愛すべきマリア
「ただいま」

 久しぶりに会うアレンは、相変わらず飄々としていたが、その顔には深い疲労の色が滲んでいる。

「お疲れさん。首尾は?」

 迎えに出たトーマスがニコニコと笑った。

「予定通りさ。王太子が無事に即位したよ。前王は側妃たちと一緒に離宮送りだ」

「前王妃陛下は?」

「離婚してご実家に戻られた。ご実家は筆頭公爵家なのだが、当主がまだ若くてね。前王妃陛下の姪孫になるのだが、まだ七つなんだ。前王妃陛下にとっては兄の孫なのだが、その兄夫婦も兄の子夫婦もすでに亡い。彼女が戻るのが最善だったんだよ」

「なるほどね」

「現王は前王妃の息子だからね、強力な後ろ盾にもなれる。しかも君のお祖父様が全面バックアップすると約束なさったしね。それにしてもあのじいさん、食えねえなぁ。お前のその性格の悪さは間違いなくあのじいさんから譲り受けていると思ったよ」

「ほっとけ。それよりそちらは?」

 まだ息の荒い馬を気遣いながら、首を撫でている男の方に首をしゃくるトーマス。
 アレンが肩を竦めて小声で答えた。

「バッディの新王様さ。客間の準備を頼む。用意ができたら国王陛下に謁見したい」

 トーマスの顔がぐっと引き締まった。
 アレンが慌てて言う。

「お忍びなんだ。ここで身分を明かすのは拙い」

「了解した。ではここでの挨拶は控えさせていただこう」

 トーマスが先導し、アレンとバッディ新王が歩き出す。
 トーマスの指示で、ダイアナの部屋から一番遠い客間が準備された。
 部屋に入った一行は、改めて挨拶を交わす。

「新王御自らおいでになるとは、些か驚きましたよ」

 すぐに部屋を訪ねたアラバスが握手を求めながら口を開いた。

「お久しぶりですね。新王といってもつい最近ですし、何より我が妹が絡んでいると聞きました。兄としてはなんとかしないといけません」

 アラバスが頷いてから続ける。

「湯あみと着替えをなさったら、すぐに我が父王の部屋に案内いたします。詳細はその時に」

「わかりました。三十分下さい。ずっと駆けてきたので酷い有様でしょう?」

 二人はもう一度握手を交わし部屋を出た。
 アレンも湯あみと着替えを済ませるために自室に戻る。
 アラバスとトーマスは、諸準備のために執務室へと向かった。

「どうせならシラーズの新王も呼べばよかったな」

 アラバスの声に、執務室で待機していたカーチスが頷く。

「本当にそうだよね。誰かしっかりと留守番ができる者さえいれば来るんじゃないかな。彼はとてもフットワークが軽いから」

「一応誘ってみるか。とりあえず今夜はダイアナを片づけよう。シラーズとバッディの休戦協定はそれからだ」

 トーマスが頷く。

「その証としてシラーズの第一王女がバッディに輿入れとすれば、対外的にも納得できるものだよ。良いんじゃないか?」

 カーチスが懐から封書を出しながら言った。

「今夜二十時にバラ園の東屋だ」

「また遅い時間にしたのだなぁ」

「うん、その方がリアルでしょ?」

 三人は頭を寄せ合って段取りの相談をした。

「お待たせ。バッディ王が三十分なんていうから大急ぎだったよ」

 そう言いながらも小ざっぱりした笑顔を浮かべるアレン。

「時間がない。詳細の報告は国王と共に聞こう」

 久々に顔をそろえた四人は、バッディ新王を迎えに行き、そのまま国王の執務室へと向かった。
 ワンダリア王国国王が立ち上がり、新王を迎える。

「さすがの若さですな。行動力がおありになる」

 ワンダイリア王の言葉にバッディ新王が笑顔を浮かべる。

「新王と申しましても、ほんの数日前でしたし、即位式もまだ執り行っておりませんので、自覚が足りないのでしょう。この度、バッディ王国第十四代国王となりましたハミエル・ロンダート・バッディと申します。よろしくご指導賜りますよう伏してお願い申し上げます」

 ワンダリア王がにこやかに差し出した手を握りながら、バッディ王が丁寧な挨拶をした。

「こちらこそよろしく。シラーズも新王が誕生したことはお聞き及びでしょう。そろそろわが国も世代交代すべきでしょうな」

 それには答えず、バッディ王が真剣な表情に戻した。

「我が妹がとんでもないご迷惑をおかけしたと聞きました。なんとお詫びすれば良いのやら……本日まかり越しましたのは、ダイアナの兄として責任を果たすためでございます」

 ワンダリア王が頷いた。
 アラバスが声を出す。

「では早速始めましょうか」

 男たちは円卓を囲み、今後の動きを話し合った。
 今夜の段取りが済むと、話題はシラーズの新王に移る。
 なるべく早く顔を合わせて話し合いをすべきという意見で一致した。

「ではカーチスを迎えにやりましょう。その前に鷹を飛ばします。すぐに動いたとして三日でしょうか」

 アラバスの声にカーチスが立ち上がった。

「すぐに準備をします」

 出ていくカーチスを見送ったワンダリア王が口を開いた。

「今夜の件ですが、私は知らないことにしましょう。国ではなく個人として片づけた方が良さそうだ。わが国の第一王子側近が結婚詐欺に遭い、それを聞きつけた加害者の兄が妹を諫めに来た。それでどうだろうか」

 トーマスがボソッと言う。

「結婚詐欺……」

 バッディ王が苦い顔で声を出した。

「それにしてもダイアナはいったいいつからこのようなことを……西の国と我が国は国交を断絶しているわけではありませんが、さほど仲が良いという事でも無いのですが」

 アレンが口を開いた。

「シラーズには私も行きましたが、どうやら西の国が各国に放っていた『草』の存在が大きいようです。彼らを使い個人的な接触を図ったのでしょう」

「優秀な草を持ちながら、なんともお粗末なことですね」

「草たちも何代か続くうちに、実際に仕えている主に傾倒するのは当然かもしれません。ましてや人質をとって強制するような王たちには、いくら祖国とはいえ思うところがあったのでしょう。シラーズの草もバッディの草も根絶やしにできましたので、良かったですよ」

 アラバスがアレンを見た。

「お前は留守だったから知らないだろう? 我が国に潜んでいた草が誰か」

 アレンが頷く。

「うん、知らない。誰だったの? もう捕まえたのでしょう?」

「侍従長だよ。彼が『草』で王の交代と同時に次男が引き継ぐ予定だったそうだ。長男は西の国に洗脳され、直下部隊で暗躍していた」

 アレンが驚いた顔をする。

「おいおい、あの侍従長が? 俄かには信じがたいが……シラーズの草も宰相だったし、それなりの地位ある者だとしても不思議ではないが、それにしても……」

 空気が沈む。
 草という過酷な運命に翻弄された者たちを思うと、誰も何も言えなかった。
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