愛すべきマリア
 その頃クランプ公爵家では、親子喧嘩が勃発していた。

「なぜ勝手なことをしたんだ!」

「だってぇ~どうしてもあの女よりも先にアラバス様と契りを結びたかったのよぉ」

「はぁぁぁ。媚薬はどこから手に入れた?」

「タタンですわ。あれなら絶対だと思いましたの。まさかマリアがお茶もお菓子も口にしないなんて思わなかったのです」

「気持ちは分かるが、お父様に任せておけと言っただろう? もう勝手なことは絶対にするなよ?」

「でも私はどうしてもアラバス様の正妃になりたいのです」

「お前に正妃は無理だ。かといって、あのバカ王女にも無理だよ。そうなると、マリアを生かしておいて仕事だけさせるというのが正解なんだ」

「あの女とアラバス様を共有しろと仰るの? 酷いわ! そんなの許せるはずがないわ!」

「レイラ……よく考えろ。お前が欲しいのは正妃の座か? それともアラバスの愛か?」

「両方ですわ」

 クランプ公爵がグッと口を結んだ。

「どちらかにしなさい」

 レイラが半泣きの顔で父親の顔を凝視した。

「正妃の仕事は大変なんだ。そんなものに人生を費やしていたら、アラバスと愛し合う時間などないぞ?」

「それはダメです! アラバス様に愛し愛されるのが私の望みですわ」

「だったら第二妃で我慢するんだ。そうすればお前は毎日着飾って、楽しいところだけを享受できる。そして執務で疲れたアラバスを癒せ。あの男は仕事はできるからな」

「でも第二妃なんて、あの女に負けたみたいではありませんか」

「負けて勝つという言葉もある。仕事はマリア、愛はお前だ。それで納得しろ」

「愛は私……素敵だわ。これでアラバス様は私だけを見るのね? そうでしょう? お父様」

「そうだ。だからもう二度と勝手なことはしないと約束しなさい」

「はい、お父様。私はお父様の娘で幸せですわ」

「ああ、お前は私の可愛い娘だ。必ず幸せにしてやるからな」

 どうやら和解したクランプ親子は、ルンルンという音が聞こえそうな足取りで食堂へと向かった。
 そしてその頃、ラランジェが滞在する離宮から抜け出した侍女が、人目を忍んで隠れ家に戻り、何食わぬ顔で平民男性の姿となってクランプ家の使用人門から入って行く。
 顔見知りの使用人たちと明るい声で挨拶を交わしつつ、向かった先は庭師小屋だった。

「おう、帰ったか。どんな様子だ?」

 作業着を纏ってはいるものの、草さえ触らないような指先の中年男が笑顔で迎えた。

「動きがありましたよ。どうやらクランプは第二王子にターゲットを変えたようですね。そのことを苦にしたカーチスが、ラランジェに接近しています」

「クランプが第二王子を狙っているだと? 考えにくいが……なぜだろうか」

「どうやら王太子の座を簒奪する作戦のようです」

「バカバカしい。あのアラバスがそう易々とその座を渡すものか。しかし、考えようによってはチャンスかもしれんな。もしも第二王子がラランジェに助けを求めるなら、シラーズ国王は手を貸すだろう? 内政が疎かになる可能性が高い」

「なるほど。それはチャンスですね」

「うん、俺は隣国へ報告を飛ばそう。お前はラランジェを焚き付けて、クランプのバカ娘と競わせろ。どちらが第二王子を落とそうが我らには関係ないからな。とにかくシラーズの目をワンダリアに向けさせるんだ」

 クランプの狙いはあくまでも王太子になるアラバスの第二妃であり、ラランジェは自己満足の花畑にいるだけだというのに、この親子は明後日の方向で納得してしまっている。

「わかりました。それでは戻ります」

「ああ、ご苦労だな。早く隣国であるビジョン王国がシラーズを飲み込むよう頑張ろう」

「ええ、平民に落とされた屈辱を私たちの代で返してやりましょうね」

 庭師小屋を出た男が、夕暮れの町へと姿を消した。

 足早に去っていく息子の後ろ姿を見送りながら、庭師に身を窶した男が独り言ちる。

「しかしレイラがそうあっさりとアラバスを諦めるとはなぁ……蛇のような執着を見せていたのに。やはりアラバスがマリアを娶ったからか? まあ現実を見たのかもしれんな。レイラが勝てるわけがない」 

 その頃アラバスの執務室では、盛大にブンむくれたカーチスが、兄王子とその側近二人を睨んでいた。

「もう嫌ですよ。自分で言っていて自分が嫌いになりそうだったんだからね!」

「まあそう言うな。素晴らしい働きだと聞いたぞ? 褒美に二日ほど休みをやろう」

「でも三日目にはまた狸を化かさなきゃいけないのでしょ? そもそも化かすのは狸の方で、猟師は化かされるという配役のはずだ」

 アレンがニヤッと笑ってカーチスに言う。

「何言ってるの。そんなに狸が嫌なら狐に代えてやろうか?」

 カーチスは返事をせず、盛大な溜息を吐きながら、虚ろな目で首を横に振った。。

「お前ならどっちにする?」

 ニヤつくアレンにトーマスが聞いた。

「究極の選択だな。まあ俺なら……そうだなぁ……十年ほど考えさせてくれ。お前なら?」

 トーマスが顎に手を当てる。

「俺なら……絶対無理だと答えるしかないよ。毒杯さえ受け入れるかもしれん」

「ほらっ! みんなもそうじゃん! なんで俺ばっかり!」

「まあそう言うな。これをやるから頑張れ」

 兄であるアラバスが、引き出しから紙に包まれた何かを出してカーチスに渡した。

「なに?これ」

「マリアが仲直りの印にくれたんだ。お前にやる」

「マリアが? マリアは兄上の意地悪を許したの?」

「ああ、許してくれたよ。急いで用意したウサギのぬいぐるみが功を奏した」

 紙を広げると、甘酸っぱい香りが鼻腔を擽った。

「スミレの砂糖漬け……しかもたった一個?」

 やけになったカーチスが、それを口に放り込んで顔を顰めた。

「あっま! うわぁぁぁ……甘過ぎだ。トーマス、お茶をちょうだい」

 笑いながらお茶を渡すトーマスがカーチスに言う。

「食ったんだから成果を出せよ」
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