虎治と千鶴
『年の瀬の二人』
1 ちづるの告白
「私、まだ誰ともしたことがなくて」
――季節は冬、十二月に入ろうとしていたころ。関東広域連合会、三代目会長の一人娘……お嬢と呼ばせて貰っている女性の秘密を俺は知ってしまった。
「虎治はカッコいいからモテるでしょ」
ふふ、と笑ったお嬢は――千鶴さんは大学を卒業して稼業を継がれた。俺はそんなお嬢にチャラいクソ虫がつかないようにとの会長命令でそばにいさせて貰っている。俺とて、もとはお嬢の父親である大任侠の鷹宮誠と親子盃を交わした正式な鷹宮一家の……今は連合本部の構成員だ。
出世街道に乗り気じゃなかったのが裏目に出たのかお嬢のお目付け役になってしまった。
◇ ◆ ◇
今夜のお嬢はご友人たちと六本木まで飲みに出ていたんだが控えていた俺に電話が掛かってきたのは小一時間ほど前のことだった。
『虎治、助けて』
ごく短い、切羽詰まった声。どうやら手洗い場から掛けていたようで俺はお嬢が会長から持たされている位置情報を知らせるタグへアクセスをし、会長にもお嬢から火急の知らせが入ったと直に伝えた。
――そして今、俺はお嬢が生活をしているマンションに上がり込んでいた。
お嬢は女性のご友人たちと飲んでいたのだが悪いクソ虫どもにしつこく絡まれ、どうしようも出来なかったらしい。お嬢は一見、堅気の仕事をしているようだが実のところその会社は……だ。ご友人たちはお嬢の素性を知らない。だから最後の最後、切り札として俺を、鷹宮の者を呼んでくれた時には覚悟を決めていたらしい。
俺が、俺たちが出ていって男どもを恫喝してしまえばお嬢はヤクザと何かしらの濃い付き合いがあると発覚してしまう。気楽な、一般人のご友人たちを騙していたとバレてしまう。
それでもお嬢はご友人たちを守る為に腹をくくった。
「虎治はもうお酒飲んでも大丈夫な時間?」
「一応は……ですがお嬢、俺はもう上がらせて」
「もう少し居て貰っていい、かな……」
困ったように笑っているお嬢は「お父さんには内緒にするから」と言う。
やはりお嬢個人のマンションではなくご実家に送り届けた方がよかったんじゃねえだろうか。こんな事態、滅多にありはしないが「缶チューハイしかないんだけど」とグラスを用意してくれるお嬢はリビングのラグの上に座していた俺に「しかも季節限定の佐藤錦味」と。
ソファーに座り、ポツポツと話をしてくれるお嬢は言う。
「年甲斐もなく、怖くなっちゃったんだよね」
「ンなこと……当たり前ですよ。野郎共には明確な加害の意思があった。持ち物をさらったらドラッグが出てきたようですからどっかにケツモチがいるやもしれません」
誰に手を出そうとしたのか知ったら相手のケツモチは震え上がるだろうよ。
「そのドラッグってやっぱり」
言葉にはせず、頷くだけにした俺。それは……お嬢の顔色があまりよくなかったからだ。ワンルームとは言え広く、明るい部屋。やっぱり上がり込んじまうのは良くねえが、甘い缶チューハイ一本くらいならいても良いか、とあくまで目付け役として割り切る。
「私、まだ誰ともしたことがなくて……そっか……でも虎治がすぐに来てくれて良かった」
いきなり何をお話に、とは思ったが。
いや、でも……そうなのかもしれない。お嬢の育った環境を考えても同年代の男との接触が多くなったのは本当にここ数年のこと。大学も女子大でそりゃあそれなりの交流もあっただろうがやはりお嬢自身、自らのお立場を考えていてのことなのだろう。堅気さんに迷惑はかけられねえ、と。
「虎治はカッコいいからモテるでしょ」
「いや、俺は」
それに、そう言った男女の仲に遅いだの早いだのは今の時代あまり深刻に考えなくとも良いことだ。自分の体を大切にすることは悪かねえ。
「ねえ、虎治……」
すとん、とソファーから滑り降りて俺の前に膝を付いたお嬢の、千鶴さんが付けている何かの花の香水が俺の匂いと混じり合い……そうになって体を引いた。
「お嬢」
「千鶴って呼んで」
俺のスーツの肩に手を掛け、身を乗り出そうとする。だがその手に力は込められてなく、あまりにも頼りない。何よりも、千鶴さんは泣きそうになっていた。
「……虎治、どうしよう……っ、なんか、わたし……変だ、よね……怖かった、のに」
「明日の朝、ご実家に向かいますか」
「ん……そ、しよっかな。やだな、もう……虎治、優しいから……わたし、虎治にひどいことしそうになっちゃった……」
怖かったんだから、心が乱れたのだろうよ。
誰にでもあるさ、と俺は「今夜はもう風呂入って寝ちまってください。また明日の朝に迎えに来ます」と伝えれば自然と掛けられていた手は離れ、短く頷かれた。戸締まりを確認し、責任をもって会長に明日はそちらへ向かわせることを報告した。
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