愛すべきマリア
「みんなで何してるの? もう遅い時間だからお部屋に戻らないとダメなんだよ? じょじょちょが怒ると怖いんだから」
無邪気な顔で小首をかしげるマリア。
そういう自分も外にいるじゃないかと突っ込みたいが、それを口にする勇気を持つ者はいなかった。
「あっ、初めましての方が二人いるのね。えっと……初めまして、私はアラバス・ワンダリアが妻、マリアと申しましゅ……あっ嚙んじゃった」
舌足らずではあるが、きちんと教えられたとおりの挨拶をしたマリアは、目が覚めるほど美しいカーテシーを披露した。
アラバスが木陰から出てきて急いでマリアを抱き寄せる。
「マリア、こちらはバッディの国王であらせられる。そしてこちらは妹君のダイアナ殿下だ。マリアこそこんな時間に出歩いてはいけないよ? メイドや騎士はどうした?」
「少しお腹が空いたからこっそり抜けてきたの。アシュの部屋を通れば誰も気づかないでお部屋を出られるのよ。知らなかったでしょ? ふふふ」
バッディの王とダイアナが目をまん丸にしてマリアを見詰めていた。
無邪気な笑顔でアラバスを見上げるマリア。
アラバスの慌てぶりに、我に返ったバッディ王が挨拶の言葉を唇に載せる。
「これは失礼しました。バッディ王国第十四代国王となりましたハミエル・ロンダート・バッディと申します。アレン殿からお噂は伺っておりましたが、なるほどお美しい。羨ましいですよ、アラバス殿下」
アラバスが困ったような顔で小さく頷いた。
トーマスがマリアの横に立ち、小声で言う。
「マリア、僕たちは大切な話があって集まっていたんだ。すぐに部屋に戻りなさい」
マリアがじっとトーマスを見る。
「うん。でもね、みんなもお腹が空いているのでしょう? みんな怖い顔をしているもの」
そう言うと何の迷いもなくダイアナの手を取ったマリア。
「一緒に行きましょ? お腹が空いていると悲しい事しか思い浮かばなくなっちゃうから」
ダイアナが困った顔でトーマスを見た。
「この方が……第一王子殿下の正妃様ですの? なんと申しますか……」
アレンが口を挟んだ。
「マリア妃殿下の仰る通りですね。腹が減ってはなんとやら。ここは全員で盗み食いといきましょう。全員共犯になれば、あの料理長も怖くない」
バッディ王がプッと吹き出した。
「盗み食いですか。残念ながら私には一度も経験がありませんね。マリア妃殿下、それは楽しいのでしょうか?」
マリアが満面の笑みで頷いた。
「喜んでご一緒させていただきましょう」
バッディ王の言葉に、全員が頷いた。
「盗み食いだから、堂々と歩いてはダメ。見つからないようにこっそりと移動するのよ。背中を丸めて足音をさせないの」
マリアが仕切っている。
先頭はアレンで、その後ろにアラバスと手を繋いだマリアが続き、マリアに手を握られたままのダイアナがきょろきょろしながら付いてゆく。
全員が少し屈んだ姿勢で肘を曲げ、手首から先をだらっと下げた姿勢で木々の影を縫うように王宮へと向かって歩いていた。
「なんとも可愛らしい妹君ですね」
後ろを歩きながらバッディ王がそう言うと、トーマスがとろけそうな笑顔を浮かべた。
「ええ。残念ながらマリアにとっての一番の座は、アラバスに奪われてしまいましたが、嫁いでしまった今でも可愛くて仕方が無いのですよ。幼いころからずっと、僕が努力をする理由はマリアの存在でしたから」
「羨ましいような兄妹関係ですね」
ニコッと笑ったトーマス。
「さあ、参りましょう。人生初の盗み食いだ。失敗は許されません」
二人は頷きあって先頭集団を追った。
「何か残ってるの?」
一番最初に厨房に入ったアレンがマリアに聞く。
「うん、大丈夫。あそこの棚にパンがあるの。そしてあそこの扉の向こうにはお肉と卵が入っているわ。お野菜はそこにあるでしょう?」
「マリアちゃん? いつもこんなことしてるの?」
「だってお腹が空いて仕方がないんだもの」
アラバスがマリアに言う。
「そういう時はメイドを呼んで持ってこさせれば良い」
マリアがアラバスの鼻を人差し指で押さえながら言った。
「それじゃ面白くないでしょ?」
「ああ……そっちか」
マリアはまだダイアナの手を握ったままだ。
追いついたバッディ王とトーマスも厨房に体を滑り込ませる。
「誰が作るんだ?」
アラバスの声にマリアが振り返る。
「アシュ、大きな声をしちゃだめ! マリアが作るから大人しく待っていなさい!」
そう言うとテキパキとパンを棚から出していく。
爪先立ちになりながら手を伸ばす姿が愛らしい。
思わずバッディ王が声をかけた。
「それなら私でもできますから、王子妃殿下はご指示ください」
マリアがバッディ王の顔を真顔で見た。
「おうじひでんかじゃなくてマリアよ?」
「マリアって呼んでも良いのですか?」
「うん、いいよ」
アラバスが何かを言いかけたが、ぐっと堪えた。
「では私のこともハミエルとお呼びください」
「じゃあハミちゃんね? あなたはアナちゃんでいい?」
マリアがダイアナの顔を見た。
「ありがたき幸せにございます」
頷いたマリアがダイアナに言う。
「じゃあアナちゃんはハミちゃんが出したパンを切ってね。アエンはお野菜を持ってきてちょうだい。お兄ちゃまとアシュは見張りよ」
マリアの無双ぶりに全員が粛々と行動を開始した。
「アエン! マヨマヨをパンにぬりぬり」
「おう」
「ハミちゃん、もっとパンいるよ」
「畏まった」
「アナちゃん、もう少し薄く切って」
「承知しました」
おそらく人生で初めてであろうパン切り作業に、真剣な顔で取り組むダイアナを見たバッディ王が、少しだけ泣きそうな顔をした。
ダイアナが小さなペティナイフでなんとか切ったパンをマリアに見せる。
「これでいかがでしょうか」
「うん、初めてにしては上出来よ。褒めて遣わす」
「光栄でございます」
マリアとダイアナが顔を見合わせて笑い合った。
「ねえお兄ちゃま、ココア作ってほしいの」
ドアのところで外の様子を伺っていたトーマスが振り向いた。
「ああ、ココアはどこだ?」
「ココアはココじゃ! きゃはははは!」
マリアが嬉しそうにダジャレを飛ばすと、全員が吹き出した。
「オヤジか!」
突っ込みを忘れないアレンだった。
無邪気な顔で小首をかしげるマリア。
そういう自分も外にいるじゃないかと突っ込みたいが、それを口にする勇気を持つ者はいなかった。
「あっ、初めましての方が二人いるのね。えっと……初めまして、私はアラバス・ワンダリアが妻、マリアと申しましゅ……あっ嚙んじゃった」
舌足らずではあるが、きちんと教えられたとおりの挨拶をしたマリアは、目が覚めるほど美しいカーテシーを披露した。
アラバスが木陰から出てきて急いでマリアを抱き寄せる。
「マリア、こちらはバッディの国王であらせられる。そしてこちらは妹君のダイアナ殿下だ。マリアこそこんな時間に出歩いてはいけないよ? メイドや騎士はどうした?」
「少しお腹が空いたからこっそり抜けてきたの。アシュの部屋を通れば誰も気づかないでお部屋を出られるのよ。知らなかったでしょ? ふふふ」
バッディの王とダイアナが目をまん丸にしてマリアを見詰めていた。
無邪気な笑顔でアラバスを見上げるマリア。
アラバスの慌てぶりに、我に返ったバッディ王が挨拶の言葉を唇に載せる。
「これは失礼しました。バッディ王国第十四代国王となりましたハミエル・ロンダート・バッディと申します。アレン殿からお噂は伺っておりましたが、なるほどお美しい。羨ましいですよ、アラバス殿下」
アラバスが困ったような顔で小さく頷いた。
トーマスがマリアの横に立ち、小声で言う。
「マリア、僕たちは大切な話があって集まっていたんだ。すぐに部屋に戻りなさい」
マリアがじっとトーマスを見る。
「うん。でもね、みんなもお腹が空いているのでしょう? みんな怖い顔をしているもの」
そう言うと何の迷いもなくダイアナの手を取ったマリア。
「一緒に行きましょ? お腹が空いていると悲しい事しか思い浮かばなくなっちゃうから」
ダイアナが困った顔でトーマスを見た。
「この方が……第一王子殿下の正妃様ですの? なんと申しますか……」
アレンが口を挟んだ。
「マリア妃殿下の仰る通りですね。腹が減ってはなんとやら。ここは全員で盗み食いといきましょう。全員共犯になれば、あの料理長も怖くない」
バッディ王がプッと吹き出した。
「盗み食いですか。残念ながら私には一度も経験がありませんね。マリア妃殿下、それは楽しいのでしょうか?」
マリアが満面の笑みで頷いた。
「喜んでご一緒させていただきましょう」
バッディ王の言葉に、全員が頷いた。
「盗み食いだから、堂々と歩いてはダメ。見つからないようにこっそりと移動するのよ。背中を丸めて足音をさせないの」
マリアが仕切っている。
先頭はアレンで、その後ろにアラバスと手を繋いだマリアが続き、マリアに手を握られたままのダイアナがきょろきょろしながら付いてゆく。
全員が少し屈んだ姿勢で肘を曲げ、手首から先をだらっと下げた姿勢で木々の影を縫うように王宮へと向かって歩いていた。
「なんとも可愛らしい妹君ですね」
後ろを歩きながらバッディ王がそう言うと、トーマスがとろけそうな笑顔を浮かべた。
「ええ。残念ながらマリアにとっての一番の座は、アラバスに奪われてしまいましたが、嫁いでしまった今でも可愛くて仕方が無いのですよ。幼いころからずっと、僕が努力をする理由はマリアの存在でしたから」
「羨ましいような兄妹関係ですね」
ニコッと笑ったトーマス。
「さあ、参りましょう。人生初の盗み食いだ。失敗は許されません」
二人は頷きあって先頭集団を追った。
「何か残ってるの?」
一番最初に厨房に入ったアレンがマリアに聞く。
「うん、大丈夫。あそこの棚にパンがあるの。そしてあそこの扉の向こうにはお肉と卵が入っているわ。お野菜はそこにあるでしょう?」
「マリアちゃん? いつもこんなことしてるの?」
「だってお腹が空いて仕方がないんだもの」
アラバスがマリアに言う。
「そういう時はメイドを呼んで持ってこさせれば良い」
マリアがアラバスの鼻を人差し指で押さえながら言った。
「それじゃ面白くないでしょ?」
「ああ……そっちか」
マリアはまだダイアナの手を握ったままだ。
追いついたバッディ王とトーマスも厨房に体を滑り込ませる。
「誰が作るんだ?」
アラバスの声にマリアが振り返る。
「アシュ、大きな声をしちゃだめ! マリアが作るから大人しく待っていなさい!」
そう言うとテキパキとパンを棚から出していく。
爪先立ちになりながら手を伸ばす姿が愛らしい。
思わずバッディ王が声をかけた。
「それなら私でもできますから、王子妃殿下はご指示ください」
マリアがバッディ王の顔を真顔で見た。
「おうじひでんかじゃなくてマリアよ?」
「マリアって呼んでも良いのですか?」
「うん、いいよ」
アラバスが何かを言いかけたが、ぐっと堪えた。
「では私のこともハミエルとお呼びください」
「じゃあハミちゃんね? あなたはアナちゃんでいい?」
マリアがダイアナの顔を見た。
「ありがたき幸せにございます」
頷いたマリアがダイアナに言う。
「じゃあアナちゃんはハミちゃんが出したパンを切ってね。アエンはお野菜を持ってきてちょうだい。お兄ちゃまとアシュは見張りよ」
マリアの無双ぶりに全員が粛々と行動を開始した。
「アエン! マヨマヨをパンにぬりぬり」
「おう」
「ハミちゃん、もっとパンいるよ」
「畏まった」
「アナちゃん、もう少し薄く切って」
「承知しました」
おそらく人生で初めてであろうパン切り作業に、真剣な顔で取り組むダイアナを見たバッディ王が、少しだけ泣きそうな顔をした。
ダイアナが小さなペティナイフでなんとか切ったパンをマリアに見せる。
「これでいかがでしょうか」
「うん、初めてにしては上出来よ。褒めて遣わす」
「光栄でございます」
マリアとダイアナが顔を見合わせて笑い合った。
「ねえお兄ちゃま、ココア作ってほしいの」
ドアのところで外の様子を伺っていたトーマスが振り向いた。
「ああ、ココアはどこだ?」
「ココアはココじゃ! きゃはははは!」
マリアが嬉しそうにダジャレを飛ばすと、全員が吹き出した。
「オヤジか!」
突っ込みを忘れないアレンだった。