愛すべきマリア
「おいおい、これじゃ盗み食いをする前に見つかってしまうぞ。みんな燥ぎ過ぎだ」
アラバスがそう言うとアレンが肩を竦めてみせた。
「大丈夫だ。おそらくもうずっと前からバレてるよ。でなければこれほど材料が揃っているわけがない。料理長が準備しているのだろう。ほら見てみろよ、すでに洗って水切りした野菜も、スライスしたチキンも『どうぞサンドイッチを作ってください』と言わんばかりだ。しかもマリアちゃんの嫌いなキノコ類は皆無だぜ?」
「そうか。ハハハ! マリアの盗み食いは料理長公認か」
白パンに、マヨネーズを塗って野菜とチキンをのせただけのオープンサンドイッチだったが、今まで食べた中で一番美味しいと全員が思った。
「盗み食いがこれほど楽しいとは知りませんでした」
バッディ王の言葉に全員が頷く。
「ココアも大変美味しゅうございましたわ、トーマス様」
ダイアナがトーマスに言う。
「マリアが幼いころから作っていましたのでね。ココアだけは自信があります」
「まあ! 仲の良いご兄妹ですのね」
ダイアナの言葉にバッディ王が顔を向ける。
「私たちも仲の良い兄妹だっただろう? 私はお前が可愛くて仕方が無かったよ」
ダイアナが驚いた顔をした。
「でもお兄様、私は側妃の子でございます。ですから馴れ馴れしくしてはいけないと……」
「誰に言われた?」
「母ですわ。私はとても寂しゅうございましたの」
バッディ王が顔を歪ませた。
「そんなことがあったのか。幼い頃は、まるで親鳥を追う雛のように、私のあとばかり追っていたお前が、いつしか遠くなってしまって、私もとても寂しかったのだよ」
トーマスがダイアナに言う。
「兄というものは、妹のことが無条件に可愛いのですよ。人生で初めて守ってやりたいと思わせてくれるかけがえのない存在なのです」
ダイアナが驚いた顔で兄を見た。
「その通りだよ。私はお前を守るために、勉強も剣術も頑張ったのだ。お前が側妃の子と侮られないように気を配っているつもりだったのだが……力及ばずだったか。すまない」
「そうではございません。お兄様はいつも私を気にかけて下さっていましたわ。母がそれを許さなかったのです。正妃の子に負けるなと、事あるごとに言われたものです。お前は駒として使われるだけの人生なのだと……そう言われるたびに悔しくて。年を重ねて、それが現実味を帯びてきたとき、あの手紙が届けられたのです」
「あの手紙? 西の国の王子からのか?」
「はい。最初は何の冗談かと思いましたが、もうそれは熱心に何度も届くのです。お顔も知りませんし、どのような方かも存じませんが、いつしかこれはチャンスなのではないかと思うようになりました」
「私を見返すチャンス?」
ダイアナが寂しそうに笑った。
「いいえ、母をです。母は側妃という身分に甘んじた自分を許せず、その鬱屈した気持ちを私にぶつけていたのです。側妃の子でも王妃に……皇帝妃にさえなれるのだと、母に見せつけてやりたかったのですわ」
バッディ王が食べかけのサンドイッチを皿に戻して、ダイアナの髪を撫でた。
「そうか……お前も辛かったのだな。気づいてやれず済まなかった」
アラバスとトーマスがしんみりと二人の様子を見ている。
アレンはその隙に次のサンドイッチに手を伸ばし、マリアは我関せずと咀嚼を繰り返していた。
「ねえハミちゃん、それ残すの?」
バッディ王が皿に置いた食べかけのサンドイッチを指さしてマリアが言った。
「これはダメです。絶対に食べます。まだ欲しいならパンを切りましょうか?」
マリアが頷く。
「マリアはチキン大盛のサンドイッチが大好きですっ」
キッパリと言い切ったマリア。
バッディ王国の国王と、ワンダリア王国次期国王が、慌ててチキンを探し始める。
今度は紅茶が良いということで、トーマスとアレンが湯を沸かし、盗み食いの二次会が賑やかに開幕した。
全員の腹も膨れ、今日はもう休もうということになり、マリアの号令で四人の男たちが後片付けを始めた。
それを仁王立ちで監視するマリアと、おろおろするダイアナ。
「生まれて初めてをたくさん経験させていただきましたよ。いやぁ本当に楽しかった」
バッディ王が洗った皿を拭きながらそう言うと、アラバスがバツの悪そうな顔をした。
「申し訳ございません。後はこちらでやりますので、どうぞお休みください」
「いえいえ、こんなに楽しい夜は久しぶりなのです。どうぞ最後まで仲間に入れて下さい。それにしても、なんとも愛らしい奥様ですね。羨ましい限りですよ」
「少し甘やかしすぎたようです。お恥ずかしいことでございます」
次世代を担う二人の会話を聞きながら、テキパキとカップを洗い上げるアレンとトーマス。
アラバスが皿を棚に戻しながら砕けた口調で言う。
「私は結婚相手など誰でも良いと思っていたのです。はっきり言うと興味もなかった。マリアも公平な試験で選ばれた妃なのですよ」
「えっ! そうなのですか? てっきり大恋愛なのだと思っていました」
「彼女とこれほど仲良くなったのは、結婚式の少し前です。それまでは互いに政略結婚だという認識でしたので、クールな関係でしたね」
作業の手を止めてアラバスの顔を見るバッディ王。
「なぜ変わられたのですか?」
「まあ……いろいろとございまして。いま彼女は私の子を身籠っています。つい最近まで悪阻で何も食べられなかったのですよ。その辛さを見ているせいでしょうね。盗み食いも許してしまう。お恥ずかしい限りですが、何卒ご容赦ください」
そう言い訳をするアラバスを見て、トーマスはフッと笑顔を浮かべた。
アレンがトーマスに言う。
「なあ、アラバスの奴さぁ、ますますデレてない? 前より悪化してる」
「うん。マリアが悪阻の時など、アラバスまで食べられなくなっちゃってさ。しかも国王陛下や王妃陛下も食べなくなっちゃって、王族全員が悪阻状態さ。ああ、トーマスは食べてたな」
「凄いな、マリアちゃんパワー」
「彼らの何かを溶かしたのだろうね」
「そういうことだな。十七歳の体で三歳児の天真爛漫さ……もはや無敵だな」
トーマスがアレンの顔を見た。
「そこ、マリアに突っ込まれるぞ。十八歳の体で四歳の可憐さって言わないと怒るんだ。相当拘っているから気をつけろ」
アレンが無言で何度もコクコクと頷いた。
アラバスがそう言うとアレンが肩を竦めてみせた。
「大丈夫だ。おそらくもうずっと前からバレてるよ。でなければこれほど材料が揃っているわけがない。料理長が準備しているのだろう。ほら見てみろよ、すでに洗って水切りした野菜も、スライスしたチキンも『どうぞサンドイッチを作ってください』と言わんばかりだ。しかもマリアちゃんの嫌いなキノコ類は皆無だぜ?」
「そうか。ハハハ! マリアの盗み食いは料理長公認か」
白パンに、マヨネーズを塗って野菜とチキンをのせただけのオープンサンドイッチだったが、今まで食べた中で一番美味しいと全員が思った。
「盗み食いがこれほど楽しいとは知りませんでした」
バッディ王の言葉に全員が頷く。
「ココアも大変美味しゅうございましたわ、トーマス様」
ダイアナがトーマスに言う。
「マリアが幼いころから作っていましたのでね。ココアだけは自信があります」
「まあ! 仲の良いご兄妹ですのね」
ダイアナの言葉にバッディ王が顔を向ける。
「私たちも仲の良い兄妹だっただろう? 私はお前が可愛くて仕方が無かったよ」
ダイアナが驚いた顔をした。
「でもお兄様、私は側妃の子でございます。ですから馴れ馴れしくしてはいけないと……」
「誰に言われた?」
「母ですわ。私はとても寂しゅうございましたの」
バッディ王が顔を歪ませた。
「そんなことがあったのか。幼い頃は、まるで親鳥を追う雛のように、私のあとばかり追っていたお前が、いつしか遠くなってしまって、私もとても寂しかったのだよ」
トーマスがダイアナに言う。
「兄というものは、妹のことが無条件に可愛いのですよ。人生で初めて守ってやりたいと思わせてくれるかけがえのない存在なのです」
ダイアナが驚いた顔で兄を見た。
「その通りだよ。私はお前を守るために、勉強も剣術も頑張ったのだ。お前が側妃の子と侮られないように気を配っているつもりだったのだが……力及ばずだったか。すまない」
「そうではございません。お兄様はいつも私を気にかけて下さっていましたわ。母がそれを許さなかったのです。正妃の子に負けるなと、事あるごとに言われたものです。お前は駒として使われるだけの人生なのだと……そう言われるたびに悔しくて。年を重ねて、それが現実味を帯びてきたとき、あの手紙が届けられたのです」
「あの手紙? 西の国の王子からのか?」
「はい。最初は何の冗談かと思いましたが、もうそれは熱心に何度も届くのです。お顔も知りませんし、どのような方かも存じませんが、いつしかこれはチャンスなのではないかと思うようになりました」
「私を見返すチャンス?」
ダイアナが寂しそうに笑った。
「いいえ、母をです。母は側妃という身分に甘んじた自分を許せず、その鬱屈した気持ちを私にぶつけていたのです。側妃の子でも王妃に……皇帝妃にさえなれるのだと、母に見せつけてやりたかったのですわ」
バッディ王が食べかけのサンドイッチを皿に戻して、ダイアナの髪を撫でた。
「そうか……お前も辛かったのだな。気づいてやれず済まなかった」
アラバスとトーマスがしんみりと二人の様子を見ている。
アレンはその隙に次のサンドイッチに手を伸ばし、マリアは我関せずと咀嚼を繰り返していた。
「ねえハミちゃん、それ残すの?」
バッディ王が皿に置いた食べかけのサンドイッチを指さしてマリアが言った。
「これはダメです。絶対に食べます。まだ欲しいならパンを切りましょうか?」
マリアが頷く。
「マリアはチキン大盛のサンドイッチが大好きですっ」
キッパリと言い切ったマリア。
バッディ王国の国王と、ワンダリア王国次期国王が、慌ててチキンを探し始める。
今度は紅茶が良いということで、トーマスとアレンが湯を沸かし、盗み食いの二次会が賑やかに開幕した。
全員の腹も膨れ、今日はもう休もうということになり、マリアの号令で四人の男たちが後片付けを始めた。
それを仁王立ちで監視するマリアと、おろおろするダイアナ。
「生まれて初めてをたくさん経験させていただきましたよ。いやぁ本当に楽しかった」
バッディ王が洗った皿を拭きながらそう言うと、アラバスがバツの悪そうな顔をした。
「申し訳ございません。後はこちらでやりますので、どうぞお休みください」
「いえいえ、こんなに楽しい夜は久しぶりなのです。どうぞ最後まで仲間に入れて下さい。それにしても、なんとも愛らしい奥様ですね。羨ましい限りですよ」
「少し甘やかしすぎたようです。お恥ずかしいことでございます」
次世代を担う二人の会話を聞きながら、テキパキとカップを洗い上げるアレンとトーマス。
アラバスが皿を棚に戻しながら砕けた口調で言う。
「私は結婚相手など誰でも良いと思っていたのです。はっきり言うと興味もなかった。マリアも公平な試験で選ばれた妃なのですよ」
「えっ! そうなのですか? てっきり大恋愛なのだと思っていました」
「彼女とこれほど仲良くなったのは、結婚式の少し前です。それまでは互いに政略結婚だという認識でしたので、クールな関係でしたね」
作業の手を止めてアラバスの顔を見るバッディ王。
「なぜ変わられたのですか?」
「まあ……いろいろとございまして。いま彼女は私の子を身籠っています。つい最近まで悪阻で何も食べられなかったのですよ。その辛さを見ているせいでしょうね。盗み食いも許してしまう。お恥ずかしい限りですが、何卒ご容赦ください」
そう言い訳をするアラバスを見て、トーマスはフッと笑顔を浮かべた。
アレンがトーマスに言う。
「なあ、アラバスの奴さぁ、ますますデレてない? 前より悪化してる」
「うん。マリアが悪阻の時など、アラバスまで食べられなくなっちゃってさ。しかも国王陛下や王妃陛下も食べなくなっちゃって、王族全員が悪阻状態さ。ああ、トーマスは食べてたな」
「凄いな、マリアちゃんパワー」
「彼らの何かを溶かしたのだろうね」
「そういうことだな。十七歳の体で三歳児の天真爛漫さ……もはや無敵だな」
トーマスがアレンの顔を見た。
「そこ、マリアに突っ込まれるぞ。十八歳の体で四歳の可憐さって言わないと怒るんだ。相当拘っているから気をつけろ」
アレンが無言で何度もコクコクと頷いた。