ハニトラしてこいと言われたので、本気を出してみた
「ハニートラップだ!! 一身上の都合でハニトラを敢行している! だが、そろそろ行き詰まるかもしれない。留意すべき点があれば教えてくれ!」
年上の伯爵令嬢セルマなる貴婦人を籠絡する使命を帯びたフィンレイは、騎士団内でも指折りの色男として浮名を流している同僚のアランに詰め寄った。
仕事終わりの騎士団の寮で、街に出かけようとしていたところで捕まった私服姿のアランは、いかにも女性に好かれそうな甘く整った美貌の持ち主。片方の眉を跳ね上げて、口の端を面白そうに釣り上げる。
「あのフィンレイに、面白い任務がまわってきたものだな。こうやって臆面もなく俺に聞いてくるということは、他言無用の制約はないんだな? それなら相談に乗らなくもない」
重要な確認を受けて、フィンレイは力強く頷いた。
「場合によっては、識者の協力を仰いでも良いと。ただし、標的に近づくのは俺一人で、手段は合法の範囲内で相手の心身を傷つけないこと。必要な情報を探った後も、定期的な接触の可能性を排除することなく、良好な関係で任務を終えるようにと」
アランは、フィンレイが並べ立てた情報をふんふんと腕組をして聞き終えた。
そして、少しだけ考える素振りをして言った。
「それはハニトラなのか? どストレートに、その相手と友だちになるってことじゃないのか? もしくは恋人……」
もっともな疑問だったが、フィンレイは「ハニトラだ!」と勢いよく断言をした。
「任務の完了は、二週間後の王宮主催の夜会に彼女を誘い、エスコートして入場、ダンスを一曲踊ることだ。こんなの、ある程度親しく特別な間柄の女性とでなければ、実現不可能だ。任務で女性と親しくなることを『ハニトラ』以外のなんと言う」
「なるほど? 待てよ。お前は今まで、そういったこと全然なかったよな。縁談も直接の誘いもすべて遮断してきたよな? それが、夜会の場に堂々と女性と現れたとなると……引っ込みがつかないんじゃないのか?」
「その場合は、相手の気持ちを確認する。迷惑だと言うのなら、俺がそのひとには非がないことを公言し、俺の完全な片思いだったと周知徹底させる。セルマ嬢には、嫌われたくない。……任務後の定期的な接触の可能性を、残しておきたいので」
真面目そのものの顔で言うフィンレイであったが、落ち着かない様子で視線が泳いだ。「はは~ん」と、アランが相好を崩した。
「すでに相手について、ある程度の調べはついているんだな?」
「もちろんだ。指令が下ってからこの一週間、標的のセルマ・ランス伯爵令嬢について尾行や聞き込みなどで張り付いて、行動パターンも人間性も調査済みだ。すれ違いざまにハンカチを落としてみたら、拾って声をかけてくれた。そのとき、少しだけ会話もした。実に理知的で素晴らしい女性だと思う。任務とはいえ、迷惑をかけたり、彼女の不利益になることはしたくないんだ。幸い、彼女から抜いてくる情報も差し障りのないものなので、現在の彼女の立場を不当に貶めるものではなく良かった……」
普段、取り澄ました顔をしているフィンレイが、女性にハンカチを拾ってもらった件を熱心に話す様子に、アランは堪えきれずに腹を抱えて笑い出した。「ハニトラ、がんばってるなぁ!」と、笑いすぎて目に涙をにじませながら、真剣な顔で待機しているフィンレイに尋ねる。
「上々だ。そのときに、お前から相手のご令嬢に名乗ったり、次の約束を取り付けたりしたのか?」
「ハンカチを拾っただけで『我こそはフィンレイ! 騎士である!』と名乗られたら、びっくりしないか? 予定を聞かれて、また会いましょうと言われたら、警戒しないか?」
フィンレイは、真面目くさった顔で答えた。アランは「あー」と間延びした声を上げて、フィンレイの両肩に両手を置いた。
「お前は素晴らしく安全な男だ。だが、それでは始まる恋も始まらない。ちなみに、標的に近づいて何を探るのが目的なんだ?」
「好きな花だ。おそらく今回の任務は、俺が今後ハニトラ案件をできるかという団長からのテストの意味合いであって、正規任務ではなく、対象も悪事には無縁な女性のように思われる。好きな花についてはもう聞いた。カスミソウだ。いかにも彼女らしいと思った。花束で贈りたい」
寮の出入り口で話していたせいで、通りすがりの団員たちが立ち止まり、話に耳を傾けている。フィンレイは囲いができていく様子に不思議そうにしながらも、アランに向き直り「彼女に花を贈っても良いものだろうか。ハンカチを拾ってもらっただけなのに」と言った。
「フィンレイ、気になるから教えてほしい。どうやって好きな花を聞いたんだ?」
「そんなこと、百戦錬磨のアランならいくらでも思いつくだろ?」
「いや、俺はお前の言葉で聞きたいんだ」
「ハンカチを受け取るときに『花のような綺麗な手ですね。あなたのお好きな花はなんですか』と聞いたら『私の好きな花はカスミソウです。控えめで落ち着くんです』と。ものすごく可憐な笑顔で、親切にも教えてくれた。花のような女性だ。そのまま悪い男に摘み取られるんじゃないかと心配になって、家に無事帰り着くまで尾行してしまった」
周囲に集まった騎士たちは、頭を抱える者、呻き声を上げる者、胸をかきむしる者、思い思いのポーズで悶絶していた。フィンレイの、一途と執着紙一重の熱烈な告白を聞き終え、その肩に手を置いたまま直立の姿勢を保っていたアランは「わかった」と深く頷いた。
「ひとりでずいぶん頑張ったんだな、ハニトラ。それはもう立派なハニトラだよ……! こうなったら、相手が他の男に摘み取られないよう、しっかり護衛しながら夜会にエスコートだ。協力は惜しまないぞ。聞いたな、みんな」
アランがその場にいた騎士たちを振り返ると「うぉーっ!!」という雄叫びが上がった。洗練優美が特色の王宮騎士団とはいえ、そこは戦闘職の男集団、気合が入った怒号は凄まじいものがあった。
通りすがりの文官がびくっと身を引き「戦支度……?」と呟いていたが、やるぞやるぞの空気に満ち溢れた騎士団はもはやそれどころではない。
かくして、フィンレイのハニトラは(非番等で)暇をしていた騎士団たちの強烈なバックアップを受けて、続行されることとなった。
* * *
年上の伯爵令嬢セルマなる貴婦人を籠絡する使命を帯びたフィンレイは、騎士団内でも指折りの色男として浮名を流している同僚のアランに詰め寄った。
仕事終わりの騎士団の寮で、街に出かけようとしていたところで捕まった私服姿のアランは、いかにも女性に好かれそうな甘く整った美貌の持ち主。片方の眉を跳ね上げて、口の端を面白そうに釣り上げる。
「あのフィンレイに、面白い任務がまわってきたものだな。こうやって臆面もなく俺に聞いてくるということは、他言無用の制約はないんだな? それなら相談に乗らなくもない」
重要な確認を受けて、フィンレイは力強く頷いた。
「場合によっては、識者の協力を仰いでも良いと。ただし、標的に近づくのは俺一人で、手段は合法の範囲内で相手の心身を傷つけないこと。必要な情報を探った後も、定期的な接触の可能性を排除することなく、良好な関係で任務を終えるようにと」
アランは、フィンレイが並べ立てた情報をふんふんと腕組をして聞き終えた。
そして、少しだけ考える素振りをして言った。
「それはハニトラなのか? どストレートに、その相手と友だちになるってことじゃないのか? もしくは恋人……」
もっともな疑問だったが、フィンレイは「ハニトラだ!」と勢いよく断言をした。
「任務の完了は、二週間後の王宮主催の夜会に彼女を誘い、エスコートして入場、ダンスを一曲踊ることだ。こんなの、ある程度親しく特別な間柄の女性とでなければ、実現不可能だ。任務で女性と親しくなることを『ハニトラ』以外のなんと言う」
「なるほど? 待てよ。お前は今まで、そういったこと全然なかったよな。縁談も直接の誘いもすべて遮断してきたよな? それが、夜会の場に堂々と女性と現れたとなると……引っ込みがつかないんじゃないのか?」
「その場合は、相手の気持ちを確認する。迷惑だと言うのなら、俺がそのひとには非がないことを公言し、俺の完全な片思いだったと周知徹底させる。セルマ嬢には、嫌われたくない。……任務後の定期的な接触の可能性を、残しておきたいので」
真面目そのものの顔で言うフィンレイであったが、落ち着かない様子で視線が泳いだ。「はは~ん」と、アランが相好を崩した。
「すでに相手について、ある程度の調べはついているんだな?」
「もちろんだ。指令が下ってからこの一週間、標的のセルマ・ランス伯爵令嬢について尾行や聞き込みなどで張り付いて、行動パターンも人間性も調査済みだ。すれ違いざまにハンカチを落としてみたら、拾って声をかけてくれた。そのとき、少しだけ会話もした。実に理知的で素晴らしい女性だと思う。任務とはいえ、迷惑をかけたり、彼女の不利益になることはしたくないんだ。幸い、彼女から抜いてくる情報も差し障りのないものなので、現在の彼女の立場を不当に貶めるものではなく良かった……」
普段、取り澄ました顔をしているフィンレイが、女性にハンカチを拾ってもらった件を熱心に話す様子に、アランは堪えきれずに腹を抱えて笑い出した。「ハニトラ、がんばってるなぁ!」と、笑いすぎて目に涙をにじませながら、真剣な顔で待機しているフィンレイに尋ねる。
「上々だ。そのときに、お前から相手のご令嬢に名乗ったり、次の約束を取り付けたりしたのか?」
「ハンカチを拾っただけで『我こそはフィンレイ! 騎士である!』と名乗られたら、びっくりしないか? 予定を聞かれて、また会いましょうと言われたら、警戒しないか?」
フィンレイは、真面目くさった顔で答えた。アランは「あー」と間延びした声を上げて、フィンレイの両肩に両手を置いた。
「お前は素晴らしく安全な男だ。だが、それでは始まる恋も始まらない。ちなみに、標的に近づいて何を探るのが目的なんだ?」
「好きな花だ。おそらく今回の任務は、俺が今後ハニトラ案件をできるかという団長からのテストの意味合いであって、正規任務ではなく、対象も悪事には無縁な女性のように思われる。好きな花についてはもう聞いた。カスミソウだ。いかにも彼女らしいと思った。花束で贈りたい」
寮の出入り口で話していたせいで、通りすがりの団員たちが立ち止まり、話に耳を傾けている。フィンレイは囲いができていく様子に不思議そうにしながらも、アランに向き直り「彼女に花を贈っても良いものだろうか。ハンカチを拾ってもらっただけなのに」と言った。
「フィンレイ、気になるから教えてほしい。どうやって好きな花を聞いたんだ?」
「そんなこと、百戦錬磨のアランならいくらでも思いつくだろ?」
「いや、俺はお前の言葉で聞きたいんだ」
「ハンカチを受け取るときに『花のような綺麗な手ですね。あなたのお好きな花はなんですか』と聞いたら『私の好きな花はカスミソウです。控えめで落ち着くんです』と。ものすごく可憐な笑顔で、親切にも教えてくれた。花のような女性だ。そのまま悪い男に摘み取られるんじゃないかと心配になって、家に無事帰り着くまで尾行してしまった」
周囲に集まった騎士たちは、頭を抱える者、呻き声を上げる者、胸をかきむしる者、思い思いのポーズで悶絶していた。フィンレイの、一途と執着紙一重の熱烈な告白を聞き終え、その肩に手を置いたまま直立の姿勢を保っていたアランは「わかった」と深く頷いた。
「ひとりでずいぶん頑張ったんだな、ハニトラ。それはもう立派なハニトラだよ……! こうなったら、相手が他の男に摘み取られないよう、しっかり護衛しながら夜会にエスコートだ。協力は惜しまないぞ。聞いたな、みんな」
アランがその場にいた騎士たちを振り返ると「うぉーっ!!」という雄叫びが上がった。洗練優美が特色の王宮騎士団とはいえ、そこは戦闘職の男集団、気合が入った怒号は凄まじいものがあった。
通りすがりの文官がびくっと身を引き「戦支度……?」と呟いていたが、やるぞやるぞの空気に満ち溢れた騎士団はもはやそれどころではない。
かくして、フィンレイのハニトラは(非番等で)暇をしていた騎士団たちの強烈なバックアップを受けて、続行されることとなった。
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