愛すべきマリア
6
和やかに庭園を去って行く一行を、少し離れた木々の間からじっと見ている者たちがいた。
「本当に結婚されたのね……アラバス様ったら、私に第二妃なれとでも仰るのかしら」
ハンカチを嚙みながら悔しそうな表情をする主に、控えていた侍女が言う。
「きっとこれは国内向けのパフォーマンスですわ。仕方なく婚約者を娶ったけれど、王女様への思いが断ち切れず、離縁してお迎えになるための儀式のようなものではないでしょうか。一国の第一王子、ましてや次期国王となる方の披露宴とは思えないほど質素ですもの」
半泣きだったラランジェ王女が、キラキラとした目を取り戻す。
「そういうことなの? まあ、その方がドラマチックよね。私への愛の深さをより一層示すことができるということだわ」
「左様でございますとも」
「ふふふ……そういうことなら今日はこのまま静かにしておこうかしら。そう言えば、お父様からのお手紙には何て書いてあったの?」
後ろで控えていた侍従が一歩前へ出た。
「全て用意したとのことでございました。タタン家という子爵家を作り、フラワー・タタンという娘が王宮に出仕していたことになさったのでしょう」
ラランジェ王女が頷いた。
「あの時は本当に焦ったわよ。でもお父様がそうしてくださったのなら、たとえ本当に調べたとしても、私が噓つきになることはないわよね?」
「もちろんでございます」
満足した王女が湖畔に停めていた馬車に乗り込む。
「離宮に戻ってちょうだい。そうそう、明日提出の宿題はできたの?」
「全て終わらせております」
「ご苦労様。学期末試験の準備は?」
「別室でお受けになる旨を伝え、すでに了承を得ております」
「そう? 予定通りという事ね? 新しいドレスは?」
正面に座っていた侍女が頷いた。
「水色のタフタドレスに、濃紺のリボンをあしらったオフショルダーデザインでございます」
「宝飾は?」
「全て濃紺で揃えました。今回はシラーズ王国より持参しておりますサファイアで作ったネックレスとイヤリングを予定しております」
満足した王女は、遠ざかっていく王城を眺めている。
「それにしても、私より先に王子妃の部屋を使うなんて、万死に値するわね。まさか偽装とはいえ初夜など……」
「あり得ませんわ!」
ラランジェ王女の言葉を侍女が否定する。
その言葉ににっこりと微笑んだ王女が続けた。
「私の部屋になったら、内装も家具も全て取り替えましょう。アラバス様は逞しいお体をなさっているから、夫婦のベッドも大きくて頑丈なものにかえなくてはね」
アラバスにどれだけ相手にされずとも、ただ照れているだけだとしか思っていないラランジェ・シラーズ第二王女なのだった。
一方王城に戻ったアラバスとマリアは、歓迎せざる者の出迎えを受けていた。
「なぜあなた達がここにいるのだ?」
大きな花束を抱えて、第一王子宮の玄関で待っていたのは、クランプ公爵父娘だった。
「なぜと仰いますか。わが国の第一王子殿下の婚姻式だというのに、誰も招待をなさらないなど、側近たちの失態というほかございません。まあ、今日のところは予行演習のようなものなのでしょうが、せめて私共は呼んでいただきたいものですなぁ」
「なぜ呼ばねばならん?」
一瞬だけ驚愕の表情を浮かべたクランプ公爵だったが、気を取り直してニヤついた顔を向ける。
「我がクランプ公爵家は、ワンダリア王国随一の忠臣でございますよ? それなのにラングレー家だけだとは、些か問題があるのでは?」
アラバスはチラッとマリアの顔を見た。
「言っている意味が全くわからん。それよりも、我が愛しの花嫁は疲れているのだ。今日のところはこのまま帰ってくれ。それと、ラングレー家を招待したのは、夫人がマリアの家庭教師をしているからだ。公爵が邪推するような話ではない」
「左様でございましたか。納得致しました」
ラングレー公爵が引き下がるのと入れ違うように、大きな花束を抱えたレイラ公爵令嬢が一歩前に出た。
「仮初とはいえ、花嫁になられたマリア嬢にお祝いを」
その物言いに眉を顰めたアラバスが、とげとげしい程の声で言う。
「それはそれは。レイラ嬢にも早く良いご縁が見つかるといいな。おい、そこの君、これを受け取っておいてくれ」
玄関脇に控えていた侍従に声を掛ける。
「直接マリア嬢にお渡ししたいのですわ」
マリアがアラバスの顔を見上げる。
「マリアは疲れていると言ったはずだが? それに、王子妃がいちいち対応する必要はない」
そう言うとアラバスは、自分の腕に寄りかかっているマリアに優しい声を出した。
「マリアはいろいろと準備があるのだろう? ラングレー公爵夫人と一緒に先に戻っていなさい。すぐに行くから待っていてくれ」
声を出さずに頷いたマリアが笑顔を浮かべた。
アラバスに手を振ろうと伸ばした腕をシュッと掴んだラングレー公爵夫人が口を開く。
「さあ、マリア王子妃殿下。本日は大切な初夜でございますからね。アラバス殿下がどれほど楽しみにしておられたか。さあ、すぐに準備を始めましょうね」
半分も理解していないであろうマリアだったが、手を引かれるままに歩き出す。
それを悔しそうな顔で見ていたレイラから、花束を受け取った侍従が顔を顰めた。
「どうした?」
「いいえ、何でもございません」
アラバスは何かを察知したようだが、それをおくびにも出さずにクランプ父娘に向き直る。
「確かに受け取った。今夜はいろいろ忙しいのでな。ここまでにしてくれ」
返事も聞かず玄関へと消えるアラバス。
苦々しい顔で見送るクランプ父娘を置き去りに、一行は王子宮へと入っていった。
残されたクランプ公爵父娘は啞然とした顔をしている。
「お父様! 私とっても悔しいですわ!」
クランプ公爵が娘の背中に手を添えて歩き出した。
「大丈夫だよ、可愛いレイラ。婚約破棄などはスキャンダルでしかないだろう? 一旦は娶って義務を果たし、それでもレイラが忘れられずに離婚というストーリーにするつもりなのだろう。その方がドラマチックだし、国民も納得できる。わかるかい?」
「そうなの? では私はアラバス様を信じて待っていれば良いの?」
「ああ、その通りだ。後はこの父が上手くやろう」
「お父様、大好き!」
待たせていた馬車に乗り込むのを見届けた護衛騎士が、二人の会話を報告するために王子宮へと向かった。
「本当に結婚されたのね……アラバス様ったら、私に第二妃なれとでも仰るのかしら」
ハンカチを嚙みながら悔しそうな表情をする主に、控えていた侍女が言う。
「きっとこれは国内向けのパフォーマンスですわ。仕方なく婚約者を娶ったけれど、王女様への思いが断ち切れず、離縁してお迎えになるための儀式のようなものではないでしょうか。一国の第一王子、ましてや次期国王となる方の披露宴とは思えないほど質素ですもの」
半泣きだったラランジェ王女が、キラキラとした目を取り戻す。
「そういうことなの? まあ、その方がドラマチックよね。私への愛の深さをより一層示すことができるということだわ」
「左様でございますとも」
「ふふふ……そういうことなら今日はこのまま静かにしておこうかしら。そう言えば、お父様からのお手紙には何て書いてあったの?」
後ろで控えていた侍従が一歩前へ出た。
「全て用意したとのことでございました。タタン家という子爵家を作り、フラワー・タタンという娘が王宮に出仕していたことになさったのでしょう」
ラランジェ王女が頷いた。
「あの時は本当に焦ったわよ。でもお父様がそうしてくださったのなら、たとえ本当に調べたとしても、私が噓つきになることはないわよね?」
「もちろんでございます」
満足した王女が湖畔に停めていた馬車に乗り込む。
「離宮に戻ってちょうだい。そうそう、明日提出の宿題はできたの?」
「全て終わらせております」
「ご苦労様。学期末試験の準備は?」
「別室でお受けになる旨を伝え、すでに了承を得ております」
「そう? 予定通りという事ね? 新しいドレスは?」
正面に座っていた侍女が頷いた。
「水色のタフタドレスに、濃紺のリボンをあしらったオフショルダーデザインでございます」
「宝飾は?」
「全て濃紺で揃えました。今回はシラーズ王国より持参しておりますサファイアで作ったネックレスとイヤリングを予定しております」
満足した王女は、遠ざかっていく王城を眺めている。
「それにしても、私より先に王子妃の部屋を使うなんて、万死に値するわね。まさか偽装とはいえ初夜など……」
「あり得ませんわ!」
ラランジェ王女の言葉を侍女が否定する。
その言葉ににっこりと微笑んだ王女が続けた。
「私の部屋になったら、内装も家具も全て取り替えましょう。アラバス様は逞しいお体をなさっているから、夫婦のベッドも大きくて頑丈なものにかえなくてはね」
アラバスにどれだけ相手にされずとも、ただ照れているだけだとしか思っていないラランジェ・シラーズ第二王女なのだった。
一方王城に戻ったアラバスとマリアは、歓迎せざる者の出迎えを受けていた。
「なぜあなた達がここにいるのだ?」
大きな花束を抱えて、第一王子宮の玄関で待っていたのは、クランプ公爵父娘だった。
「なぜと仰いますか。わが国の第一王子殿下の婚姻式だというのに、誰も招待をなさらないなど、側近たちの失態というほかございません。まあ、今日のところは予行演習のようなものなのでしょうが、せめて私共は呼んでいただきたいものですなぁ」
「なぜ呼ばねばならん?」
一瞬だけ驚愕の表情を浮かべたクランプ公爵だったが、気を取り直してニヤついた顔を向ける。
「我がクランプ公爵家は、ワンダリア王国随一の忠臣でございますよ? それなのにラングレー家だけだとは、些か問題があるのでは?」
アラバスはチラッとマリアの顔を見た。
「言っている意味が全くわからん。それよりも、我が愛しの花嫁は疲れているのだ。今日のところはこのまま帰ってくれ。それと、ラングレー家を招待したのは、夫人がマリアの家庭教師をしているからだ。公爵が邪推するような話ではない」
「左様でございましたか。納得致しました」
ラングレー公爵が引き下がるのと入れ違うように、大きな花束を抱えたレイラ公爵令嬢が一歩前に出た。
「仮初とはいえ、花嫁になられたマリア嬢にお祝いを」
その物言いに眉を顰めたアラバスが、とげとげしい程の声で言う。
「それはそれは。レイラ嬢にも早く良いご縁が見つかるといいな。おい、そこの君、これを受け取っておいてくれ」
玄関脇に控えていた侍従に声を掛ける。
「直接マリア嬢にお渡ししたいのですわ」
マリアがアラバスの顔を見上げる。
「マリアは疲れていると言ったはずだが? それに、王子妃がいちいち対応する必要はない」
そう言うとアラバスは、自分の腕に寄りかかっているマリアに優しい声を出した。
「マリアはいろいろと準備があるのだろう? ラングレー公爵夫人と一緒に先に戻っていなさい。すぐに行くから待っていてくれ」
声を出さずに頷いたマリアが笑顔を浮かべた。
アラバスに手を振ろうと伸ばした腕をシュッと掴んだラングレー公爵夫人が口を開く。
「さあ、マリア王子妃殿下。本日は大切な初夜でございますからね。アラバス殿下がどれほど楽しみにしておられたか。さあ、すぐに準備を始めましょうね」
半分も理解していないであろうマリアだったが、手を引かれるままに歩き出す。
それを悔しそうな顔で見ていたレイラから、花束を受け取った侍従が顔を顰めた。
「どうした?」
「いいえ、何でもございません」
アラバスは何かを察知したようだが、それをおくびにも出さずにクランプ父娘に向き直る。
「確かに受け取った。今夜はいろいろ忙しいのでな。ここまでにしてくれ」
返事も聞かず玄関へと消えるアラバス。
苦々しい顔で見送るクランプ父娘を置き去りに、一行は王子宮へと入っていった。
残されたクランプ公爵父娘は啞然とした顔をしている。
「お父様! 私とっても悔しいですわ!」
クランプ公爵が娘の背中に手を添えて歩き出した。
「大丈夫だよ、可愛いレイラ。婚約破棄などはスキャンダルでしかないだろう? 一旦は娶って義務を果たし、それでもレイラが忘れられずに離婚というストーリーにするつもりなのだろう。その方がドラマチックだし、国民も納得できる。わかるかい?」
「そうなの? では私はアラバス様を信じて待っていれば良いの?」
「ああ、その通りだ。後はこの父が上手くやろう」
「お父様、大好き!」
待たせていた馬車に乗り込むのを見届けた護衛騎士が、二人の会話を報告するために王子宮へと向かった。