虎治と千鶴 ―― 硬派なヤクザと初心なお嬢
8 とらじのひと口
クリスマスの夜に同衾だなんてよ……それに俺は千鶴さんの経験のひとつを貰っちまった。
「とら、コーヒーで良い?」
「俺がやりますから千鶴さんはまだ横に」
「だって、なんか……そわそわしちゃって」
そんな翌朝。ヒリヒリの間違いじゃねえのか、なんてことは言わねえがいくらなんでも早起きだ。いや待て、今日の千鶴さんは仕事……あれか、リモートワークってやつか。それにしたってよ……俺も尻を据えてられねえ。
「ねえとら、寒くない?肌着だけで大丈夫?」
「鍛えてますからね」
「それは、すごく知ってるけど……角煮の肉まんあっためて食べよ」
おなか空いちゃった。
千鶴さんのその素直な言葉に吹き出しそうになって口をつぐむ。
「それとね、虎治」
「はい」
「お父さんにいつ言う?」
「ぐッ……」
「流石の虎治もそうなっちゃうよね」
親父、会長の娘を抱いちまった事実。俺と千鶴さんはその……恋仲で、挙げ句にゃ大切な貞操を暴いちまった。
「あああ……」
「もう少し、黙ってよっか。やきもきしてるお父さん見てるのもなんか面白そうだし」
「は……」
インスタントコーヒーを用意している千鶴さんを手伝う為にキッチンに立てばとんでもねえ事を仰る。愛し、抱いたのは事実だが、それを親父に黙っているってのは……鷹宮の一人娘を、俺が抱い……。
「っふふ。焦ってる虎治はじめて見る」
「いや、そりゃあ」
「この事はゆっくり、ね?虎治は私にちゃんと筋を通してくれた。だから、大丈夫」
俺を軽く見やる起き抜けの千鶴さんは当たり前だが素っぴんで……だが、大人の女性の眼差しがあった。
「……分かりました」
「あと、二人だけのときはあんまり堅苦しい敬語は無しね」
「それは……善処、いや……分かりました」
「んふふ~」
満足そうにしている千鶴さんは上機嫌に肉まんを温める用意を始める。
レンジで温めるだけのそいつは昨夜の素肌の千鶴さんの胸のようにふかふかで、温かで。テーブルに移動をして座り、頬張れば同じように千鶴さんも美味しそうに食べていた。
「虎治のひと口おっきいね」
そんな口で昨夜は……って俺はまったく。どんだけ気分が良かったんだか。
あなたの前ではしょうもねえ男になっちまう。
「そう言えば千鶴さん、おかみさんの正月の準備に人は足りてますか」
「うーん、どうだろ。去年って虎治も大掃除とか手伝いに行ったっけ」
「ええ、親父から言われて……部屋付きの若い衆には力仕事をさせといて俺はおかみさんと正月の来客用の菓子を買い足しに出たりと細々した事を。ご実家での事となるとあまり外部の者はおかみさんも入れたくないでしょうし」
「虎治ならお母さんも大歓迎だから聞いておくね」
千鶴さんも食が進むのかその可愛らしい顔の半分を覆えてしまう大きな角煮の入った肉まんを食べながら朝のニュースを流し見る。
二人で小せえテーブルを挟んでの朝メシ……惰性で食ったり食わなかったりの最近だったがうめえな、と思ったのはいつぶりだろうか。
「……俺たちもどこか、買い出しに行きますか」
「行く!!絶対行く!!」
「予定では今年の納めは明日の二十七日でしたね」
「そう、最後の日はもう午後からは掃除だけみたいな感じだから早く上がるかも。今日も忙しいわけじゃないから」
「じゃあ明日、上がった足でデパートにでも行きましょうか」
「人が凄そうだけど、それもまた」
「年の瀬って感じでオツなモンだと思いますよ」
俺の提案を即座に受け入れてくれた千鶴さんが嬉しそうにしてくれている。そして基本的に普段の俺は二十四時間、千鶴さん専属。だから朝メシの後、仕事の支度を始める千鶴さんを眺めながら昨晩の食器やグラスを洗うのも俺の仕事っちゃあ仕事だが……ああ、駄目だ。
煩悩、甚だしい。
昨晩の千鶴さんを思い出しちまう。
だが……これは『嬉しい』の気分だ。
・・・・・・
作者余談
虎治の年齢っていくつなんでしょうね。
ご想像にお任せしつつ、このまま新年ネタへと物語は続きます。