ハニトラしてこいと言われたので、本気を出してみた
「お前には、この先重要な仕事は任せられない」
ある日、上司である騎士団長ハワードから呼び出されたフィンレイは、突然にその事実を突きつけられた。
ここ最近、仕事で大きなミスはなかったはずで、まさに寝耳に水である。
さらに言えば、フィンレイは団員のみならず世間からも「謹厳実直・品行方正・模範的な勤務態度で、騎士の鑑」とまで言われてきた自負がある。
その評判に自惚れて驕らないようにしようと、常に自分を厳しく律してきたため、私生活においても不祥事などないはずだった。
「団長、讒言でも耳にされましたか? 日頃の俺を知っているであろう団長の心証が、まさかそんなことになっているとは。いったい、どういうことですか?」
フィンレイが柄にもなく感情を高ぶらせ、問い質す口ぶりになったのは、ハワードとフィンレイがただの上司と部下ではなく、義理の親子関係であったのも大きい。
幼い頃に両親を亡くしたフィンレイを、伯父で侯爵のハワードが養子として引き取り、我が子同然に育て上げたのであった。フィンレイが十八歳で騎士団に入ってから、この五年間は家を出て寮暮らしをしているとはいえ、職場では毎日顔を合わせている。休暇になると「実家」に帰り、のんびり酒を酌み交わすこともある仲だ。
公私ともに浅からぬ関係で、信頼を失うようなことは何もしていないはずなのに、どうして見放されてしまったのか。
ハワードは、執務机の上で指を組み合わせ、眉を寄せて深刻そうな溜め息をついた。
「これは私の育て方にも問題があったと言わざるを得ないのだが……、お前のその清廉潔白過ぎる性格が問題なのだ。良い意味でまっすぐで、素直だ。だが、裏表がなさすぎて、私情を交えず複雑な判断を要する任務は不向きと言わざるを得ない」
「そんなことはありません! どんな内容であれ、それが任務であれば完璧に遂行します! 騎士の剣にかけて!」
机の前に立ったフィンレイは、己の胸に手を当てて、猛然と言い切った。
しかし、ハワードの反応は芳しくない。
ちらっと上目遣いでフィンレイを見て、渋みのある端整な顔に悩ましげな表情を浮かべて低い声で言った。
「暗殺でも? 正々堂々としていない、騎士らしくないって言い出すんじゃないか?」
「……っ。いえ、任務であれば。自分の持てる限りの知識・技能を用いて対象者を確実に抹殺してきます。ぜひお申し付けください」
一瞬怯んだものの、フィンレイは真に迫った調子で答えた。その顔は、すでに暗殺者のそれである。
少しの沈黙の後、ハワードはもう一度深く息を吐きだすと、椅子の上で姿勢を正した。
「まあ、そうだな。暗殺であれば、できるのかもしれない。だが、うまくひとから情報を聞き出したり、うわさ話を流したりする諜報活動は? ……お前は、容姿が目立つからもともと隠密行動は不向きと言えば不向きなんだが」
ハワードの視線が、フィンレイの顔に向けられる。
漆黒の髪に、澄んだ琥珀色の瞳。顔立ちは精巧に整っていて品があり、身長はずば抜けて高い。よく鍛えた引き締まった体つきに、騎士団の制服が様になる。どこにいても人目をひく美丈夫であった。
実際、女性たちから常日頃熱い視線を送られていて、上司で義父であるハワード宛に「便宜を図るように」と持ち込まれている縁談も多い。だが、本人は「断ってください」の一点張りである。「自分はまだまだ仕事のことしか考えられません。家庭を持つのは早すぎます」と。
その考え自体はまったく問題はないものの、ハワードとしては「早すぎる」がいつまで続く断り文句なのか、若干気がかりなのであった。放っておけば、死ぬまで言いかねないのが、フィンレイという男なのだ。
洗練された所作も王宮勤務の騎士の嗜みとして身につけていて、黙っていれば無骨さのない貴族の男だというのに、口を開けばいわゆる「脳筋」に近い仁義や精神論が飛び出す。
何かと思考が硬直化していて、人間関係や金銭に潔癖すぎるきらいがある。
人に使われる立場で終わるのであればそれも個性のひとつかもしれないが、上に立つ者としての度量は不足しているように見える、それがハワードの偽らざる本音であった。
ゆえに呼び出した上での忠告となったのだが、これを最後通告とするほど切羽詰まっているわけではない。
そのいくつか手前の、注意喚起の段階であった。
しかし、なにしろフィンレイは一本気な男である。白か黒かが気になって仕方ない性質であり、曖昧な表現では心に響くところがない。ハワードとしても、気を引き締めて現実を突きつける必要があった。
そのため、「何を言われてもまっとうします!」の決然とした表情を浮かべているフィンレイに対して、ずばりと用件を告げた。
「フィンレイに特別任務を命じる。お前の今後を決める重要な仕事だと認識し、真剣に取り組んでほしい」
「心得てございます」
はきはきと答えたフィンレイに、机の上に伏せて置いてあった書類を差し出す。
受け取ったフィンレイが目を通し、顔を上げて「まさか、この方を暗殺しろと?」と物騒なことを言い出したところで、咳払いをして任務の内容を口にした。
「殺しではない。その調書に書かれているご令嬢を籠絡してこい。いわゆるハニートラップだ。失敗したら後がないと思え。以上だ」
* * *
ある日、上司である騎士団長ハワードから呼び出されたフィンレイは、突然にその事実を突きつけられた。
ここ最近、仕事で大きなミスはなかったはずで、まさに寝耳に水である。
さらに言えば、フィンレイは団員のみならず世間からも「謹厳実直・品行方正・模範的な勤務態度で、騎士の鑑」とまで言われてきた自負がある。
その評判に自惚れて驕らないようにしようと、常に自分を厳しく律してきたため、私生活においても不祥事などないはずだった。
「団長、讒言でも耳にされましたか? 日頃の俺を知っているであろう団長の心証が、まさかそんなことになっているとは。いったい、どういうことですか?」
フィンレイが柄にもなく感情を高ぶらせ、問い質す口ぶりになったのは、ハワードとフィンレイがただの上司と部下ではなく、義理の親子関係であったのも大きい。
幼い頃に両親を亡くしたフィンレイを、伯父で侯爵のハワードが養子として引き取り、我が子同然に育て上げたのであった。フィンレイが十八歳で騎士団に入ってから、この五年間は家を出て寮暮らしをしているとはいえ、職場では毎日顔を合わせている。休暇になると「実家」に帰り、のんびり酒を酌み交わすこともある仲だ。
公私ともに浅からぬ関係で、信頼を失うようなことは何もしていないはずなのに、どうして見放されてしまったのか。
ハワードは、執務机の上で指を組み合わせ、眉を寄せて深刻そうな溜め息をついた。
「これは私の育て方にも問題があったと言わざるを得ないのだが……、お前のその清廉潔白過ぎる性格が問題なのだ。良い意味でまっすぐで、素直だ。だが、裏表がなさすぎて、私情を交えず複雑な判断を要する任務は不向きと言わざるを得ない」
「そんなことはありません! どんな内容であれ、それが任務であれば完璧に遂行します! 騎士の剣にかけて!」
机の前に立ったフィンレイは、己の胸に手を当てて、猛然と言い切った。
しかし、ハワードの反応は芳しくない。
ちらっと上目遣いでフィンレイを見て、渋みのある端整な顔に悩ましげな表情を浮かべて低い声で言った。
「暗殺でも? 正々堂々としていない、騎士らしくないって言い出すんじゃないか?」
「……っ。いえ、任務であれば。自分の持てる限りの知識・技能を用いて対象者を確実に抹殺してきます。ぜひお申し付けください」
一瞬怯んだものの、フィンレイは真に迫った調子で答えた。その顔は、すでに暗殺者のそれである。
少しの沈黙の後、ハワードはもう一度深く息を吐きだすと、椅子の上で姿勢を正した。
「まあ、そうだな。暗殺であれば、できるのかもしれない。だが、うまくひとから情報を聞き出したり、うわさ話を流したりする諜報活動は? ……お前は、容姿が目立つからもともと隠密行動は不向きと言えば不向きなんだが」
ハワードの視線が、フィンレイの顔に向けられる。
漆黒の髪に、澄んだ琥珀色の瞳。顔立ちは精巧に整っていて品があり、身長はずば抜けて高い。よく鍛えた引き締まった体つきに、騎士団の制服が様になる。どこにいても人目をひく美丈夫であった。
実際、女性たちから常日頃熱い視線を送られていて、上司で義父であるハワード宛に「便宜を図るように」と持ち込まれている縁談も多い。だが、本人は「断ってください」の一点張りである。「自分はまだまだ仕事のことしか考えられません。家庭を持つのは早すぎます」と。
その考え自体はまったく問題はないものの、ハワードとしては「早すぎる」がいつまで続く断り文句なのか、若干気がかりなのであった。放っておけば、死ぬまで言いかねないのが、フィンレイという男なのだ。
洗練された所作も王宮勤務の騎士の嗜みとして身につけていて、黙っていれば無骨さのない貴族の男だというのに、口を開けばいわゆる「脳筋」に近い仁義や精神論が飛び出す。
何かと思考が硬直化していて、人間関係や金銭に潔癖すぎるきらいがある。
人に使われる立場で終わるのであればそれも個性のひとつかもしれないが、上に立つ者としての度量は不足しているように見える、それがハワードの偽らざる本音であった。
ゆえに呼び出した上での忠告となったのだが、これを最後通告とするほど切羽詰まっているわけではない。
そのいくつか手前の、注意喚起の段階であった。
しかし、なにしろフィンレイは一本気な男である。白か黒かが気になって仕方ない性質であり、曖昧な表現では心に響くところがない。ハワードとしても、気を引き締めて現実を突きつける必要があった。
そのため、「何を言われてもまっとうします!」の決然とした表情を浮かべているフィンレイに対して、ずばりと用件を告げた。
「フィンレイに特別任務を命じる。お前の今後を決める重要な仕事だと認識し、真剣に取り組んでほしい」
「心得てございます」
はきはきと答えたフィンレイに、机の上に伏せて置いてあった書類を差し出す。
受け取ったフィンレイが目を通し、顔を上げて「まさか、この方を暗殺しろと?」と物騒なことを言い出したところで、咳払いをして任務の内容を口にした。
「殺しではない。その調書に書かれているご令嬢を籠絡してこい。いわゆるハニートラップだ。失敗したら後がないと思え。以上だ」
* * *
< 1 / 6 >