愛すべきマリア
知らぬ間に頬をチョコだらけにされているアラバスが、真面目な声を出した。
「不貞というのは、夫が妻以外の女と寝ることだ。妻が夫以外の男と寝ても不貞となる。まあ、たとえ寝ていなくても、心を移しただけで不貞と言われる場合もあるがな」
真面目に答えるアラバスがツボに入ったアレンは、再び腹を抱えて笑いだした。
「夫? アシュはマリアの夫でしょ?」
「ああ、そうだ。そしてマリアは俺の妻だ」
「結婚式したもんねぇ。キラキラの日、楽しかったねぇ」
「そうか、楽しかったのなら何よりだ」
「じゃあマリアがアシュ以外の男の人と寝たら不貞?」
アラバスが驚いたような顔で声を出した。
「マリア! お前と一緒に寝た男がいるのか? 誰だ!」
「バシュだよ。バシュとは毎日一緒にねんねなのよ? だからマリアは不貞してる」
今度はトーマスが盛大に吹き出した。
そんな側近たちを睨みつけながら、アラバスがマリアの髪を撫でた。
「それは不貞ではない。バシュはぬいぐるみだし、俺の代理だろ? でもなぁマリア。頼むからこの三人の前以外で、今の話はするなよ?」
「どして?」
「不貞はいけないことなんだ。マリアはいけない子だと思われたくないだろう?」
「いけない子はお菓子貰えないんだよ」
「そうだ。だから絶対に言ってはダメだ。それから、俺かバシュ以外の何者とも一緒に寝ることは禁止だ。男は論外だが女もダメだぞ」
「うん、わかった。約束ね? じゃあ今日から三人でねんね?」
笑い過ぎのアレンが呼吸困難に陥っているが、アラバスもトーマスも助ける気配がない。
「三人? ああ、俺とマリアとバシュか?」
「うん、もう仲直りしたから一緒にねんねしても良いよ? でも、もういじわるはダメよ? いじわるしないって約束できる? だったらバシュと同じように、抱っこっこねんねしてあげるよ?」
「いじわるなどしないが、抱っこっこねんねとは……いったい何の罰ゲームなんだ? 俺は何を試されているんだ? いっそ拷問だろ」
ついに膝をついて笑いだした側近たちの後ろで、ノックの音がした。
「お夕食の準備が整いました」
チョコレートだらけのマリアの口をきれいに拭いてやってから、アラバスが立ち上がった。
「さあ、マリア。夕食だ」
「うん。じゃあ、お兄ちゃまもアエンもバイバイね~ 明日も一緒に遊ぼうね~」
食卓についたアラバスが、食事前にチョコレートを食べただろうとカーチスに指摘され、少し頬を染めたのはアレンの読み通りだ。
「そんなことより、マリアちゃんの語学力のこと聞いた?」
相当舞い上がっているのか、王妃がたたみ掛けるように話し始めた。
完璧な王家とまで言われていた四人は、マリアのペースにすっかり巻き込まれている。
愛妻の様子に驚いたような顔で国王が声を出す。
「おいおい、カレン? いったいどうしたんだ?」
「ああ、ごめんなさいね、ジョセフ。私ったら舞い上がってしまったわ。あのね、今日ラングレー夫人に聞いたのだけれど、今のマリアちゃんはあのマリア嬢と同等の言葉を話せるんですって。もちろん読み書きもよ」
「なんと! それは凄いな」
驚いた国王がうっかり落としたプチトマトを、自然な仕草で音もなく拾い上げる侍従。
「でもね、読めても書けても意味はわかっていないみたいなの」
「語彙力は三歳児のままということか。それにしても凄いことじゃないか?」
「ええ、私もそう思うわ」
コールドチキンと格闘しているマリアに手を貸してやりながら、アラバスが口を開いた。
「ええ、意味も解らず口にするので、それはそれで大変かもしれません。俺は今日その恐怖を身をもって味わいましたから」
夕方の出来事を話すと、ずっと黙って聞いていたカーチスが、カトラリーをガシャンと落として笑い転げた。
囲んでいる使用人たちは『ここは町の食堂か?』と思ったが、もちろんおくびにも出さないのは流石と言うしかないだろう。
「じゃあ兄上は新婚早々に不貞を犯した下衆男だと思われちゃったの? しかも狐娘に? 笑える! ああ……腹が痛い」
「笑うな!」
「今更凄んでも迫力ないわよ、アラバス。それより狐ちゃんは何をしに来てたのかしら」
国王がスッと右手の人差し指を動かした。
小さく頷いた侍従長が使用人たちを下がらせる。
「新婚夫婦の様子を伺いに来たのではないか?」
「あら、そうかしら。もしかしたら例のお薬の効目を確かめに来たのかも?」
王妃が不穏な言葉を吐いた。
「狐の仕業だと母上はお考えなのですか? でも出所は狸村でしょ?」
カーチスの声に答えたのは父王だ。
「いや、狸村のものではないと報告を受けた。原産国はバッティ王国だ」
「え! シラーズ王国と戦争中のあの隣国ですか?」
「そういうことだ。狸と狐の化かし合いに、どうやら蝙蝠も絡んでいるようだな」
「めんどくさっ!」
アラバスが吐き捨てるように言う。
マリアはいまだコールドチキンと格闘中だ。
「もっと小さくしたいのか? あっ! こらっ、マリア。茸をわざと落とそうとするな!」
「アシュにあげる~」
「ダメだ。好き嫌いをしているとスミレの砂糖漬けはお預けだぞ」
涙目になるマリアを見ながら王妃が呟いた。
「アラバス、あなたはもう子育てに不安はないわね」
それを聞いたカーチスが、トマトのキッシュをのどに詰まらせて咳き込んだ。
「不貞というのは、夫が妻以外の女と寝ることだ。妻が夫以外の男と寝ても不貞となる。まあ、たとえ寝ていなくても、心を移しただけで不貞と言われる場合もあるがな」
真面目に答えるアラバスがツボに入ったアレンは、再び腹を抱えて笑いだした。
「夫? アシュはマリアの夫でしょ?」
「ああ、そうだ。そしてマリアは俺の妻だ」
「結婚式したもんねぇ。キラキラの日、楽しかったねぇ」
「そうか、楽しかったのなら何よりだ」
「じゃあマリアがアシュ以外の男の人と寝たら不貞?」
アラバスが驚いたような顔で声を出した。
「マリア! お前と一緒に寝た男がいるのか? 誰だ!」
「バシュだよ。バシュとは毎日一緒にねんねなのよ? だからマリアは不貞してる」
今度はトーマスが盛大に吹き出した。
そんな側近たちを睨みつけながら、アラバスがマリアの髪を撫でた。
「それは不貞ではない。バシュはぬいぐるみだし、俺の代理だろ? でもなぁマリア。頼むからこの三人の前以外で、今の話はするなよ?」
「どして?」
「不貞はいけないことなんだ。マリアはいけない子だと思われたくないだろう?」
「いけない子はお菓子貰えないんだよ」
「そうだ。だから絶対に言ってはダメだ。それから、俺かバシュ以外の何者とも一緒に寝ることは禁止だ。男は論外だが女もダメだぞ」
「うん、わかった。約束ね? じゃあ今日から三人でねんね?」
笑い過ぎのアレンが呼吸困難に陥っているが、アラバスもトーマスも助ける気配がない。
「三人? ああ、俺とマリアとバシュか?」
「うん、もう仲直りしたから一緒にねんねしても良いよ? でも、もういじわるはダメよ? いじわるしないって約束できる? だったらバシュと同じように、抱っこっこねんねしてあげるよ?」
「いじわるなどしないが、抱っこっこねんねとは……いったい何の罰ゲームなんだ? 俺は何を試されているんだ? いっそ拷問だろ」
ついに膝をついて笑いだした側近たちの後ろで、ノックの音がした。
「お夕食の準備が整いました」
チョコレートだらけのマリアの口をきれいに拭いてやってから、アラバスが立ち上がった。
「さあ、マリア。夕食だ」
「うん。じゃあ、お兄ちゃまもアエンもバイバイね~ 明日も一緒に遊ぼうね~」
食卓についたアラバスが、食事前にチョコレートを食べただろうとカーチスに指摘され、少し頬を染めたのはアレンの読み通りだ。
「そんなことより、マリアちゃんの語学力のこと聞いた?」
相当舞い上がっているのか、王妃がたたみ掛けるように話し始めた。
完璧な王家とまで言われていた四人は、マリアのペースにすっかり巻き込まれている。
愛妻の様子に驚いたような顔で国王が声を出す。
「おいおい、カレン? いったいどうしたんだ?」
「ああ、ごめんなさいね、ジョセフ。私ったら舞い上がってしまったわ。あのね、今日ラングレー夫人に聞いたのだけれど、今のマリアちゃんはあのマリア嬢と同等の言葉を話せるんですって。もちろん読み書きもよ」
「なんと! それは凄いな」
驚いた国王がうっかり落としたプチトマトを、自然な仕草で音もなく拾い上げる侍従。
「でもね、読めても書けても意味はわかっていないみたいなの」
「語彙力は三歳児のままということか。それにしても凄いことじゃないか?」
「ええ、私もそう思うわ」
コールドチキンと格闘しているマリアに手を貸してやりながら、アラバスが口を開いた。
「ええ、意味も解らず口にするので、それはそれで大変かもしれません。俺は今日その恐怖を身をもって味わいましたから」
夕方の出来事を話すと、ずっと黙って聞いていたカーチスが、カトラリーをガシャンと落として笑い転げた。
囲んでいる使用人たちは『ここは町の食堂か?』と思ったが、もちろんおくびにも出さないのは流石と言うしかないだろう。
「じゃあ兄上は新婚早々に不貞を犯した下衆男だと思われちゃったの? しかも狐娘に? 笑える! ああ……腹が痛い」
「笑うな!」
「今更凄んでも迫力ないわよ、アラバス。それより狐ちゃんは何をしに来てたのかしら」
国王がスッと右手の人差し指を動かした。
小さく頷いた侍従長が使用人たちを下がらせる。
「新婚夫婦の様子を伺いに来たのではないか?」
「あら、そうかしら。もしかしたら例のお薬の効目を確かめに来たのかも?」
王妃が不穏な言葉を吐いた。
「狐の仕業だと母上はお考えなのですか? でも出所は狸村でしょ?」
カーチスの声に答えたのは父王だ。
「いや、狸村のものではないと報告を受けた。原産国はバッティ王国だ」
「え! シラーズ王国と戦争中のあの隣国ですか?」
「そういうことだ。狸と狐の化かし合いに、どうやら蝙蝠も絡んでいるようだな」
「めんどくさっ!」
アラバスが吐き捨てるように言う。
マリアはいまだコールドチキンと格闘中だ。
「もっと小さくしたいのか? あっ! こらっ、マリア。茸をわざと落とそうとするな!」
「アシュにあげる~」
「ダメだ。好き嫌いをしているとスミレの砂糖漬けはお預けだぞ」
涙目になるマリアを見ながら王妃が呟いた。
「アラバス、あなたはもう子育てに不安はないわね」
それを聞いたカーチスが、トマトのキッシュをのどに詰まらせて咳き込んだ。