愛すべきマリア
 マリアを見て一瞬ぎょっとしたメイドなど気にもせず、アラバスが口を開いた。

「厨房に寄ってアレンたちに新しいワインとチーズを持って行ってくれ」

「畏まりました」

 メイドが下がると、アラバスは再びマリアを膝に乗せようと手を伸ばした。

「マリアも飲むか?」

「ぶどうじゅーちゅ?」

「いや、葡萄の酒だ。マリアにはまだ早いか? お前はスミレの砂糖漬けの方がいいかな」

「うん、あれおいしいよ? アシュにもひとつあげようね」

 マリアが跳ねるように立ち上がり、自室から紫色の砂糖菓子が詰まった瓶を持ってきた。

「はい、アシュ。食べてもいいよ? でもね、一日一個っていう決まりがあるの。守れる?」

「ああ、守れるよ。でも俺は砂糖菓子は要らん。俺の分はマリアが食べなさい」

 今日の分はすでに食べてしまっていたマリアが、顔を輝かせた。

「アシュ! 大好き!」

 思いがけない新妻からの言葉に、自分でも驚くほど顔が熱を帯びた。

「あ……ああ、そうか」

 ワインをグラスに注ぎ、照れた顔を隠すように一気に煽る。
 その横では、ご機嫌なマリアがどのスミレにするか迷いながら目を輝かせていた。

「大変でございます!」

 アラバス達の寝室から戻ったメイドは、大慌てでレイラが待つ林の中へと駆け込んだ。

「何事なの? まさか……」

「いえ、殿下はワインを受け取りました。おそらくすぐにでもお口にされるでしょう。ただ想定外の事が……」

「想定外? どういうことなの?」

 脱ぎ易いドレスに着替えていたレイラが怪訝な顔をした。

「マリア嬢がお部屋におられました。アラバス殿下と一緒に!」

「なんですって! 睡眠剤入りのお菓子はどうなっているのよ!」

 レイラの顔が鬼のように歪んでいる。

「確かにお持ちしました。私が直接運びましたから間違いございません」

「食べなかったということ? なぜ……マリアはラムレーズンを挟んだ柔らかいビスケットには目がないっていう情報は確かだわ。大好物に目もくれなかったということ? それに……そうよ! 紅茶は? 紅茶にも入れたのでしょう?」

「はい、もちろんでございます」

 レイラの計画では、湯あみを終えたマリアに強い睡眠薬入りのお茶とお菓子を運ばせるというものだった。その間に、アラバスには媚薬を入れたワインを飲ませ、やってこない花嫁の代わりに、レイラが潜り込んで既成事実を作るはずだったのだ。
 
「二人でいたなんて……では今頃……いやぁぁぁぁぁぁぁ!」

 あまりの声に宮のあちこちであかりが灯る。
 焦ったメイドはレイラの体を横抱きにして、林の中へ走り去った。
 二人は知らなかったのだ。
 子供に戻ったマリアは『ラムレーズン』を食べられなくなっていたし、紅茶は苦いからという理由で、ココアかホットミルクが準備されることを。
 要するに、マリアが今夜口にしたのは、ホットミルクとスミレの砂糖漬けひとつだけなのだ。

「なんだ? 寝てるのか? まあ問題ないだろう。こいつらも疲れているだろうしな」

 マリアを自室まで送ったアラバスは、部屋で寝コケている侍女二人を見て溜息を吐いた。
 どうやら睡眠薬入りのお菓子と紅茶は、侍女たちに下げ渡されたようだ。

「マリア、こいつらに蔑ろにされてなんかいないだろうな?」

「なにがろろ? なあに? みんなマリアにとっても優しいよ?」

 知らない単語はまだ上手く言えないようだ。

「そうか、では相当疲れているのだろう。マリアは一人で眠れるか?」

「寝るまではアシュがいてくれる?」

「ああ、ここでお前の手を握っていてやろう」

 ベッドに潜ったマリアは、大人しく目を瞑った。
 その様子をベッドサイドチェアから見ていたアラバスだったが、なぜか自分の心臓がバクバクしていることに驚く。

「なんだ? これは」

 ふと自身の下半身を見ると、夜着を突き破りそうなほど昂っているではないか。

「催淫剤か? 先ほどのワイン……アレンがそんなことをするとは思えん。では誰だ?」

 すうすうと寝息を立て始めたマリアから手を離し、よろよろと歩きにくそうにしながらアラバスは自室に戻った。
 催淫剤だとすれば、自分で処理しても無駄だ。
 誰かを呼んで処理させるとしても、さすがに新婚初夜からとなると外聞が悪すぎる。

「困ったな……耐えるにしても……さすがに辛い……催淫剤なら耐性はつけているはずだが、まさか新種なのか?」

 アラバスは嫌いな奴らの顔を思い浮かべたり、剣の稽古の時に受けた古傷を数えたり、なんとか気を紛らわせようとしたが、ことごとく上手くはいかなかった。
 机からペーパーナイフを取り出し、自身の腕に突き立ててみる。

「うおっ! 強くやり過ぎた」

 流れ出る血が、なぜかマリアの破瓜の血に見えて、余計に気持ちが昂ってしまう。

「マリア……」

 アラバスがそう呟いた時、マリアの寝室に繋がる扉からゆらりと人影が近づいた。 
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