愛人と密会していたのをあなたの侍女が見た。それで?」
「えっと……別れ話になって……そうですわ! 痴情の縺れですわ! 慌てて逃げようとして階段を踏み外されたのですって。この国の未来の王妃となる予定の方が、なんて下品なことでしょう。私、殿下がお可哀想だと思って、お慰めしたいと思いましたの」
「そうですか。お話しは終わりですか?」
「あの……お話の内容は伝わりまして?」
「ええ、十分理解しましたよ」
「理解? では婚約は破棄なさいますのね?」
「なぜ?」
「だって! 不貞を働いておられましたのよ? あなたのような素晴らしい方には相応しくございませんわ。そうでしょう? 皆様」
誰も何もリアクションしない。
「え? なぜ? なぜ皆様何も仰らないの? 不貞ですわよ?」
「それが本当なら不貞ですね。本当だと証明できますか?」
「ですから私の侍女が目撃したのですわ!」
「その侍女とは?」
「それが、先日から行方不明ですの。きっとアスター侯爵家が動いたに違いありません。侯爵家の力をもってすれば、隣国とはいえ、侍女の一人くらいなんとでもなりますでしょう?」
「なるほど。どうやらあなたの言うアスター侯爵は、随分と娘思いのようだ。罪を犯してまで娘の不貞を隠そうとするとはね」
「そうですわ! これは純然たる犯罪行為ですわ」
「犯罪行為ですか。それでは行方不明になっている侍女の名前と特徴を教えてください。我が側近が徹底的に調べます。身長は? 髪の色や目の色は? 他にはどんな特徴が?」
「えっと……それは……」
「ご自分の侍女でしょう? わざわざ留学にまで伴うんだ。相当な信頼を置いていたのでしょう?」
「そ……それはその通りですわ。幼いころから姉妹のように仲良くしていましたもの。私の輿入れの時は絶対に連れて行こうと思うほどの者でしたわ」
「ねえラランジェ王女殿下。さっさと私の質問に答えてください。あなたとその侍女がどれほどの仲だったのかなど全く興味がありません」
ラランジェ王女が後ろに控えている侍女に目配せをした。
頷いて一歩前に出た侍女が口を開こうとした瞬間、アラバスの大きな声が響く。
「王女に聞いているのだ! 覚えてないのか? ずっと一緒だったのだろう?」
王女の体が揺れた。
「ええ……覚えて……いますとも。身長は私よりも若干高く、髪の色は……濃い茶色? 目はエメラルドグリーンでしたわ」
「名前は! その者の名を言え!」
王女がフラフラと後退ると、護衛騎士がすかさず王女を支えた。
「名前は……」
チラチラと侍女の顔を見るラランジェ王女。
しかしカーチスの鋭い視線を向けられている侍女たちは、口を開くことができない。
「フラワー……そうですわ! フラワーですわ」
「家名は?」
「家名は……」
ふとラランジェ王女の目がソファーセットに置かれたままのスイーツに止まる。
「タタン……そうですわ、フラワー・タタンです」
「そうですか。フラワー・タタンというあなたより少し大きな侍女なのですね? まるでそこに置いてある花瓶の花を見た後、テーブルの上にあるタルト・タタンを見て思いついたような名前だが、まあ良いでしょう」
そう言うとアラバスはアレンを呼んだ。
「はい、殿下」
いつもの気安い態度などおくびにも出さず、アレンが恭しく執務机の前に立った。
「聞いていたな? 隣国の侍女で該当する者がいるかすぐに調べてくれ。失踪と言うなら親族もさぞ心配しているだろうからな。爵位と家族構成、それと身体的特徴も調べろ」
「畏まりました」
王女が悲鳴のような声を出した。
「お待ちください! 我が国の王宮に務める者を調査するなど、許されることではございませんわ」
「なぜ?」
「なぜって……」
「侍女が失踪したと言ったのはあなたでしょう? あなたは離宮に滞在している客人ですよ? その客人の侍女が生死不明というなら、全力で探さなくては外交問題です。捨ておくわけにはいきません」
アレンがわざとらしく王女の顔を見てから執務室を出た。
「あ……それは……そうかもしれませんが。大丈夫ですわ。調査はシラーズ王国の者にやらせておりますので」
「そうはいきませんよ。これはわが国で起きた犯罪行為です。こちらが徹底的に調査するのはシラーズ王国に対する誠意というものです。しかも、わが国の高位貴族が加担している疑惑をもっておられる。これは由々しき問題ですよ。捨ておくことなどできるわけがない」
捲し立てるように言ったアラバスと、その目の前で今にも気絶しそうな顔色の王女。
カーチスは磨き上げたポーカーフェイスで、侍女たちの様子を伺っていた。
「それでどうしたと言うのかね? マリアが愛人と密会していたのをあなたの侍女が見た。それで?」
「えっと……別れ話になって……そうですわ! 痴情の縺れですわ! 慌てて逃げようとして階段を踏み外されたのですって。この国の未来の王妃となる予定の方が、なんて下品なことでしょう。私、殿下がお可哀想だと思って、お慰めしたいと思いましたの」
「そうですか。お話しは終わりですか?」
「あの……お話の内容は伝わりまして?」
「ええ、十分理解しましたよ」
「理解? では婚約は破棄なさいますのね?」
「なぜ?」
「だって! 不貞を働いておられましたのよ? あなたのような素晴らしい方には相応しくございませんわ。そうでしょう? 皆様」
誰も何もリアクションしない。
「え? なぜ? なぜ皆様何も仰らないの? 不貞ですわよ?」
「それが本当なら不貞ですね。本当だと証明できますか?」
「ですから私の侍女が目撃したのですわ!」
「その侍女とは?」
「それが、先日から行方不明ですの。きっとアスター侯爵家が動いたに違いありません。侯爵家の力をもってすれば、隣国とはいえ、侍女の一人くらいなんとでもなりますでしょう?」
「なるほど。どうやらあなたの言うアスター侯爵は、随分と娘思いのようだ。罪を犯してまで娘の不貞を隠そうとするとはね」
「そうですわ! これは純然たる犯罪行為ですわ」
「犯罪行為ですか。それでは行方不明になっている侍女の名前と特徴を教えてください。我が側近が徹底的に調べます。身長は? 髪の色や目の色は? 他にはどんな特徴が?」
「えっと……それは……」
「ご自分の侍女でしょう? わざわざ留学にまで伴うんだ。相当な信頼を置いていたのでしょう?」
「そ……それはその通りですわ。幼いころから姉妹のように仲良くしていましたもの。私の輿入れの時は絶対に連れて行こうと思うほどの者でしたわ」
「ねえラランジェ王女殿下。さっさと私の質問に答えてください。あなたとその侍女がどれほどの仲だったのかなど全く興味がありません」
ラランジェ王女が後ろに控えている侍女に目配せをした。
頷いて一歩前に出た侍女が口を開こうとした瞬間、アラバスの大きな声が響く。
「王女に聞いているのだ! 覚えてないのか? ずっと一緒だったのだろう?」
王女の体が揺れた。
「ええ……覚えて……いますとも。身長は私よりも若干高く、髪の色は……濃い茶色? 目はエメラルドグリーンでしたわ」
「名前は! その者の名を言え!」
王女がフラフラと後退ると、護衛騎士がすかさず王女を支えた。
「名前は……」
チラチラと侍女の顔を見るラランジェ王女。
しかしカーチスの鋭い視線を向けられている侍女たちは、口を開くことができない。
「フラワー……そうですわ! フラワーですわ」
「家名は?」
「家名は……」
ふとラランジェ王女の目がソファーセットに置かれたままのスイーツに止まる。
「タタン……そうですわ、フラワー・タタンです」
「そうですか。フラワー・タタンというあなたより少し大きな侍女なのですね? まるでそこに置いてある花瓶の花を見た後、テーブルの上にあるタルト・タタンを見て思いついたような名前だが、まあ良いでしょう」
そう言うとアラバスはアレンを呼んだ。
「はい、殿下」
いつもの気安い態度などおくびにも出さず、アレンが恭しく執務机の前に立った。
「聞いていたな? 隣国の侍女で該当する者がいるかすぐに調べてくれ。失踪と言うなら親族もさぞ心配しているだろうからな。爵位と家族構成、それと身体的特徴も調べろ」
「畏まりました」
王女が悲鳴のような声を出した。
「お待ちください! 我が国の王宮に務める者を調査するなど、許されることではございませんわ」
「なぜ?」
「なぜって……」
「侍女が失踪したと言ったのはあなたでしょう? あなたは離宮に滞在している客人ですよ? その客人の侍女が生死不明というなら、全力で探さなくては外交問題です。捨ておくわけにはいきません」
アレンがわざとらしく王女の顔を見てから執務室を出た。
「あ……それは……そうかもしれませんが。大丈夫ですわ。調査はシラーズ王国の者にやらせておりますので」
「そうはいきませんよ。これはわが国で起きた犯罪行為です。こちらが徹底的に調査するのはシラーズ王国に対する誠意というものです。しかも、わが国の高位貴族が加担している疑惑をもっておられる。これは由々しき問題ですよ。捨ておくことなどできるわけがない」
捲し立てるように言ったアラバスと、その目の前で今にも気絶しそうな顔色の王女。
カーチスは磨き上げたポーカーフェイスで、侍女たちの様子を伺っていた。