愛されることは望んでいませんから

 その翌日、パメラは熱を出した。熱を出すなんて久しぶりだとベッドの上でぼんやり思う。

 医者の診断によると、パメラの熱は酷くなく、薬を飲んで横になっていれば治るものだった。しかし、使用人たちはそれはそれは心配し、次から次へと見舞いに来ては差し入れが送られていた。

「奥様、お薬をお持ちしましたよ」
「奥様、フルーツです。ほら、ぶどうなら召し上がれますか?」
「……薬草を持ってきた。早くよくなれ」

 仏頂面の庭師まで来て、パメラの部屋は賑やかになる。執事の一喝で、事態は収まったが、皆、心配してそわそわし、仕事にならなかった。それをありがたいなと思いながら、パメラは微笑んで見つめていた。

 静かになった部屋だったが、アドニスの帰宅で事態はまた忙しなくなる。廊下にバタバタと足音が響いて止まった。

「パメラ! 大丈夫なのか!?」

 全力で走ってきたのか、アドニスは息を切らせていた。乱暴に開かれたドアに驚きつつも、パメラは笑顔で体を起こす。

「お帰りなさいませ、旦那様。今日は出迎えれずにすみません」
「そんなことはいい。いいから、寝ていろ」

 アドニスはパメラの体をゆっくり倒した。パメラは目を瞬かせ、にこりと笑った。

「ありがとうございます」
「……体は大丈夫か? ほしいものはないか?」
「大丈夫ですよ。熱も下がっていますし」
「そうか……」

 アドニスがホッと胸を撫で下ろす。そして、瞳を揺らしながらパメラの乱れた前髪をそっとはらった。

「寝ていろ」
「はい……あの、大丈夫ですから。旦那様はお部屋に……」
「いいから」

 アドニスがパメラの右手をとる。大事なもののようにパメラの右手を両手で握りしめた。

「寝付くまでそばにいる。……いや、いさせてくれ」
「旦那様……」

 熱を孕んだ眼差しで見つめられ、パメラはドキドキして居心地が悪くなる。

「そんなに見つめられたら……寝れません……」

 か細い声で訴えると、アドニスは、はっとして、バツが悪そうに視線を逸らした。そして、手から熱が消える。

「食事は? したのか?」
「はい。皆さんがフルーツを食べさせてくれました」

 そう言うとアドニスはムッとした表情になる。

「何かできることはないか? 何でもしたい」

 パメラはこれは夢ではないだろうかと思った。こんなことを言ってくれるなんて、夢のようだ。もしかしたら、自分は熱が出ていて、眠っているのかもしれない。だったら、起きたくはないな、と思ってしまった。

「旦那様が声をかけてくれただけで充分です」
「そうか……」

 寂しそうな顔をされてしまった。本当のことなのに上手く伝わらない。それがもどかしい。
 不意にある思いが喉元まで出かかる。

 ――もう一度、手を握ってくれませんか?

 口が開きかけて慌てて閉じた。そんなことを口にしてはダメだ。一度、お願いをしたらどんどん欲は深くなる。だから、ダメなんだ。

「寝付けないようだから、俺は戻るな」
「はい…」

 一度だけ熱を確認するようにパメラのおでこに触れ、アドニスは立ってしまう。

(行かないで……!)

 また口が開こうとして閉じる。言葉にならなかった思いは、ただ空気となるのみ。パメラは顔を歪ませ目を伏せた。

 その時だ。

 ――ガタン

 物音がして、パメラは目を開いた。

「っ……すまない」

 どうやらアドニスは机に躓いたようだった。机が揺れ、立て掛けていた本が落ちる。落ちたのは白いノートだった。ノートは背表紙から落ちて、開いて止まる。開かれたページは破けなかったものだった。
 
「これは……」
「ダメ!」

 暴かれてしまう。
 捨てきれなかった思いが。

 アドニスはそれを見つめて、目を開いた。あぁ、とパメラに絶望が襲う。顔を覆い身を縮こませた。

(軽蔑される……!旦那様はそんなことを望んでないのに……!)

 ただ、子を産み育てるだけの存在なのに、愛を乞うなどなんて浅ましいのだろう。消えてしまいたい……

「パメラ……ここに書いていることは本当か?」

 震える声で問われ、パメラはアドニスの顔を見ずに手をついて謝りだした。

「申し訳ありません! 旦那様のお望みとは違うのに勝手な思いを抱きました。申し訳……っ!」

 パメラは最後まで謝罪を言えなかった。アドニスによって抱きしめられていたからだ。力強く大きな体がすぐそばにあり、心から絶望が消えていく。

「旦那様……?」
「謝らなくていい。謝らなくて……いや、謝るのは俺だ。すまない、パメラ。最初に言ったことが君を苦しませているとは気づかなかった。すまない……」

 悲痛な声にパメラの心が満たされていく。絶望の色から薔薇色に心は染められていく。

 これは夢だろうか……
 それとも……

 パメラは確かめるようにアドニスの背中に手を回した。抱き寄せられた腕の力が強まった。

 腕の力強さが夢ではないことを教えてくれた。

 ゆっくりとアドニスはパメラを引き離した。見つめるとアドニスの顔がほんのり赤い。緊張しているのが伝わってくる。パメラも緊張して全身を熱くさせた。

「パメラ……ずっと言えなかったことがある」

 どこか素っ気ない態度だった彼。その彼が今は眉を下げて、弱々しく見えた。

「君を愛してる。誰よりも……」

 シン、と心が静まり返る。それも一瞬で、次に沸き上がったのは途方もない歓喜だった。

「だから、その……っ」

 耳まで真っ赤になったアドニスは困ったように言葉を途切れさせる。それがあまりにも可愛らしくてパメラは微笑んだ。

 愛を伝えられるのはなんて素敵なことだろう。
 そして、愛を伝えるのも、どうしようもなく素敵なことだ。

「私も愛してます……」

 ぎゅっとアドニスに抱きついた。アドニスは驚いて、体勢を崩す。そして、受け止めるようにパメラの背中に手が回される。

 支えてくれた手がゆっくりと強くなるのをパメラは感じていた。

「愛してますわ、アドニス様」

 ずっと口にしたかった名前で呼び、ずっと閉じ込めていた思いを口にする。

「っ……俺もだ。君が妻になってくれて幸せだ」

 それは今までで一番嬉しい言葉だった。メモをしなくては、忘れないように。パメラは幸福なぬくもりを感じながら、そんなことを思った。
< 9 / 10 >

この作品をシェア

pagetop