愛すべきマリア
アラバスの視線に気づいたカーチスが言い訳を口にした。
「好きだなんて言ってないよ。好きな女性がいるとは言ったけれどね」
「ああ、それは俺も把握している。安心しろ、お前が狸に会うときは、必ず影が付いていたのだ。問題ない」
「助かった……」
取調室のアレンが、口調を強くした。
「レイラ嬢、あなたが今言ったことには主語がない。誰が誰のことを話していたんだ?」
「え……ラランジェ王女がアラバス殿下のことを……」
「違うよ。ラランジェ王女が話していたのはカーチス殿下のことだ。もちろん好きだと言われたというのは彼女の誤解だがね」
「でも私はずっとアラバス殿下のことを話していたのですわ!」
「はっきりと言いましたか? あの方とか彼とか曖昧な言葉で表現していたのではないの?」
「あ……それは……」
レイラが声を上げて泣き始めた。
アレンは騎士に目配せをして、貴族牢への移送を命じ、鏡に向かって頷いて見せた。
アラバスとカーチスが執務室に戻ると、アレンがすぐにやって来た。
「ご苦労だったな」
「ああ、少し疲れたよ。それで? 狸ちゃんの方は何と言っているんだ?」
カーチスが答える。
「侍女が何を言ったのかは聞いていなかったらしいよ。後はおおむね一緒だね。狸ちゃんは額に切り付けたわけではなく、あれは奪い合ったときの事故だと証言した。まあ、誠実といえば誠実かな。でも、背中の傷は別だよね」
頷いたアレンがアラバスを見る。
「親狐は呼んだの?」
「ああ、宰相が呼び出している。タタンはこちらで連行しよう。騎士団を派遣するよう手配を頼む。絶対に逃がすなと伝えてくれ」
控えていた侍従が部屋を出た。
三人の前にお茶が運ばれ、一息つこうとカップに手を伸ばした瞬間、護衛騎士が執務室に駆け込んできた。
「第一王子殿下、アスター侯爵家より使いの者が手紙を持って参りました」
どうやらトーマスは、王宮へ戻るより先に実家へ立ち寄ったようだ。
「返事を持たせるから待たせておけ。手紙はこちらへ」
開封して読み進めるアラバスが、ニヤッと笑う。
「なるほどな……鬼が出るか蛇が出るか。はたまた天使か救世主か……」
そう言って立ち上がると、上着を手に馬車の準備を命じた。
「俺がすぐに行くと伝えよ。近衛団長が同行するように」
文官たちが走り出すと同時に、アラバスも執務室を後にし、アレンとカーチスは、報告のために立ち上がった。
アラバスと騎士達は騎馬でアスター侯爵邸に向かった。
「お待ちしておりました。アラバス王子殿下」
「ああ、久しぶりだなトーマス。終わったのか?」
「ええ、すぐに片づけても良かったのですが、それだと親子喧嘩の延長になってしまいそうだったので、公にしようと思いましてね。それにしてもまさかアラバス殿下が直接来てくださるとは思いませんでしたよ。先触れを聞いて驚きました」
「法務大臣でも宰相でも良かったのだが、どちらも俺の投げた仕事で大わらわなんだ」
「ああ、ついに動きだしましたか。では私も忙しくなりますね」
「そうだな。まあ、俺にとってはこちらの方がよほど重要な案件だがな」
そう言うなり、アラバスが抱き合ってガタガタと震えるアスター侯爵夫妻に向き直る。
「やあ、久しぶりですね、義父上とその奥方。お元気そうで何よりだ」
アラバスに声を掛けられた二人の肩がビクッと揺れた。
「この二人には引退してもらうことで幕引きにするつもりだったのだが、ここまで来ると流石に許せないのでね。きっちり落とし前はつけてもらう」
そう言ったトーマスに、アスター侯爵が声を荒げた。
「お前! 実の父親を訴えるとでも言うのか! なんて酷い息子なんだ!」
鼻で嗤ったトーマスが机の上にバサッと書類を放り投げた。
「なんて酷い息子? マリアの名前で借金を繰り返し、首が回らなくなったお前らがやったことの方が余程酷いことなのではないのか?」
物凄い剣幕のトーマスが、アラバスに説明した。
「こいつらは、怪我をしたマリアは婚約解消になるだろうと考え、あの子を売ろうとしていたのですよ。流石に国内は拙いとでも考えたのでしょうね。売り先はバッディで、あの国ではかなり有名な変態貴族でしたよ」
「なんだと?」
アラバスの声に一瞬怯んだものの、果敢に言いかえそうとするアスター侯爵。
「だってそうでしょう? あれほどの怪我をした王子妃など使い物にはならないはずだ。親が引き取って、今後の身の振り方を考えてやっただけですよ」
鈍い音がしてアスター侯爵夫妻の体が転がった。
「すみません、我慢できませんでした」
手を出したのはアラバスの護衛として同行した近衛団長だった。
「大丈夫だ。団長がやってなければ俺が殺していたかもしれん。連れていけ。ああ、こ奴らはすでに貴族ではない。一般牢へぶち込んでおけ」
「はっ」
同行していた騎士達が二人を連行していった。
アラバスがトーマスに顔を向ける。
「トーマス・アスター侯爵、そろそろ紹介してくれないか?」
「ああ、こちらはバッディ王国第一王女のダイアナ殿下だ」
品の良いドレスを纏った女性がアラバスの前に進み出た。
「ダイアナ・バッディでございます」
アラバスが紳士の礼で応える。
「アラバス・ワンダーです。ダイアナ王女殿下はなぜこちらに? 正式な訪問があるとは聞いていなかったのだが」
ニコッと笑ったダイアナが、トーマスの横に並び立った。
「ええ、公式な訪問ではございませんの。私、トーマス様に一目惚れしてしまいまして、兄を説き伏せてついてきてしまったのですわ」
「え?」
「ですから、一目惚れですの。巷で言うところの押しかけ女房を目指しているのですわ。さすがに鍋釜下げてというわけには参りませんでしたが、侍女と侍従とメイドと料理人は連れてまいりました」
トーマスが苦笑いを浮かべている。
「マジで?」
「ああ、どうやらね」
「お前の祖父さんは?」
「もろ手を挙げて賛成だってさ。現国王の引退も祝い代わりに請け負ってくださったよ。実は王太子と接触する手助けをしてくれたのがダイアナ殿下だったのだよ。彼女は僕の苗字を聞いて、社交界で小耳にはさんだ噂話を思い出したらしく、調査してくれてマリアの事がわかったんだ。社交界だけの噂は、さすがのお祖父様にも届くのが遅いようだ。このことを知ったお祖父様の怒りはすさまじかったよ。たった一晩でその貴族家を跡形もなく消し去ったのだもの」
「ええ、あの方は本当に恐ろしい力をお持ちですわ。父など逆らうこともできないでしょう」
アラバスがトーマスの顔を見た。
「お前の祖父さんってそんなに凄いの?」
「いや、ほとんど会ったこと無いから僕も知らなかったんだ。ちょっと力を貸して貰えればラッキーくらいだったのだけれど、マリアのことが分かってからは、まさに電光石火だった」
「トーマス様のおじい様は、バッディ王国で知らないものなどいないくらいの大商人ですわ」
「どうりで送られてくる物がとんでもない品ばかりだったはずだな」
「ああ、知っていれば僕もマリアも無駄な貧乏などしなかったのにな。ああ、それとダイアナ王女殿下なのだけれど、当分王宮で預かってくれないか?」
「ああ勿論だ。そのために近衛団長に来てもらった。正式にご招待させていただこう」
「助かるよ。では王女殿下、このまま一緒に参りましょうか」
先導するのは、煌びやかな制服に身を包む近衛団長だ。
王女を乗せた馬車の後ろをアラバスとトーマスが騎馬で進んでいく。
アラバスは、マリアの懐妊をまだ伝えられずにいた。
「好きだなんて言ってないよ。好きな女性がいるとは言ったけれどね」
「ああ、それは俺も把握している。安心しろ、お前が狸に会うときは、必ず影が付いていたのだ。問題ない」
「助かった……」
取調室のアレンが、口調を強くした。
「レイラ嬢、あなたが今言ったことには主語がない。誰が誰のことを話していたんだ?」
「え……ラランジェ王女がアラバス殿下のことを……」
「違うよ。ラランジェ王女が話していたのはカーチス殿下のことだ。もちろん好きだと言われたというのは彼女の誤解だがね」
「でも私はずっとアラバス殿下のことを話していたのですわ!」
「はっきりと言いましたか? あの方とか彼とか曖昧な言葉で表現していたのではないの?」
「あ……それは……」
レイラが声を上げて泣き始めた。
アレンは騎士に目配せをして、貴族牢への移送を命じ、鏡に向かって頷いて見せた。
アラバスとカーチスが執務室に戻ると、アレンがすぐにやって来た。
「ご苦労だったな」
「ああ、少し疲れたよ。それで? 狸ちゃんの方は何と言っているんだ?」
カーチスが答える。
「侍女が何を言ったのかは聞いていなかったらしいよ。後はおおむね一緒だね。狸ちゃんは額に切り付けたわけではなく、あれは奪い合ったときの事故だと証言した。まあ、誠実といえば誠実かな。でも、背中の傷は別だよね」
頷いたアレンがアラバスを見る。
「親狐は呼んだの?」
「ああ、宰相が呼び出している。タタンはこちらで連行しよう。騎士団を派遣するよう手配を頼む。絶対に逃がすなと伝えてくれ」
控えていた侍従が部屋を出た。
三人の前にお茶が運ばれ、一息つこうとカップに手を伸ばした瞬間、護衛騎士が執務室に駆け込んできた。
「第一王子殿下、アスター侯爵家より使いの者が手紙を持って参りました」
どうやらトーマスは、王宮へ戻るより先に実家へ立ち寄ったようだ。
「返事を持たせるから待たせておけ。手紙はこちらへ」
開封して読み進めるアラバスが、ニヤッと笑う。
「なるほどな……鬼が出るか蛇が出るか。はたまた天使か救世主か……」
そう言って立ち上がると、上着を手に馬車の準備を命じた。
「俺がすぐに行くと伝えよ。近衛団長が同行するように」
文官たちが走り出すと同時に、アラバスも執務室を後にし、アレンとカーチスは、報告のために立ち上がった。
アラバスと騎士達は騎馬でアスター侯爵邸に向かった。
「お待ちしておりました。アラバス王子殿下」
「ああ、久しぶりだなトーマス。終わったのか?」
「ええ、すぐに片づけても良かったのですが、それだと親子喧嘩の延長になってしまいそうだったので、公にしようと思いましてね。それにしてもまさかアラバス殿下が直接来てくださるとは思いませんでしたよ。先触れを聞いて驚きました」
「法務大臣でも宰相でも良かったのだが、どちらも俺の投げた仕事で大わらわなんだ」
「ああ、ついに動きだしましたか。では私も忙しくなりますね」
「そうだな。まあ、俺にとってはこちらの方がよほど重要な案件だがな」
そう言うなり、アラバスが抱き合ってガタガタと震えるアスター侯爵夫妻に向き直る。
「やあ、久しぶりですね、義父上とその奥方。お元気そうで何よりだ」
アラバスに声を掛けられた二人の肩がビクッと揺れた。
「この二人には引退してもらうことで幕引きにするつもりだったのだが、ここまで来ると流石に許せないのでね。きっちり落とし前はつけてもらう」
そう言ったトーマスに、アスター侯爵が声を荒げた。
「お前! 実の父親を訴えるとでも言うのか! なんて酷い息子なんだ!」
鼻で嗤ったトーマスが机の上にバサッと書類を放り投げた。
「なんて酷い息子? マリアの名前で借金を繰り返し、首が回らなくなったお前らがやったことの方が余程酷いことなのではないのか?」
物凄い剣幕のトーマスが、アラバスに説明した。
「こいつらは、怪我をしたマリアは婚約解消になるだろうと考え、あの子を売ろうとしていたのですよ。流石に国内は拙いとでも考えたのでしょうね。売り先はバッディで、あの国ではかなり有名な変態貴族でしたよ」
「なんだと?」
アラバスの声に一瞬怯んだものの、果敢に言いかえそうとするアスター侯爵。
「だってそうでしょう? あれほどの怪我をした王子妃など使い物にはならないはずだ。親が引き取って、今後の身の振り方を考えてやっただけですよ」
鈍い音がしてアスター侯爵夫妻の体が転がった。
「すみません、我慢できませんでした」
手を出したのはアラバスの護衛として同行した近衛団長だった。
「大丈夫だ。団長がやってなければ俺が殺していたかもしれん。連れていけ。ああ、こ奴らはすでに貴族ではない。一般牢へぶち込んでおけ」
「はっ」
同行していた騎士達が二人を連行していった。
アラバスがトーマスに顔を向ける。
「トーマス・アスター侯爵、そろそろ紹介してくれないか?」
「ああ、こちらはバッディ王国第一王女のダイアナ殿下だ」
品の良いドレスを纏った女性がアラバスの前に進み出た。
「ダイアナ・バッディでございます」
アラバスが紳士の礼で応える。
「アラバス・ワンダーです。ダイアナ王女殿下はなぜこちらに? 正式な訪問があるとは聞いていなかったのだが」
ニコッと笑ったダイアナが、トーマスの横に並び立った。
「ええ、公式な訪問ではございませんの。私、トーマス様に一目惚れしてしまいまして、兄を説き伏せてついてきてしまったのですわ」
「え?」
「ですから、一目惚れですの。巷で言うところの押しかけ女房を目指しているのですわ。さすがに鍋釜下げてというわけには参りませんでしたが、侍女と侍従とメイドと料理人は連れてまいりました」
トーマスが苦笑いを浮かべている。
「マジで?」
「ああ、どうやらね」
「お前の祖父さんは?」
「もろ手を挙げて賛成だってさ。現国王の引退も祝い代わりに請け負ってくださったよ。実は王太子と接触する手助けをしてくれたのがダイアナ殿下だったのだよ。彼女は僕の苗字を聞いて、社交界で小耳にはさんだ噂話を思い出したらしく、調査してくれてマリアの事がわかったんだ。社交界だけの噂は、さすがのお祖父様にも届くのが遅いようだ。このことを知ったお祖父様の怒りはすさまじかったよ。たった一晩でその貴族家を跡形もなく消し去ったのだもの」
「ええ、あの方は本当に恐ろしい力をお持ちですわ。父など逆らうこともできないでしょう」
アラバスがトーマスの顔を見た。
「お前の祖父さんってそんなに凄いの?」
「いや、ほとんど会ったこと無いから僕も知らなかったんだ。ちょっと力を貸して貰えればラッキーくらいだったのだけれど、マリアのことが分かってからは、まさに電光石火だった」
「トーマス様のおじい様は、バッディ王国で知らないものなどいないくらいの大商人ですわ」
「どうりで送られてくる物がとんでもない品ばかりだったはずだな」
「ああ、知っていれば僕もマリアも無駄な貧乏などしなかったのにな。ああ、それとダイアナ王女殿下なのだけれど、当分王宮で預かってくれないか?」
「ああ勿論だ。そのために近衛団長に来てもらった。正式にご招待させていただこう」
「助かるよ。では王女殿下、このまま一緒に参りましょうか」
先導するのは、煌びやかな制服に身を包む近衛団長だ。
王女を乗せた馬車の後ろをアラバスとトーマスが騎馬で進んでいく。
アラバスは、マリアの懐妊をまだ伝えられずにいた。