愛されることは望んでいませんから

 嫁いだ先の男爵家でもパメラに対する態度は冷たかった。誰もが最低限の会話しかせず、空気はギスギスしている。爵位を継いだばかりのアドニスの性格をそのまま反映しているかのようだった。

 それでも、机にかじりついて日がな一日、やれ勉強だの、ダンスだの、刺繍だのと口うるさく言われないので、パメラにとっては天国だ。

 しかし、そんなパメラを悩ませる事が一つあった。お風呂が水のままだということだ。

 毎夜、贅沢に用意された水だが、今は雪の降る季節で、そのまま浸かると風邪を引いてしまう。悩んだ末、パメラはお風呂の水を自分で沸かすことにした。

「せっかくの水を無駄にはできないわ。沸かして温かいお湯にしましょう」

 せっせと薪をくべ、温かいお湯を沸かすパメラを見て、侍女たちは仰天した。

「奥様……何をしているのですか?」
「お風呂の水が冷たいから、沸かしているのよ。せっかくの水、飲むわけにもいかないし、もったいないもの。あ、沸かしたら皆さんも入らない? 私一人だけではお湯がもったいないわ」
「お、奥様と入るなど恐れ多いです」
「そうなの? ごめんなさい。孤児院にいたころは皆で大衆浴場にいっていたの。月に一度の贅沢だったわ。ふふっ。あ! でも、入りたくなったら声をかけてね」

 にこっと笑ってパメラは、せっせとお湯を沸かし始める。それを見ていた侍女は嫌がらせに水を張ったなどとは言えず、かといって手伝いもせず、パメラの様子を見守った。

 たっぷりのお湯で入るなんてとても贅沢だ。お湯を沸かす労力なんて、吹き飛んでしまう。

「はぁ~、幸せだわ。でも、やっぱり一人で入るのはもったいないわよね。明日は皆さん、入ってくださらないかしら?」

 どうしたら皆が入ってくれるだろうと思案したパメラはひらめいた。

「そうだわ。薬草を入れてみましょう。疲労回復に効果があるものなら、疲れた皆さんも入ってくれるかも」

 そう考えたパメラは翌朝、庭師の所へ向かう。初老の庭師は偏屈で無愛想だった。しかし、庭が美しく飾られていることからパメラは、腕の良い庭師ではないかと思っていた。

「薬草だと……?」
「はい。お風呂に入るときに入れたいんです」
「疲労しているようには見えんが」
「私ではなく、皆さんにです」

 にこっと笑ったパメラに庭師は驚く。

「使用人たちにか? はっ。点数稼ぎでもしたいのか」
「点数稼ぎというか……私、お湯を沸かしてお風呂に入ってるんですが、一人では入るのはもったいなくて。疲労回復の薬草を入れたら皆さんも入りやすいかと思いまして」

 パメラは変わらぬ笑顔で言うと、庭師はギョッとした。そして鋭い目付きでパメラを見る。

「ここの使用人達がお前さんを嫌っているのを知ってそんなことを言うのか」
「はい」

 淀みない澄んだ声でパメラは返事をする。パメラは人の悪意に鈍感ではなかった。歓迎されていないことなど知っている。しかし、パメラはそれでもできうるなら仲良くなりたいと思っていた。

「皆さん、私よりずっと働いていますもの。少しでも疲れが取れたらと思ったんです。あぁ、もちろんお湯がもったいないのもあるんですけどね」

 ふんと鼻息荒く言うパメラに庭師は豪快な笑い声を出す。

「はっはっはっ! 随分と、頼もしい奥様がきたものだ」

 なぜ笑われているのか分からず、パメラに瞬きを繰り返す。庭師はひとしき笑いおえると、彼女に薬草を渡した。

「持っていけ。使い方はわかるか?」
「いえ、教えてくれますか? あ、待ってください。メモを取るので」

 そう言うと、パメラは身につけていたポケットから、手のひらサイズの乳白色のメモ帳を取り出す。雪が薄く積もる庭では、手がかじかみ、うまくペンが動かない。
 それでも、白い息を吐きながら、パメラは教えられた薬草の使い方と種類を庭師から学んでいった。


「よし、始めるわよ」

 パメラは今日も薪をくべて、お湯を沸かす。沸いたお湯をせっせと湯殿へ運び、お湯を溜めていく。たっぷりのお湯に薬草を入れてかきまぜれば、薬湯風呂のできあがりだ。

 その仕上がりにパメラは頬を薔薇色に染めて喜んだ。

「さぁさぁ、皆さんもどうぞ!」

 無理やり侍女たちの腕を引っ張って、パメラは薬湯風呂を勧めた。困惑気味の侍女たちだったが、屈託なく笑うパメラに押しきられて、風呂に入ることになった。毎夜、文句ひとつ言わず、一人でお風呂を沸かすパメラの様子を見ていたせいでもある。
 孤児院出の領主夫人など認めたくない。主であるアドニスの不在をいいことに、パメラに冷たい態度をしていた侍女たちは、すっかり態度を軟化させていた。

 この奥様は、本当に我々のことを気づかってくださっている。

 それにようやく気づいたのだった。

 薬草のお風呂は思いの外、好評だった。さすがにパメラと一緒に入るのは遠慮されたが、疲労回復のお風呂は冬の季節に喜ばれた。

「そうだわ。皆さん、ご存知? 足のここを押すと足の疲れが取れるのよ」
「ここですか?」
「もう少し下ね。失礼」
「あいたたたたた! 奥様、痛いです!」
「もう少しだけ我慢してね。疲れがすっと取れるし、足のむくみにもいいのよ」
「あら、本当……」

 パメラの夫人らしくない振る舞いはしばし使用人たちを驚かせたが、自分達と感覚も近く、なによりパメラの明るい笑顔と好意に使用人たちは馴染んでいった。


 そんな日々を過ごしていたある日。

「え? 旦那様がお帰りですか?」
「はい。明日はこちらにお戻りです」

 結婚してから忙しいのか夫となったアドニスに会うのは二度目だ。

「どうしましょう。私、旦那様のことをすっかり忘れていたわ」

 あまりに屋敷に馴染みすぎてパメラの頭から夫の存在が消えていた。自分の忘れっぽさに呆れてしまう。だが、落ち込んでいる暇はない。愛のない結婚だが、できれば仲良くなりたい。しかし、パメラは夫のことは何も知らない。好みも趣味も。

「すみません。旦那様のことを教えてくれますか? せっかくお帰りになるんだもの。気持ちよく過ごしてもらいたいわ」

 パメラがそう言うと執事は暗い顔をした。

「奥様は先代ご夫妻が急逝したことをご存知ですよね?」
「ええ……お父様とお母様が二人とも事故で亡くなられたと伺っています」
「……旦那様は二人を亡くしてから変わられてしまいました。過度なプレッシャーから使用人たちにも自分にも厳しくなられて、奥様が来るまで、この屋敷は荒んでいました」

 執事は深々と、頭を下げる。

「今までのご無礼をお許しください。そして、どうか旦那様…いえ、坊っちゃんをお救いください」

 その願いにパメラは、顔を上げてくださいと声をかける。

「私にできることなら何でもします。だから、もっと旦那様のことを教えてください」

 パメラの朗らかな声に執事の年老いた目尻がゆるりと下がった。
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