愛すべきマリア
「洗脳されたお前に言うわけがない。命を懸けて助け出したのに、また連れ去られてしまうじゃないか」

「そんな! そんなことするわけがないだろ!」

「そうか? お前なら絶対にするだろ。お前はあのバカどもの為なら、何でもするような下衆で最低な奴じゃないか。僕は父親の判断は正しかったと思うぜ?」

「そんなわけがあるか! 母を……母を守るために俺は……」

「母を守るために、弟を巻き込み父親を殺そうとしたのか? 何の罪もないマリアとラランジェの人生がどうなろうと関係ないのか? 母親さえ生きていればそれでいいのか? どこまで傲慢なんだ!」

 シーリスが唇をかんだ。

「お前の母親はずっと歌を歌っているよ。人形を抱いて幸せそうにな。心臓は動いているが、脳が委縮しているらしい。介助があれば歩くこともできるが、怯えて部屋からは出ようとしない。面会できるのは夫であるお前の父親だけだ。それ以外の人間を見るとパニックを起こす」

「かあさん……」

「アラバス殿下はマリアの夫だ。そして僕はマリアの兄さ。僕たちはマリアが何よりも大切なんだ。だからお前の気持ちも少しは理解できる」

 シーリスが不思議そうな顔でトーマスを見た。

「要するに、今から僕がやることは、お前がやろうとしたことと同じだという事さ。マリアを守るために、お前の母親を利用する。彼女がどうなろうが関係ないね。だって大切なマリアのためだもの。マリアさえ幸せに生きていればそれで良いんだ。なあ、お前の母親を西の国に戻したらどうなるのだろうな? まあその前に屈強な兵士たちの前に引き摺り出そうか? 混乱して心臓が止まるかな。それとも……」

「……て……くれ」

「なに? 何か言った?」

「頼む……止めてくれ……これ以上母を……痛めつけないでくれ」

 トーマスが立ち上がり、震えるシーリスを見下ろした。

「なぜ? 自分の大切な人を守るためだ。僕は何だってやるよ? 君も同じだろ?」

 シーリスが泣き出した。

「すみません……すみません……俺が……俺が間違っていました」

 アラバスが声を出した。

「お前は俺かトーマスがそう言ったら止めたか?」

「それは……」

「だろ? だから俺たちも止めない」

 シーリスが顔を上げた。

「俺はどうなってもいい! 母は……母は助けてくれ……何でもするから! 何でもしますから母を助けてください。お願いします……お願いします……」

「西の国に戻って王太子を殺せと言ったらやるか?」

「やります! 必ずやり遂げます!」

 トーマスとアラバスは顔を見合わせて溜息を吐いた。

「バカか、お前など信用できるわけがない。諦めろ、それがお前のやってきたことだ」

「そんな……」

「さあ、色々話してもらおうか。お前の言ったことが全て本当だと裏付けが取れたら、少しは考えてやってもいい」

 シーリスはその場に正座して、聞かれたこと全てに答えた。
 その姿を見て、アラバスとトーマスは同じことを感じている。
 独房に戻されたシーリスの背中を見ながら、アラバスがポツリと言う。

「西の国は許せんな」

「ああ、僕は不戦主義だが、今回ばかりはあの王家を殲滅したいという欲求を抑えることができそうにない」

「その通りだ。侍従長たちも犠牲者だよな。それにしても母親の話は本当なのか?」

「半分は本当だよ。夫によって助け出されたのはいいが、逃亡途中で亡くなったんだ。追手の恐怖にパニックを起こして崖から飛び降りたそうだ。遺体を回収し近くの村に墓を作って葬った時、手伝った村人の子供が人形を一緒に埋めてくれたのだと、泣きながら言っていたよ」

「そうか。それにしても、新たな人質は要求されなかったんだな」

 アラバスの問いにトーマスが答える。

「いなくなったことさえ気づいていないのだろう。それだけの存在ということだよ」

「それで人生を狂わせた者がいることなど、考えたことも無いのだろうな」

「ああ、奴らはクソだ」

「クソに翻弄された人生か……悲しいな」

 そう言ったアラバスにトーマスが言った。

「アラバス、君は一歩間違えると同じことができる立場にいる。そのことの恐ろしさを心に刻んで正しく生きてくれ」

「もちろんだ。王族であることの意味を改めて学ばせてもらったような気がするよ」

「頼んだぞ。もし道を外れそうになったら、僕がこの手で引導を渡してやる」

「ああ、よろしく頼むよ。まあ心配するな。マリアがいる限り、俺は間違ったりしない」

 二人はゆっくりと地下牢を出た。
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