The previous night of the world revolution2〜A.D.〜
私も、何回か公開処刑の様子を見せられたことがある。

見たくなくても、見なければならないのだ。

それが、国民の義務だから。

処刑の方法は罪状に応じて様々だった。比較的罪が軽ければ、縛り首や銃殺刑といった、苦しみが少ない方法で処刑された。

けれど罪が重ければ…特に思想犯の類であった場合は…恐ろしい方法で処刑されることになる。

まずは火炙り。

残酷なように聞こえるが、実は火炙りという処刑法は、比較的良心的なのだ。

というのも、大抵の場合身体が焼ける前に、煙で意識を失うから。

けれど箱庭帝国において火炙り刑は、必ず海に近い場所で行われた。

海から吹く強い風が煙を飛ばしてしまい、受刑者は煙で意識を失うことを許されない。

また、風のせいで火の勢いも緩やかなので、じわじわじわじわ、自分の身体が焼かれていく地獄の責め苦を味わわされるのだ。

次に、鞭打ち刑。

単純に、死ぬまで鞭打たれるという刑だが…これも残酷なものだ。

恐ろしく硬い鞭で、何度も何度も、死ぬまで打たれる。

すぐには死ねない。最初は乾いていた鞭の音が、段々と粘っこい音になって、受刑者の呻き声も、段々と掠れていく。

受刑者が絶命する頃には、鞭打たれた背中はずたずたに切り裂かれて、原型を留めていなかった。

そしてその遺体は、埋葬もされずにそのまま放置され、野犬や猛禽類につつかれて、ぐちゃぐちゃに腐っていく。

何より残酷なのは、これらの処刑を見せられている私達は、面白いバラエティー番組でも観ているかのように、手を叩いて歓声をあげて、見ていなければならないことだった。

公開処刑を見せられて、不愉快な顔をしていてはいけない。

怖がったり気持ち悪がったりすれば、非国民だと言われてしまう。

人民の敵が処刑されるのだから。喜ばしいことなのだから。

それに意外なことかもしれないが、娯楽に乏しいあの国では、公開処刑は国民の楽しみでもあった。

恐ろしいことに、多くの人があれを楽しみに見ていたのだ。

だが…私はあれを見て、面白いと思ったことはない。

気持ちが悪いだけだった。でも、それを顔に出す訳にはいかないから、平然としている振りをしていた。

視線を少し逸らして、見ないようにしていた。

公開処刑はそう度々あることではなかった。処刑される様を見たくない私にとっては、有り難いことだった。

公開処刑なんて、私には縁のないことだと思っていた。

あんなものは、一生縁がないまま生涯を終える方が良いのだ。

それなのに。
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