元カレ救命医に娘ともども愛されています
9.私の闘い
青信号の点滅が終わるなどと考えている余裕はなかった。真優紀のベビーカーを連れ去った人物が雑踏に消える前に捕まえなければならない。
「真優紀! 真優紀ー!!」
私は叫び、横断歩道に飛び出した。人と人の間に犯人の背中が見えなくなる。
「その人を止めて! 誰か! ベビーカーの人を止めて! 私の娘がいるんです!」
叫びながら走った。クラクションを鳴らされ、頭を下げる余裕もない。どうにか渡り終えたところで衝撃的な光景を目にし、息が止まりそうになった。
ベビーカーが転倒している。横にはジーンズにフードを被った犯人が足を抱えて呻いていた。どうやら、つまづいて真優紀もろとも転倒したようだ。
「真優紀!」
ベビーカーを助け起こそうと駆けよる私の足を犯人がつかんだ。体重をかけて引っ張られ、私はその場に勢いよく膝をつく。痛みを感じたものの、それどころではない。
「離して!」
腕を振り払おうとした瞬間、相手が私の顔を思い切りひっかいた。それでようやくフードの中の顔が見えた。
峯田麗亜さん。
その名を呼んで問いただすより先に、相手を振りほどき、私は今度こそベビーカーに駆け寄った。
真優紀はシートベルトをしていた甲斐あって、ベビーカーから落ちていなかった。右手の甲をすりむいたようで血がにじんでいる。他に目立った傷はなさそうだ。
「ああ……真優紀!」
驚き過ぎて放心状態になっている真優紀は私を見て、ぶるぶると表情をゆりうごかし、それから大声で泣き始めた。
周囲の人が手を貸してくれ、ベビーカーを起こして真優紀を抱き上げる。やっとこの腕に抱くことができ、今頃になって恐怖と安堵の入り混じった涙があふれてきた。
「大丈夫ですか?」
「血を拭いてください。ウェットティッシュです」
「今、警察が来ますよ」
そう声をかけられハッと見れば、麗亜さんの周囲を通行人が檻のように取り囲んでいた。
夏の夕暮れ時の事件には、目撃者が多くいた。麗亜さんは逃げようとしたのかもしれないが、今はもう果たせず、地面に座りこんで人と人の間から私を睨んでいた。その目からは大粒の涙が流れていた。