愛すべきマリア
その頃廊下では侍従長が投げた暗器を腿に受けたシーリスが、悔しそうに顔を歪めていた。
「お前……裏切ったか」
侍従長が表情も変えずに口を開いた。
「裏切った? バカを言え。息子の愚行を止めるのは父親としての責任だ。安心しろ、一緒に死んでやる」
「あの女を見殺しにするのか?」
「あの女とは、腹を痛めてお前を産んでくれた母親のことを言っているのか? シーリス、お前は優しい子だったんだ。母親のことが大好きで、彼女が焼くミートパイが大好きで……あの頃のお前はどこに行ってしまったんだ!」
「フンッ! 大義の前ではそのような感傷などただのゴミさ」
侍従長が深い溜息を吐いた。
シーリスがニヤッと笑う。
「まあいい、俺の仕事は終わったんだ。今頃あの小娘はリーベルが連れ去っているだろうからな。ははは! バカな奴らだ。これで国王陛下の夢に一歩近づけたというものだ」
後ろからアラバスが声を出した。
「殺すな! 捕えよ!」
ぎょっと振り返ったシーリス。
その隙を逃さず間合いを詰める侍従長。
暗器を投げようとする侍従長の手を止めたのはトーマスだった。
「捕えよとのご命令です。武器を捨てなさい」
へたり込んだ侍従長の肩に、シーリスが迷わず短剣を振り下ろした。
鋭い金属音が響き、短剣を握ったままのシーリスの腕が宙を舞う。
「貴様はどこまでクズなんだ!」
トーマスの剣先に血がついている。
切られた腕を抑えて蹲るシーリスの上に、侍従長が自分の体を投げ出した。
「どうか……どうかご容赦を」
「この期に及んでもなお庇うのか。親の愛とは……なんとも切ないものだな」
トーマスの声は必死で息子の体を隠そうとする侍従長には届かなかった。
騎士達が二人を捕縛し、連行していく。
客間からカーチスが戻り、ポンとトーマスの肩に手を置いた。
「トーマスって草刈り上手いよね。耳の次は腕かい?」
トーマスが真顔のまま答える。
「まあそう言うな。殺さないだけマシな方だろ。アレンなら切り刻んでいる」
アラバスが近寄ってきた。
「俺は国王陛下に報告に行く。お前たちは例の手紙の準備を頼む」
トーマスが頷き、カーチスと共に執務室へと向かった。
国王の執務室へ入ったアラバスは、さっきまでの出来事などどこ吹く風とでもいうように、優雅な仕草でレモンパイをつまむ国王夫妻と我が妻の姿に溜息を吐いた。
「終わったのかしら?」
王妃がマリアの口を拭いてやりながら訪ねた。
「はい。侍従長親子三人は地下牢へと繋ぎました。これで、シラーズとバッディ、そして我が国の草刈りは完了です」
「ご苦労様。少し遅かったけれど、まあ許容範囲ね。これからどうするの?」
「ダイアナに偽の手紙を渡して誘い出します。そろそろバッディにいるアレンから連絡が来るでしょうから、今後の動きはその返事次第ですね」
国王が鷹揚に口を開いた。
「お前も食べるか? このレモンパイならマリアも口にするんだ。あとはレモンゼリーと、レモンシャーベットなら食べられるんだよね? 子うさぎちゃん?」
アラバスの肩が大きく揺れた。
「こ……こうさぎ……」
「違ったか? 確かそう聞いたが?」
「誰に……誰に聞かれたのでしょうか……父上……」
「ん? 影の者だ。奴らにはすべて報告するよう申し付けてあるからな」
アラバスが声を荒げた。
「今すぐ! 今すぐそんな命令は撤回してください!」
王妃が間髪を入れず言った。
「却下」
「母上……俺のプライバシーは?」
アラバスの悲痛な声に返事をする者はいない。
がっくり肩を落としたアラバスにマリアが声をかけた。
「アシュ? どうしたの? お腹痛いの? 治れ治れする?」
「いや……大丈夫だ。しかしどうしてだろうか、なんだかいっそ清々しい気分だよ」
「そう? 良かったねぇ、アシュ」
「ああ……これもマリアのお陰だな」
マリアが自慢げな顔をした。
「ねえ、アシュ。マリアのおへそがきれいになったんだよ? 見る?」
ワンピースドレスの裾をまくろうとするマリアを、王妃が慌てて止めた。
「マリアちゃん、ここでは止めましょうね。アシュに見せるなら、夜に二人きりになってからにした方がいいと思うわ」
どうせ影に見張らせているくせに……とは思ったが口にはしないアラバス。
王妃がアラバスに向かって説明した。
「お腹が大きくなってくるとね、おへそが伸びて、中のゴマがきれいにとれちゃうの。浅い傷のような感じになるのよ。なかなか見られないものだから見せてもらいなさいな」
国王が頷く。
「おう、それが良い。私もカレンに見せてもらったことがあるが、なかなか興味深いぞ」
「そうですか……」
国王が立ち上がってアラバスに声をかけた。
「侍従長に会う。お前も来い」
「はい」
国王が王妃の頬に手を当てた。
「では行ってくるよ。私のかわいい小猫ちゃん」
「ええ、行ってらっしゃいませ。早くお戻りになってくださいね?」
国王が王妃の頬に唇を寄せた。
「お前は? しなくていいのか?」
マリアがキラキラした目でアラバスを見ている。
大きなため息を吐いたアラバスがマリアに近づいた。
「では行ってくるよ。俺のかわいい子ウサギちゃん」
「はぁ~い、いってっしゃい!」
そんな二人を見ながら国王が呟いた。
「セリフまんまぶったくりじゃねぇか。手ぇ抜きやがって」
その言葉をまるっと無視したアラバスは、手を振るマリアに笑顔を向けてから国王の後を追った。
「お前……裏切ったか」
侍従長が表情も変えずに口を開いた。
「裏切った? バカを言え。息子の愚行を止めるのは父親としての責任だ。安心しろ、一緒に死んでやる」
「あの女を見殺しにするのか?」
「あの女とは、腹を痛めてお前を産んでくれた母親のことを言っているのか? シーリス、お前は優しい子だったんだ。母親のことが大好きで、彼女が焼くミートパイが大好きで……あの頃のお前はどこに行ってしまったんだ!」
「フンッ! 大義の前ではそのような感傷などただのゴミさ」
侍従長が深い溜息を吐いた。
シーリスがニヤッと笑う。
「まあいい、俺の仕事は終わったんだ。今頃あの小娘はリーベルが連れ去っているだろうからな。ははは! バカな奴らだ。これで国王陛下の夢に一歩近づけたというものだ」
後ろからアラバスが声を出した。
「殺すな! 捕えよ!」
ぎょっと振り返ったシーリス。
その隙を逃さず間合いを詰める侍従長。
暗器を投げようとする侍従長の手を止めたのはトーマスだった。
「捕えよとのご命令です。武器を捨てなさい」
へたり込んだ侍従長の肩に、シーリスが迷わず短剣を振り下ろした。
鋭い金属音が響き、短剣を握ったままのシーリスの腕が宙を舞う。
「貴様はどこまでクズなんだ!」
トーマスの剣先に血がついている。
切られた腕を抑えて蹲るシーリスの上に、侍従長が自分の体を投げ出した。
「どうか……どうかご容赦を」
「この期に及んでもなお庇うのか。親の愛とは……なんとも切ないものだな」
トーマスの声は必死で息子の体を隠そうとする侍従長には届かなかった。
騎士達が二人を捕縛し、連行していく。
客間からカーチスが戻り、ポンとトーマスの肩に手を置いた。
「トーマスって草刈り上手いよね。耳の次は腕かい?」
トーマスが真顔のまま答える。
「まあそう言うな。殺さないだけマシな方だろ。アレンなら切り刻んでいる」
アラバスが近寄ってきた。
「俺は国王陛下に報告に行く。お前たちは例の手紙の準備を頼む」
トーマスが頷き、カーチスと共に執務室へと向かった。
国王の執務室へ入ったアラバスは、さっきまでの出来事などどこ吹く風とでもいうように、優雅な仕草でレモンパイをつまむ国王夫妻と我が妻の姿に溜息を吐いた。
「終わったのかしら?」
王妃がマリアの口を拭いてやりながら訪ねた。
「はい。侍従長親子三人は地下牢へと繋ぎました。これで、シラーズとバッディ、そして我が国の草刈りは完了です」
「ご苦労様。少し遅かったけれど、まあ許容範囲ね。これからどうするの?」
「ダイアナに偽の手紙を渡して誘い出します。そろそろバッディにいるアレンから連絡が来るでしょうから、今後の動きはその返事次第ですね」
国王が鷹揚に口を開いた。
「お前も食べるか? このレモンパイならマリアも口にするんだ。あとはレモンゼリーと、レモンシャーベットなら食べられるんだよね? 子うさぎちゃん?」
アラバスの肩が大きく揺れた。
「こ……こうさぎ……」
「違ったか? 確かそう聞いたが?」
「誰に……誰に聞かれたのでしょうか……父上……」
「ん? 影の者だ。奴らにはすべて報告するよう申し付けてあるからな」
アラバスが声を荒げた。
「今すぐ! 今すぐそんな命令は撤回してください!」
王妃が間髪を入れず言った。
「却下」
「母上……俺のプライバシーは?」
アラバスの悲痛な声に返事をする者はいない。
がっくり肩を落としたアラバスにマリアが声をかけた。
「アシュ? どうしたの? お腹痛いの? 治れ治れする?」
「いや……大丈夫だ。しかしどうしてだろうか、なんだかいっそ清々しい気分だよ」
「そう? 良かったねぇ、アシュ」
「ああ……これもマリアのお陰だな」
マリアが自慢げな顔をした。
「ねえ、アシュ。マリアのおへそがきれいになったんだよ? 見る?」
ワンピースドレスの裾をまくろうとするマリアを、王妃が慌てて止めた。
「マリアちゃん、ここでは止めましょうね。アシュに見せるなら、夜に二人きりになってからにした方がいいと思うわ」
どうせ影に見張らせているくせに……とは思ったが口にはしないアラバス。
王妃がアラバスに向かって説明した。
「お腹が大きくなってくるとね、おへそが伸びて、中のゴマがきれいにとれちゃうの。浅い傷のような感じになるのよ。なかなか見られないものだから見せてもらいなさいな」
国王が頷く。
「おう、それが良い。私もカレンに見せてもらったことがあるが、なかなか興味深いぞ」
「そうですか……」
国王が立ち上がってアラバスに声をかけた。
「侍従長に会う。お前も来い」
「はい」
国王が王妃の頬に手を当てた。
「では行ってくるよ。私のかわいい小猫ちゃん」
「ええ、行ってらっしゃいませ。早くお戻りになってくださいね?」
国王が王妃の頬に唇を寄せた。
「お前は? しなくていいのか?」
マリアがキラキラした目でアラバスを見ている。
大きなため息を吐いたアラバスがマリアに近づいた。
「では行ってくるよ。俺のかわいい子ウサギちゃん」
「はぁ~い、いってっしゃい!」
そんな二人を見ながら国王が呟いた。
「セリフまんまぶったくりじゃねぇか。手ぇ抜きやがって」
その言葉をまるっと無視したアラバスは、手を振るマリアに笑顔を向けてから国王の後を追った。