愛すべきマリア
「話を戻すけれど、あのドレスはどこに保管してるんだい?」

 カーチスの問いにトーマスが首を傾げた。

「あの時はそれどころじゃなかったからなぁ。それっきり失念してた」

「侍女長なら知ってるかもね。会ったら聞いてみよう」

 カーチスの笑いがおさまるのを待って、四人はそれぞれの仕事へと戻った。
 書類を国王の執務室へ持っていく途中で、侍女長を見かけたアレンが話しかける。

「侍女長、もうカーチス殿下から聞かれたかもしれませんが、マリア妃のドレスの件で教えていただきたいことがあるのですが」

「カーチス殿下? まだ本日はお目にかかっておりませんが……王子妃殿下のドレスとは?」

「例の事件の日にマリア妃が着用していた珍しい布のドレスですよ。酷い出血だったから随分汚れていたでしょう?」

「ああ、あのドレスですか。実はあのまま保管しているのです。と言いますのも、仰る通り初めて見る布地でしたし、複雑な刺しゅうが施されておりましたから、どうやってクリーニングすればよいのかわからず、実はそのままになっているのでございます」

「なるほど。それならトーマス・アスターに調査させましょう。今はどこにあるのですか?」

「私がお預かりしておりますので、すぐにお持ちします。王子妃殿下の私室でよろしいでしょうか?」

「いや、あそこは足の踏み場もない状態でしょう? アラバス殿下の執務室にお願いします」

「畏まりました」

 大したことではないが、ひとつ仕事を片づけた気分になったアレンは、足取りも軽く国王の執務室へと向かった。

 アレンがアラバスの執務室に戻ってすぐ、侍女長がトルソーに着せて白い布をかぶせたままのドレスを運んできた。

「これか? 布を取ってくれ」

「はい」

 侍女長が慎重に埃避けの布をとると、不思議な光を放つドレスが姿を現した。
 しかし、黒い筋がいくつも付いていて、怪我の酷さを思い起こさせる。
 特にデコルテ周りはほぼ変色した状態だった。
 顔を顰めながらアラバスが独り言のように呟く。

「このシミがとれるとは思えんな」

「ああ、これは無理だろう。一応おじい様には手紙を書くが、マリアの事故のことは伏せておこうと思う。こちらに来るなんて言いだしたら面倒だし、今のマリアを見せるわけにはいかないからな」

 トーマスの発した言葉に頷いてから、アレンがポンと手を打った。

「ねえ、シミの無い部分を使って何か作ったらどう? 例えばヘッドドレスとか、コサージュとか」

「それは良いアイデアですわ」

 侍女長の同意に気をよくしたアレンが、ドレスの周りを一回りして眺めている。

「あれ? これはなんだ?」

 アレンが指さしたのはドレスのトレーン部分だった。
 トーマスとアラバスが後ろに回る。

「なんだ? 血の跡ではないな」

「それに刺しゅうが解れている。ここだけ解れるなんて不自然だろ」

 侍女長がしゃがみ込んで指先で確認した。

「これは足跡でございますね。グッと力を入れて踏んだとしか思えませんわ。布がよじれていますもの」

 三人は侍女長を囲むようにしてしゃがみ込んだ。

「なるほど、確かに靴跡だな。女性の靴にしては大きいし、先端が丸いな」

「あら、これは……」

 侍女長が目を凝らして見ている。

「なんだ? 何か気づいたのか?」

「この靴あとは女性用ですわ。しかも使用人たちに支給するタイプのものです」

「なぜわかる?」

 侍女長が立ち上がった。

「メイドというのは重たいものも運びます。それを落としてしまい、足の指をつぶしてしまうような事も昔はございました。ですから、使用人の靴の先には鉄板が仕込んでございますの。ほら、布の捩れが爪先側に集中しておりますでしょう? 仮に革底のものでしたら、布が滑ってこれほどくっきりとした跡にはならないと思うのです」

「なるほどなぁ。それはわが国だけの決まり事かい?」

「どうでしょうか……他国のことまでは存じません。それにしてもどうやって手に入れたのでしょうね。メイドに支給された物品の管理は全て私の元に集まるのですが、ここまで大きなサイズの靴なら、記憶に残るはずですわ」

「支給物品の管理をしているあなたが知らないということ? 不穏だねえ……ところでこの靴はどこで商会は扱っているの? 市販もされるのかな」

 アレンが真剣な顔で侍女長に聞いた。
 そのあまりの迫力に数歩下がりながらも、懸命に答える侍女長。

「これは輸入品でございます。わが国から上質な牛の革を輸出し、それを加工したものを輸入するのです。特注品ですので一般に出回ることはございません。退職時も回収しますので」

「なるほど、貿易均衡施策か。その相手国は?」

「シラーズ王国でございます」

 アラバスがニヤッと笑った。

「ご苦労だったな。戻っていいぞ」

 一礼して出ていく侍女長を見送った後、アラバスが二人の顔を見た。

「繋がったな」

「さあ、狸狩りの準備を始めようか」

 そう言ったのは邪悪な顔をしたアレンだった。
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