愛すべきマリア
「さあ! 気を取り直して頑張ろう。まずはトーマスだな。花束の準備はできているぞ」

 アレンがカラ元気を振り絞った。

「はぁぁぁぁぁぁぁ……」

 シラーズ王国沖にあると言われているマリーナ海溝より深いため息をついたトーマスが、のろのろと歩き出した。
 その背中をバシッと叩いたアレンが、明るい声を出す。

「まあ頑張ってくれ。なんだか自信が無さげだな……何ならリハーサルでもする?」

「そうだな。心の準備も必要だが、なんと言えばよいのか皆目見当もつかないんだ」

 四人はアラバスの執務室に移動して、プロポーズの予行演習を始めた。
 それぞれが思い思いの言葉でプロポーズの言葉を口にする。
 ダイアナの役は、唯一の既婚者であるアラバスだった。

「もう俺は誰にもプロポーズをする必要は無いからな」

 というのが言い訳だったが、絶対に恥ずかしいだけと言うことはバレバレだ。

「誰のが一番心に響いた?」

 三人が三様の決め台詞を吐いた後、アレンがアラバスに聞く。

「心にはまったく響かんが、それぞれ個性があって興味深かった。トーマスは固すぎるし、アレンは軽すぎる。カーチスはそれ以前の問題だな、語彙力をもう少し身につけろ」

 三人は肩を落とした。

「もうド直球で良いんじゃないか? 成功を目指しているわけじゃないんだし、もし成功しても困るだろ? 捻る必要は無いから『好きになりました。すぐに結婚しましょう。初夜はもうめちゃくちゃ頑張りますので、乞うご期待!』これでいい」

 完全に人ごとのようなアラバスの言葉だったが、トーマスは妙に納得している。

「わかった、それにしよう。行ってくる!」

 廊下で控えていた侍従から真っ赤なバラの花束を受け取ったトーマスが、ドシドシと足音を立てながら客間へ向かっていった。

「行く?」

「当然だろ」

「行かいでか!」

 三人は足音を忍ばせてトーマスを追った。
 その後ろには護衛騎士達、またその後ろには興味津々の侍女たちが続いていることを、トーマスは知らない。
 ダイアナ王女が滞在している客間の扉の前で、何度か深呼吸をしたトーマスが、意を決してノックをした。

「ダイアナ王女殿下、トーマス・アスターです」

 部屋に配置されていた騎士が、後ろに続く人波に啞然としている。
 中から侍女が顔を出し、無言のまま頭を下げてドアを大きく開いた。
 隣の部屋へと雪崩れ込んだやじ馬たちは、壁にコップを当てて盗み聞き体制をとった。

「まあ! トーマス様。お会いしとうございましたわ」

 少しくぐもってはいるが、思ったより鮮明に聞こえる。

「一昨日ぶりですね、ダイアナ王女殿下。今日はお話しがあって参りました」

「お話し? 愛しのトーマス様からのお話しだなんて、少々緊張してしまいますわね。あら、素敵なバラですこと! 情熱の赤いバラなんて……うふふ」

 どうやらプロポーズの言葉の前に花束を渡したようだ。

「何やってんだ、あいつは」

 アレンがイラついたように呟いた。
 トーマスがゴクッと喉を鳴らす。

「ダイアナ殿下、僕と結婚してください。すぐに式を挙げましょう。初夜は絶対に後悔させない自信があります! すぐに孕ませます! よろしくお願いします!」

 隣室で聞いていた全員が溜息を漏らす。

「ド直球どころかボークだろ。寝ることしか言ってない」

 アレンの声に、再び全員が溜息をついた。

「まあ! このように情熱的な告白は初めてですわ!」

 王女の声に、再び室内では盗み聞き体制がとられる。

「あれほど曖昧なお返事しか下さらなかったのに、どういう風の吹き回しですの?」

「あ……それはアレです。なんと言うか……まあ、そんな感じです」

 まったく意味不明ではある。

「そうですか。あまりにも急ですもの。少しお返事にお時間をいただけないかしら。兄にも相談しとうございますし」

「そうですよね。まあ、王女は押しかけ女房を公言されてここにいらしたわけですから、兄上が反対なさるとは思えないけれど、けじめというか、そういうのは必要ですよね。いつまで待てばよろしいですか?」

 隣室で再びアレンが声を出した。

「押すなぁ……ノッてきたか?」

「何かが憑依したのかもしれんな」

 めったに聞くことのないアラバスのジョークに、全員が目を剝いた。

「もし答えがイエスなら、トーマスには悪いことをしてしまったかもしれん」

 アレンが後悔の言葉を口にしつつも、顔はニヤケまくっている。

「まあ、それも運命だよね」

 最年少のカーチスの言葉が重たい。
 再び王女が声を出した。

「ええ……そうですわね……一週間ほど?」

 今度はトーマスが声を出す。

「え? それで大丈夫ですか?」

「ええ……おそらく。すぐに手紙を出しますわ」

「わかりました。では一週間後にまたお伺いいたします」

 隣の客間のドアが開く音がした。
 トーマスが歩き出したのを確認した傍聴人たちが出てくる。

「なんだ? 遠足か?」

 トーマスの問いに答えるものはいなかった。
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