ハニトラしてこいと言われたので、本気を出してみた
セルマ・ランスは伯爵家の一人娘である。
父親の領地運営も商会経営も順風満帆、金銭的には何不自由なく育ち、上の兄二人は結婚して子どももいることから、跡継ぎ問題とも無縁。栗色の髪に水色の瞳で、顔立ちに派手さはないが子どもの頃から非常に可憐と身内の間では評判だった。
母親を病気で早く亡くしたこともあり、父と兄二人はセルマを溺愛して甘やかして育ててきた。
その一方で。
敏腕経営者として音に聞こえた男たちは本質的に非常に厳格であり、わがままには容赦なく、その教育の賜物としてセルマは節度ある振る舞いを心得た、誠実な人柄の娘として育った。
どこに出しても恥ずかしくない貴族のご令嬢として、これは将来が楽しみ――と、父と兄で口々に言い合っていたのもいまは昔。
礼節をわきまえ、火遊びには興味も示さず、常に折り目正しい言動のセルマは、羽目を外すことなく粛々と年齢を重ねて、現在二十七歳。この国の貴族女性の、結婚適齢期からはすでに外れている。
もちろん、当初は父も兄も縁談はすすめていたのだ。
だが、セルマは首を縦にふることがなかった。
たとえば、多くの貴族の令嬢が婚約を結ぶ女学校時代。
「友達が、婚約者と親密な関係になり、身ごもったというのです。卒業後は結婚するということですが、体がお辛いようで授業はほとんど欠席となりまして……。もしものことを考えると、私に婚約者はまだ早いように思いました。卒業後でも、良いのではないかと」
これには、家族も同意せざるを得ない説得力があった。
では改めてとそこで話は終わり、いざ卒業後。
一時的に国中が不作で領地での税収が危機に陥ったり、商会経営も振るわずといった期間があり、家族一丸となって乗り越えよう! と一致団結した結果、セルマは伯爵夫人不在の家を忙しい父やすでに家を出ている兄たちに代わってしっかり守り抜いた。
それだけではなく、自分もできるところから手伝いますと商会に顔を出して経理業務などに携わっているうちに、めきめきと頭角をあらわし、家でも商会でもなくてはならない存在となった。
そして、またたくまに数年が過ぎた。
気がついたときには、すでに行き遅れの年齢になっていたのである。
なお、本人はまったく意に介しておらず、父であるランス伯爵がたまに水を向けても楽しげに笑うばかりであった。
「私も、気づいていなかったわけではないんですよ。でも、屋敷の管理も商会の仕事も楽しかったですし、伯爵家は兄様が継ぐわけですから、私に子どもがいなくても問題はないわけですよね。それに、この年齢では、良縁は難しいでしょう。筋の悪い親戚が増えるよりは、未婚の叔母であるほうが、たとえ兄様の子どもが家督を継ぐまで長生きしても、そっとしておいてもらえるのではないでしょうか」
これまた、一概に否定しにくいことを言う。
少女の頃はその身持ちの固さは美徳であったが、年齢を重ねたいま「浮いた噂ひとつなく、実際に何もなかった」セルマは、扱いが難しい面もあった。
性格は明るく、商会の仕事もこなすだけあって人見知りもしないものの、ドレスを作る暇が無いとかエスコートしてくれるひとがいないと言っているうちに、社交界とは完全に距離を置いてしまっているのである。
女学校時代の友人とはお茶会程度の親交は続いているが、夜会などは断り続けているうちに声がかからなくなって、それっきり。
すでに、出会いのきっかけすらない。
お前が選んだ相手ならとやかく言うこともないぞ、仕事つながりで気になる相手はいないのかと伯爵は一応言ってはみるものの、セルマは「特にいません」ときっぱり。
――これはもう、どうにもならないかもしれない。
頭を抱えたランス伯爵は、王宮に出仕した際に、義理の息子に対して同じ悩みを持つ騎士団長と出会った。
堅物娘と、堅物息子の親同士は、そこで同じ言葉を口にする。
だめもと。
ここで二人が結ばれるなどという都合の良い展開は、考えない。ただ、恋人がいると楽しいかもしれないという思いを双方が抱いてくれるだけで良い。
もちろん、現状二人とも婚約者も恋人もいないので、進展があっても何一つ問題はない。
利害の一致により、事態は動き出したのであった。
* * *
父親の領地運営も商会経営も順風満帆、金銭的には何不自由なく育ち、上の兄二人は結婚して子どももいることから、跡継ぎ問題とも無縁。栗色の髪に水色の瞳で、顔立ちに派手さはないが子どもの頃から非常に可憐と身内の間では評判だった。
母親を病気で早く亡くしたこともあり、父と兄二人はセルマを溺愛して甘やかして育ててきた。
その一方で。
敏腕経営者として音に聞こえた男たちは本質的に非常に厳格であり、わがままには容赦なく、その教育の賜物としてセルマは節度ある振る舞いを心得た、誠実な人柄の娘として育った。
どこに出しても恥ずかしくない貴族のご令嬢として、これは将来が楽しみ――と、父と兄で口々に言い合っていたのもいまは昔。
礼節をわきまえ、火遊びには興味も示さず、常に折り目正しい言動のセルマは、羽目を外すことなく粛々と年齢を重ねて、現在二十七歳。この国の貴族女性の、結婚適齢期からはすでに外れている。
もちろん、当初は父も兄も縁談はすすめていたのだ。
だが、セルマは首を縦にふることがなかった。
たとえば、多くの貴族の令嬢が婚約を結ぶ女学校時代。
「友達が、婚約者と親密な関係になり、身ごもったというのです。卒業後は結婚するということですが、体がお辛いようで授業はほとんど欠席となりまして……。もしものことを考えると、私に婚約者はまだ早いように思いました。卒業後でも、良いのではないかと」
これには、家族も同意せざるを得ない説得力があった。
では改めてとそこで話は終わり、いざ卒業後。
一時的に国中が不作で領地での税収が危機に陥ったり、商会経営も振るわずといった期間があり、家族一丸となって乗り越えよう! と一致団結した結果、セルマは伯爵夫人不在の家を忙しい父やすでに家を出ている兄たちに代わってしっかり守り抜いた。
それだけではなく、自分もできるところから手伝いますと商会に顔を出して経理業務などに携わっているうちに、めきめきと頭角をあらわし、家でも商会でもなくてはならない存在となった。
そして、またたくまに数年が過ぎた。
気がついたときには、すでに行き遅れの年齢になっていたのである。
なお、本人はまったく意に介しておらず、父であるランス伯爵がたまに水を向けても楽しげに笑うばかりであった。
「私も、気づいていなかったわけではないんですよ。でも、屋敷の管理も商会の仕事も楽しかったですし、伯爵家は兄様が継ぐわけですから、私に子どもがいなくても問題はないわけですよね。それに、この年齢では、良縁は難しいでしょう。筋の悪い親戚が増えるよりは、未婚の叔母であるほうが、たとえ兄様の子どもが家督を継ぐまで長生きしても、そっとしておいてもらえるのではないでしょうか」
これまた、一概に否定しにくいことを言う。
少女の頃はその身持ちの固さは美徳であったが、年齢を重ねたいま「浮いた噂ひとつなく、実際に何もなかった」セルマは、扱いが難しい面もあった。
性格は明るく、商会の仕事もこなすだけあって人見知りもしないものの、ドレスを作る暇が無いとかエスコートしてくれるひとがいないと言っているうちに、社交界とは完全に距離を置いてしまっているのである。
女学校時代の友人とはお茶会程度の親交は続いているが、夜会などは断り続けているうちに声がかからなくなって、それっきり。
すでに、出会いのきっかけすらない。
お前が選んだ相手ならとやかく言うこともないぞ、仕事つながりで気になる相手はいないのかと伯爵は一応言ってはみるものの、セルマは「特にいません」ときっぱり。
――これはもう、どうにもならないかもしれない。
頭を抱えたランス伯爵は、王宮に出仕した際に、義理の息子に対して同じ悩みを持つ騎士団長と出会った。
堅物娘と、堅物息子の親同士は、そこで同じ言葉を口にする。
だめもと。
ここで二人が結ばれるなどという都合の良い展開は、考えない。ただ、恋人がいると楽しいかもしれないという思いを双方が抱いてくれるだけで良い。
もちろん、現状二人とも婚約者も恋人もいないので、進展があっても何一つ問題はない。
利害の一致により、事態は動き出したのであった。
* * *