愛されることは望んでいませんから

頭痛の原因 side アドニス


 屋敷に戻る帰りの馬車でアドニスは憂鬱な顔をしていた。ズキンと頭痛がする。彼の頭痛の原因は爵位を継いだばかりの自分への嫉妬とやっかみに晒されていたからだ。若いというだけで、どうしてああも酷い言い草をされなければならないのか、アドニスは理解ができなかった。

 それともう一つ、屋敷には妻となった女がいることも憂鬱だった。家名が欲しいためとはいえ、愛してもいない女と肌を合わせるなど嫌な気分だ。女との結婚は父の意向だ。そうでなければ、誰が孤児院出の女など妻に娶るか。一回だけ会ったが、たいして美人でもなかった。ただ、何がそんなに可笑しいのかずっと女は笑顔だった。それがたまらなく不快だった。

 屋敷についたアドニスは驚いた。一歩入った屋敷は少しみないうちに華やいでいた。玄関ホールには紫色と白のアネモネの花が生けられていた。

(……母上が好きだった花だ……)

 冬にはこの愛らしい花を見るのが好きなのよね。そう亡き母が言っていたのを思い出す。コートを脱ぐのもの忘れて花を見つめるアドニスの耳に明るい声が届く。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 はっとして顔を声の方に向けると、深々と頭を下げる女がいた。顔を上げた彼女を見て、あぁ、と思い出す。妻となった女だった。

(名前は……確か、パメラだったか……)

 一度目は結婚が嫌でしかたなく、彼女の姿を一瞥したのみだった。が、よくよく見ると可愛らしい面立ちをした女だった。

 頬は薔薇色で、アドニスに向かって慈愛の眼差しを送る瞳は、淡い空色だった。クリーム色の髪はくせっけのようでふわふわとしていた。触れたらさわり心地がよさそうだ。つい手が伸びそうになる。

 と、そこまで考えてアドニスは首を振る。

(……何をしようとしているんだ……)

 まるで、母がいた頃の穏やかさが戻ってきたかのような雰囲気につい絆されそうになった。あの優しさは無くしたものだ。もう戻ってくることはない。

 わざとらしい咳払いをして気を取り直し、帽子を脱いだ。はらりと、帽子に積もっていた雪が床に落ちる。

「お持ちしますわ」

 そう言って手を伸ばしてきたパメラに思わず帽子を引く。あからさまな態度を取ってしまった。キョトンとした瞳とぶつかり気まずくなる。

「君がすることではない」

 視線を逸らして、短く言うと近くにいた使用人に帽子を渡す。そんな態度のアドニスにパメラは気にすることなく笑顔でお辞儀をした。

「食堂で待ってますね」

 あっさりと引き下がったことに驚きつつ、またズキンと頭痛がして、眉間に刻まれたしわを指で伸ばした。

 ***

 食堂に行ったアドニスを待っていたのは懐かしい料理だった。母がよく好んで食べていた鴨肉のローストと、自分が好きなソーセージ入りのトマトベースのポトフが並んでいる。

「旦那様が好きなものとお伺いしたので、今日は料理人の方と一緒に作りましたのよ」

 ふふっと弾むように笑うパメラの声にアドニスの頭痛が酷くなる。

「余計なことをしなくていい」

 このポトフは母の故郷の味だ。母もよく台所に自ら立ち、料理をしていた。それをよく知りもしない女が再現するなど思い出を汚されたようだった。

 ズキン、ズキン。頭痛が酷くなる。

「すみません……旦那様の好きなものを覚えておきたくて。出過ぎた真似をしました」

 しゅんと項垂れるパメラを見て、アドニスは無言になる。
 謝るのさえ、憎たらしかった。どうせ媚を売っているだけだ。打算のない人間などいないのだから。アドニスは一口、スープを飲む。それは懐かしい味だった。

「どうですか?」
「……母のとは違うな」
「そうですか……」

 咄嗟に嘘をついた。味は母の作るものとよく似ていた。それが悔しくて嘘をついた。

 ズキン、ズキン、ズキン。頭痛は酷くなるばかりだった。

 ***

 食事を終え、しばらくすると風呂の時間だと言われて行ってみると、なぜか、風呂に薬草が浮いている。執事に聞くと、彼女の気遣いらしい。

「旦那様は頭が痛いのかもしれない」と言って彼女は頭痛に効く薬草を風呂に入れたらしい。余計なことを……と思いつつ、風呂に浸かると体の芯が温まった。その心地よさが、むず痒く不快だった。

 風呂から上がって暫くした後、部屋のノックをする音がした。声をかけると、扉の奥で彼女の声がした。
 夜伽をするためか?と不快感が顔に出てしまう。しかし、失礼しますと言って、扉を開いた彼女の手には、お盆があった。それに呆気にとられる。お盆の上にはカップが置かれており、湯気が昇っていた。

「旦那様。頭痛に効くハーブティーをお持ちしました。宜しければお飲みください」

 パメラは机にカップを置いた。それに不快感が募った。

「余計なことをしなくていいと言っただろう」

 つい声を荒げてしまった。土足で自分の居場所を踏み込む女に苛立つ。アドニスは乱暴にパメラの手を掴むと、ベッドに押し倒した。両手首を捕らえ、縫い付けるようにベッドに拘束する。

「お前はただ、子を産めばいい。余計なことはするな」

 低い声で侮蔑の眼差しを向け、吐き捨てるように言う。乱暴に手の拘束を解き、体を起こした。ここまで脅せば態度を改めるだろうとアドニスは思ったが、パメラはどこまでも変わった娘だったのだ。

 パメラは何度か瞬きをした後、急に真面目な顔をした。「失礼」と短く言い、ベタベタとアドニスの肩や腕を触りだした。色気のない確認するような触り方にアドニスは仰天する。ひとりしきり確認すると、パメラは触るのをやめて、肩で息をする。

「やっぱり凝っていますね。旦那様。うつ伏せになってください」

 呆気に取られて隙ができた。

「おい」と言う間もなく、ベッドにうつ伏せにされてしまった。そしてまたも声を失う。パメラは「失礼」と短く言った後、アドニスにまたがったのだった。

「おいっ……!」
「凝りをほぐします。痛かったら言ってください」
「まっ……っ!」

 反論する隙もなくパメラはぐりぐりと背骨を指で押し出す。鈍い痛みが走り、眉根がひそまる。苦悶の声を拾ったのか、指の力加減が弱くなる。今度は痛みはなく、詰まったところが、ほぐされていく気がした。

(なんなんだ一体……)

 予想外の行動に呆気にとられつつ、触られるのが思いの外、不快感がなく力が抜けていく。食事といい、風呂といいどうも調子が狂う。

「旦那様、気持ちいいですか?」

 耳元を掠める穏やかな声。つい頷きそうになって、低い声でぶっきらぼうに言った。

「……何も感じない」

 また嘘をついた。悔しくて。

「ふふっ。そうですか。では、もっと頑張りますね」

 優しい声が耳に響いて、また悔しくなる。むず痒さを振り払うように、目を閉じた。父と母が亡くなり、緊張しっぱなしだった体がほぐれていく。包むのは心地よい微睡みだ。

 気がつけば眠っていた。

 そして、頭痛はなくなっていた。
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