愛されることは望んでいませんから
穏やかな日々
(旦那様は、頭痛持ちらしいわ)
それに気づいたのは、彼がよく眉間にシワを寄せ、目と目の間を手でほぐすしぐさをしているからだった。彼に聞いても素っ気ない態度を取られるだろうから聞きはしなかったが、パメラには確信があった。
アドニスの変調に気づいたパメラは、頭痛に効くハーブはないか庭師に聞いた。庭師は眉を下げて、前から育てていたハーブを教えてくれた。それを料理に使ったり、煎じてハーブティーした。
アドニスはハーブティーの独特の匂いが嫌なのか、お茶は飲まなかったが、料理は眉根をひそめながらも口にした。使用人とパメラが食べろ、食べろと無言の圧を送ったら、根負けしてくれたのだ。
深いため息をつきながら彼が料理を口にした時、パメラは密かに料理人と「やりました!」と笑いあっていた。
そして、もっとアドニスを知るべく、パメラは旦那様観察をするようになる。彼は口数が少なくいつも憮然としているが、嫌いなものは絶対に口にしないので、案外分かりやすかった。
(旦那様は匂いのきついものが苦手なのね……)
彼と親しくなるべく、パメラはメモを片手に彼を観察し続けていた。
夜はせっせと彼の体をほぐした。口から入る薬もよいが、体の血行をよくするのも体質改善になる。
この療法は孤児院に居たときにシスターに教えてもらったものだ。寄付金を頼りにしている孤児院はお金がない。薬学や民間療法への知識が自然と集まっていた。
アドニスの凝り固まった体をほぐしながらパメラは思う。
(こんな所で役に立つなんて。知識は多すぎるってことはないのね)
学んでおいてよかったと、思いながら、せっせとアドニスの硬い体を柔らかくしていった。
彼は夜のこの時間が好ましいのか、文句を言わずにされるがままになっている。
彼の好みのことをしていることが嬉しくて、パメラは毎夜、気合いを入れて部屋の扉を叩いた。文句は言われないが、パメラが部屋にくると、必ずといっていいほど、何か言いたげな顔をされた。視線をさ迷わせる彼の態度に最初は嫌なのかな?と感じたが、「これをすると旦那様はぐっすり眠れますよね?」と微笑みながら言うと、憮然としながらも、ベッドに寝そべってくれた。
そんな献身的な態度でいると、少しずつではあるがアドニスの態度が軟化してきた。少なくとも「余計なことはするな」とは言われなくなった。
そのささいな変化をパメラは頬を染めて喜んでいた。
***
とある日、アドニスは広間のソファに腰をかけて、新聞を読んでいた。それをパメラはじっと見つめている。物陰から。
何か言いたげに視線が時々、合うが旦那様観察中のパメラは気にしない。そのうちに深くため息を吐かれて、声をかけられた。
「……なんだ、その態度は」
「旦那様のお邪魔にならないようにしています」
パメラは真剣そのものだ。彼は眉根をひそませて、低い声で尋ねてくる。
「……なら、なぜメモをとる」
「旦那様観察のためです。お好きなものやしぐさなど、忘れたくないものをメモしています」
新聞記者のようにせっせとメモをとるパメラを見て、アドニスは、呆れたようにため息をついた。そして、指でこっちにこいと合図を送ってくる。
(どうしたのかしら?)
パメラはメモをポケットにしまい、アドニスに近づく。側に寄り、立ったままでいると、彼は自分の横の座面を手で叩いた。
(座れってことかしら?)
パメラは一礼して、ちょこんとアドニスの横に腰かける。触れそうで触れられない距離。すぐ真横で彼を観察できるのが、嬉しくてパメラは頬を緩ませた。見上げるとアドニスは目線をこちらに向けていた。目が合い、微笑みかけるが、彼は新聞で顔を隠してしまった。それを残念とも思わず、パメラはまたメモをポケットから取り出して、彼が熱心に読んでいる新聞の種類などをメモしていく。
「………」
「………」
午後の穏やかな昼下がりの中、新聞を読むアドニスとメモをとるパメラがいる。時折、目が合うがパメラが微笑み、アドニスは顔を隠すのを繰り返すだけで、会話はない。
はらり。はらり。アドニスが新聞をめくる音が静かに響く。窓の近くにあるソファには太陽から穏やかな光が降り注いでいた。二人だけの穏やかな一時。
その様子をこっそり見ていた使用人たちは、二人の空気を感じて密かに微笑みあっていた。
アドニスのパメラに対する言葉使いは相変わらず素っ気なかったが、二人の距離は徐々に近づいていった。
弾むような会話はないが、アドニスの横にはパメラが座り、彼が本を読んでいる間、お茶を飲んだり、刺繍をしたりして過ごすようになっていた。
お見送りや、お出迎えのときも変化が見られた。前は無言で視線を逸らしていたアドニスだったが、最近は一言だが、会話をしてくれるようになった。
今日もパメラはアドニスを迎えようと玄関ホールで待ち構えている。まだかな?と落ち着かないパメラの目の前で扉が開かれる。
「旦那様、お帰りなさいませ」
扉が開ききる前に誰よりも先にパメラは声を出す。アドニスは少しだけ、視線を逸らす。
「あぁ……」
たった一言だが、パメラに向けられた言葉だ。それが嬉しい。
「お荷物をお持ちしますわ」
手を差し伸べても、もう引かれない。無言でいるが、鞄を預けてくれる。大事なものを預けられたような気がして、パメラは満面の笑みになった。
この日はさらにご褒美が待っていた。
アドニスはわざとらしい咳払いをして、珍しくパメラに声をかけてきたのだ。
「今日のメニューは?」
「夕御飯ですか? 牛スネ肉の煮込みになります」
メニューなど聞かれたことがなかった。よほどお腹がすいているのだろうか?と、パメラはじっとアドニスを見つめる。
アドニスは忙しなく視線をさ迷わせた後、呟くように言う。
「また……ポトフが食べたい」
「え……?」
パメラは足を止めて聞き返す。アドニスは口元を手で隠して、視線を逸らした。
「……前に作ってくれただろ? だから、また……」
その一言に、パメラの頬が薔薇色に染まる。
「まぁ! また、作ってよいのですか!」
嬉しくて大きな声が出てしまった。アドニスは若干、体を引いたが無言で頷く。
「嬉しいです! 明日には用意しますね!」
弾む心のままに伝えると、彼は少しだけ口元に笑みを浮かべた。
(旦那様が笑っている……)
その優しい視線にパメラの心臓は高鳴る。頬が熟れた林檎のように赤くなっていくのを感じた。恥ずかしくて両方の頬を手で隠すように押さえてしまった。
二人の日々は、春に向かう季節と共に。穏やかな空気に包まれていった。
それに気づいたのは、彼がよく眉間にシワを寄せ、目と目の間を手でほぐすしぐさをしているからだった。彼に聞いても素っ気ない態度を取られるだろうから聞きはしなかったが、パメラには確信があった。
アドニスの変調に気づいたパメラは、頭痛に効くハーブはないか庭師に聞いた。庭師は眉を下げて、前から育てていたハーブを教えてくれた。それを料理に使ったり、煎じてハーブティーした。
アドニスはハーブティーの独特の匂いが嫌なのか、お茶は飲まなかったが、料理は眉根をひそめながらも口にした。使用人とパメラが食べろ、食べろと無言の圧を送ったら、根負けしてくれたのだ。
深いため息をつきながら彼が料理を口にした時、パメラは密かに料理人と「やりました!」と笑いあっていた。
そして、もっとアドニスを知るべく、パメラは旦那様観察をするようになる。彼は口数が少なくいつも憮然としているが、嫌いなものは絶対に口にしないので、案外分かりやすかった。
(旦那様は匂いのきついものが苦手なのね……)
彼と親しくなるべく、パメラはメモを片手に彼を観察し続けていた。
夜はせっせと彼の体をほぐした。口から入る薬もよいが、体の血行をよくするのも体質改善になる。
この療法は孤児院に居たときにシスターに教えてもらったものだ。寄付金を頼りにしている孤児院はお金がない。薬学や民間療法への知識が自然と集まっていた。
アドニスの凝り固まった体をほぐしながらパメラは思う。
(こんな所で役に立つなんて。知識は多すぎるってことはないのね)
学んでおいてよかったと、思いながら、せっせとアドニスの硬い体を柔らかくしていった。
彼は夜のこの時間が好ましいのか、文句を言わずにされるがままになっている。
彼の好みのことをしていることが嬉しくて、パメラは毎夜、気合いを入れて部屋の扉を叩いた。文句は言われないが、パメラが部屋にくると、必ずといっていいほど、何か言いたげな顔をされた。視線をさ迷わせる彼の態度に最初は嫌なのかな?と感じたが、「これをすると旦那様はぐっすり眠れますよね?」と微笑みながら言うと、憮然としながらも、ベッドに寝そべってくれた。
そんな献身的な態度でいると、少しずつではあるがアドニスの態度が軟化してきた。少なくとも「余計なことはするな」とは言われなくなった。
そのささいな変化をパメラは頬を染めて喜んでいた。
***
とある日、アドニスは広間のソファに腰をかけて、新聞を読んでいた。それをパメラはじっと見つめている。物陰から。
何か言いたげに視線が時々、合うが旦那様観察中のパメラは気にしない。そのうちに深くため息を吐かれて、声をかけられた。
「……なんだ、その態度は」
「旦那様のお邪魔にならないようにしています」
パメラは真剣そのものだ。彼は眉根をひそませて、低い声で尋ねてくる。
「……なら、なぜメモをとる」
「旦那様観察のためです。お好きなものやしぐさなど、忘れたくないものをメモしています」
新聞記者のようにせっせとメモをとるパメラを見て、アドニスは、呆れたようにため息をついた。そして、指でこっちにこいと合図を送ってくる。
(どうしたのかしら?)
パメラはメモをポケットにしまい、アドニスに近づく。側に寄り、立ったままでいると、彼は自分の横の座面を手で叩いた。
(座れってことかしら?)
パメラは一礼して、ちょこんとアドニスの横に腰かける。触れそうで触れられない距離。すぐ真横で彼を観察できるのが、嬉しくてパメラは頬を緩ませた。見上げるとアドニスは目線をこちらに向けていた。目が合い、微笑みかけるが、彼は新聞で顔を隠してしまった。それを残念とも思わず、パメラはまたメモをポケットから取り出して、彼が熱心に読んでいる新聞の種類などをメモしていく。
「………」
「………」
午後の穏やかな昼下がりの中、新聞を読むアドニスとメモをとるパメラがいる。時折、目が合うがパメラが微笑み、アドニスは顔を隠すのを繰り返すだけで、会話はない。
はらり。はらり。アドニスが新聞をめくる音が静かに響く。窓の近くにあるソファには太陽から穏やかな光が降り注いでいた。二人だけの穏やかな一時。
その様子をこっそり見ていた使用人たちは、二人の空気を感じて密かに微笑みあっていた。
アドニスのパメラに対する言葉使いは相変わらず素っ気なかったが、二人の距離は徐々に近づいていった。
弾むような会話はないが、アドニスの横にはパメラが座り、彼が本を読んでいる間、お茶を飲んだり、刺繍をしたりして過ごすようになっていた。
お見送りや、お出迎えのときも変化が見られた。前は無言で視線を逸らしていたアドニスだったが、最近は一言だが、会話をしてくれるようになった。
今日もパメラはアドニスを迎えようと玄関ホールで待ち構えている。まだかな?と落ち着かないパメラの目の前で扉が開かれる。
「旦那様、お帰りなさいませ」
扉が開ききる前に誰よりも先にパメラは声を出す。アドニスは少しだけ、視線を逸らす。
「あぁ……」
たった一言だが、パメラに向けられた言葉だ。それが嬉しい。
「お荷物をお持ちしますわ」
手を差し伸べても、もう引かれない。無言でいるが、鞄を預けてくれる。大事なものを預けられたような気がして、パメラは満面の笑みになった。
この日はさらにご褒美が待っていた。
アドニスはわざとらしい咳払いをして、珍しくパメラに声をかけてきたのだ。
「今日のメニューは?」
「夕御飯ですか? 牛スネ肉の煮込みになります」
メニューなど聞かれたことがなかった。よほどお腹がすいているのだろうか?と、パメラはじっとアドニスを見つめる。
アドニスは忙しなく視線をさ迷わせた後、呟くように言う。
「また……ポトフが食べたい」
「え……?」
パメラは足を止めて聞き返す。アドニスは口元を手で隠して、視線を逸らした。
「……前に作ってくれただろ? だから、また……」
その一言に、パメラの頬が薔薇色に染まる。
「まぁ! また、作ってよいのですか!」
嬉しくて大きな声が出てしまった。アドニスは若干、体を引いたが無言で頷く。
「嬉しいです! 明日には用意しますね!」
弾む心のままに伝えると、彼は少しだけ口元に笑みを浮かべた。
(旦那様が笑っている……)
その優しい視線にパメラの心臓は高鳴る。頬が熟れた林檎のように赤くなっていくのを感じた。恥ずかしくて両方の頬を手で隠すように押さえてしまった。
二人の日々は、春に向かう季節と共に。穏やかな空気に包まれていった。