元カレ救命医に娘ともども愛されています
和馬の瞳が私を射貫く。視線から逃れるように私は首を左右に振った。

「うぬぼれないで」
「月子は俺を愛してくれていたはずだ」
「前はね。今はもう違う。別れたいの。……私のことがまだ好きなら、最後のお願いだと思って聞いて」

うつむく私を見つめ、和馬はしばらく黙っていた。コーヒーはとっくに冷めている。周囲の喧騒は遠く、私たちのテーブルだけ別の世界に飛ばされたみたいに感じられた。
随分時間が経ったようにも、一瞬だったようにも思える。

「……わかった」

ようやく和馬が口を開いた。重々しい口調だった。

「月子の気持ちに応える。……別れに了承する」

私はかすかに頷く。口を開けば、涙が出てしまいそうだった。自分から別れを告げて泣いていてはおかしい。泣いては駄目だ。

「好きだったよ。月子」

和馬の瞳は切なげで、言葉には哀切が満ちていた。だからこそ、私は彼に今までありがとうのひと言も言えずにいる。
すべての言葉を撤回し、やっぱり別れたくないと泣きついてしまわないように。

「この先、結婚はしない。俺が結婚したかったのは月子だけだから」
「……気持ちはいずれ変わるよ。さよなら」

そう言って私は立ち上がった。冷めたコーヒーを下げ台に置き、和馬をひとり置きざりにカフェを出た。
夜の街の空気は以前より温まり、春の気配を感じる。月末には桜が花開くだろう。3月の街はどこか慌ただしく、そしてやってくる春に浮かれているように感じられた。そんな通りを、ひたすらに歩いた。涙が溢れ止まらない。

「和馬……」

和馬を愛していた。これほど人を愛せるのかと思うほどに愛していた。
だけど、今日までだ。
私がいなくなれば、和馬には平和な未来が待っている。
どうか私を恨んで、いずれ忘れてほしい。
どうか、最良のパートナーと結ばれ幸せになってほしい。
涙で顔はぐしゃぐしゃで、息は切れ、それでも私は歩き続けた。立ち止まってはいけないと、誰かが背中を押すようだった。

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