ハニトラしてこいと言われたので、本気を出してみた
久しぶりの社交界、セルマはフィンレイと選んだ薄紅色のドレスで臨んだ。
二週間に渡り、丁寧に肌を整え、きちんと化粧をして盛装に身を包んだセルマは、自分でもびっくりするほど化けた。
フィンレイは、化ける必要もないくらい出会ったときから美しい青年であったが、騎士団の正装で現れると目を奪われるほどの優美さであった。
二人で連れ立って夜会の場に姿を見せると、辺りがどよめくのが伝わってきた。
(そうだと思う。フィンレイさんは名前の知れた騎士で、私は正体不明の年増。でも、見た目はまあまあ許容の範囲内? 恋人同士に見えているはず)
この恋人ごっこは、なんの目的で、いつまで続けるのだろう――
フィンレイはセルマを舞踏室に誘うと、「一曲踊って頂けますか?」と型通りに尋ねてきた。「もちろん」とセルマが答えたところで、音楽が始まり、二人は踊り始める。
実は、特訓期間は講師と踊るばかりで、フィンレイと実地で訓練したことはなく、したがってこれが彼との最初のダンスだった。
だが、伯爵家のダンスホールで見学をしていたフィンレイは、セルマのクセを把握しているらしく、呼吸を合わせて無理なく導くように踊っていた。さすが、騎士だけあって体幹が良い。
見つめ合い、触れ合う中で、セルマは黙っていることができずに尋ねてしまった。
「いつまで続けるんですか?」
「曲が終わるまで。疲れました?」
「そうじゃなくて。あなたと私のこの、偽装恋人ごっこです」
フィンレイが、がくりとバランスを崩した。つられてセルマも転びかけたが、すぐにフィンレイが受け止めて、勢いで抱き上げたので、ミスではなく余興と勘違いしたらしい周囲から称賛の声が上がった。
丁寧な仕草で、フィンレイがセルマを床に下ろしたところで、曲が終わる。
(終わった……)
これで、当初の申し出の通りの約束は果たしたはず、と思ったセルマの手を取り、自分の方へと注意をひきつけたフィンレイが、低い声で囁いてきた。
「全然足りない。もう一曲踊っていただけますか」
セルマは、その申し出に対して逡巡した。いくら社交界に疎いと言っても、二度続けてのダンスは「特別な関係にある」と周囲に知らしめる効果があることは知っている。
悩んでいるうちに、楽団は次なる曲を奏で、フィンレイはしっかりとセルマの手を握り直した。
「お願いします。俺と踊って欲しい」
透明感のある涼やかな瞳に見つめられ、真摯な態度で懇願されて、セルマはすぐには何も言えなかった。
だが、言わないわけにはいかないと心に決める。
音楽に合わせて騎士のたくましい腕で腰を抱かれ、ゆるやかに胸元まで抱き寄せられたときにそっと囁いた。
「二度続けてのダンスは、特別な意味を持ってしまいます。噂は確実なものとして広まることでしょう。これは本当にあなたの望みでしたか?」
言うべきことは言った。フィンレイの反応次第では、ダンスを切り上げて、この場を去ることも覚悟の上で。
セルマの決意をよそに、フィンレイはセルマを抱き寄せる腕に力を込めて、しっかりと胸元に抱き寄せつつ、耳元に唇を寄せて囁いてきた。
「初心な年下の男を相手にしているおつもりかもしれませんが、王宮勤めの俺が二度目のダンスの暗黙の了解を知らないわけがないと思いませんか?」
「では」
驚いてセルマが顔を上げると、フィンレイは少しだけ照れた様子で頷いた。
「嵌めるつもりではなく、断られたら、引き下がるつもりでした。でも、あなたが知った上で受けてくださったなら俺としてはとても嬉しいです。ダンスはこのまま続けるということで、よろしいですか?」
言葉もなく、セルマはフィンレイを見つめた。
長い間、結婚へ至る付き合いも恋愛もすることなく、今から出会って縁を結んでも、慎重な自分のことだから、そこからまた長い時間がかかると思っていた。
それなのに、思いがけないことが起きているとここでようやく自覚した。
「ハンカチを拾っただけなのに?」
「あれは実は、策略です。拾ってもらうつもりで落としました。本気であなたをトラップにはめるつもりで、まずは話してみたかったんです。いまは、もっと先のことも望んでいる」
相手を替えて踊るには、もうタイミングを逃してしまっている。二曲目を踊っていることは、もう言い訳することもできないくらい周知された。
セルマは覚悟を決めて、答えた。
「二曲目のダンスを受けましたので、その話も謹んで、お受けします。かなうことなら、今夜はずっとあなたの腕の中で踊っていたいと、思いました」
言ってしまってから、自分でもずいぶん大胆なセリフだな、と頬が真っ赤になるのがわかった。
ダンスの相手を替えることなく踊り続けるなんて、破廉恥と誹られても仕方のないマナー違反だ。それくらいだったら、中座してしまったほうがまだましというもの。
一方のフィンレイもまた、かあっと顔に血を上らせて、しどろもどろな口調で尋ねてきた。
「それは……夜通し……ベッドの中でもという意味ですか?」
「意味じゃない! 違います! そんな色気のあること、私が言うわけないでしょう!?」
「そ、そうですよね。セルマさんが言うわけないですね。俺が妄想しただけです。俺の腕の中で踊り続けるセルマさん」
ま だ 言 う か。
「もう言わなくていいです! 恥ずかしいから! 妄想は頭の中にしまっておいてください!」
「はい。でも、俺が何を考えているか知りたくなったときは、遠慮せずに聞いてください。俺はあなたに隠し事ができそうにありません」
「聞きません!」
言い合いになりながら、その一曲も二人で最後まで踊りきった。
そして、「事の始まりから聞いていただけますか?」と言うフィンレイとともに連れ立って夜会を抜け出し、セルマは自分を取り巻く陰謀をはじめて聞いて、彼の義父と自分の父を思い、大まかな事情を察した。
そういうことだったの、と笑い飛ばしてから「ハニトラ任務はきっと最初で最後だと思うわ」とほがらかに告げたのだった。
二週間に渡り、丁寧に肌を整え、きちんと化粧をして盛装に身を包んだセルマは、自分でもびっくりするほど化けた。
フィンレイは、化ける必要もないくらい出会ったときから美しい青年であったが、騎士団の正装で現れると目を奪われるほどの優美さであった。
二人で連れ立って夜会の場に姿を見せると、辺りがどよめくのが伝わってきた。
(そうだと思う。フィンレイさんは名前の知れた騎士で、私は正体不明の年増。でも、見た目はまあまあ許容の範囲内? 恋人同士に見えているはず)
この恋人ごっこは、なんの目的で、いつまで続けるのだろう――
フィンレイはセルマを舞踏室に誘うと、「一曲踊って頂けますか?」と型通りに尋ねてきた。「もちろん」とセルマが答えたところで、音楽が始まり、二人は踊り始める。
実は、特訓期間は講師と踊るばかりで、フィンレイと実地で訓練したことはなく、したがってこれが彼との最初のダンスだった。
だが、伯爵家のダンスホールで見学をしていたフィンレイは、セルマのクセを把握しているらしく、呼吸を合わせて無理なく導くように踊っていた。さすが、騎士だけあって体幹が良い。
見つめ合い、触れ合う中で、セルマは黙っていることができずに尋ねてしまった。
「いつまで続けるんですか?」
「曲が終わるまで。疲れました?」
「そうじゃなくて。あなたと私のこの、偽装恋人ごっこです」
フィンレイが、がくりとバランスを崩した。つられてセルマも転びかけたが、すぐにフィンレイが受け止めて、勢いで抱き上げたので、ミスではなく余興と勘違いしたらしい周囲から称賛の声が上がった。
丁寧な仕草で、フィンレイがセルマを床に下ろしたところで、曲が終わる。
(終わった……)
これで、当初の申し出の通りの約束は果たしたはず、と思ったセルマの手を取り、自分の方へと注意をひきつけたフィンレイが、低い声で囁いてきた。
「全然足りない。もう一曲踊っていただけますか」
セルマは、その申し出に対して逡巡した。いくら社交界に疎いと言っても、二度続けてのダンスは「特別な関係にある」と周囲に知らしめる効果があることは知っている。
悩んでいるうちに、楽団は次なる曲を奏で、フィンレイはしっかりとセルマの手を握り直した。
「お願いします。俺と踊って欲しい」
透明感のある涼やかな瞳に見つめられ、真摯な態度で懇願されて、セルマはすぐには何も言えなかった。
だが、言わないわけにはいかないと心に決める。
音楽に合わせて騎士のたくましい腕で腰を抱かれ、ゆるやかに胸元まで抱き寄せられたときにそっと囁いた。
「二度続けてのダンスは、特別な意味を持ってしまいます。噂は確実なものとして広まることでしょう。これは本当にあなたの望みでしたか?」
言うべきことは言った。フィンレイの反応次第では、ダンスを切り上げて、この場を去ることも覚悟の上で。
セルマの決意をよそに、フィンレイはセルマを抱き寄せる腕に力を込めて、しっかりと胸元に抱き寄せつつ、耳元に唇を寄せて囁いてきた。
「初心な年下の男を相手にしているおつもりかもしれませんが、王宮勤めの俺が二度目のダンスの暗黙の了解を知らないわけがないと思いませんか?」
「では」
驚いてセルマが顔を上げると、フィンレイは少しだけ照れた様子で頷いた。
「嵌めるつもりではなく、断られたら、引き下がるつもりでした。でも、あなたが知った上で受けてくださったなら俺としてはとても嬉しいです。ダンスはこのまま続けるということで、よろしいですか?」
言葉もなく、セルマはフィンレイを見つめた。
長い間、結婚へ至る付き合いも恋愛もすることなく、今から出会って縁を結んでも、慎重な自分のことだから、そこからまた長い時間がかかると思っていた。
それなのに、思いがけないことが起きているとここでようやく自覚した。
「ハンカチを拾っただけなのに?」
「あれは実は、策略です。拾ってもらうつもりで落としました。本気であなたをトラップにはめるつもりで、まずは話してみたかったんです。いまは、もっと先のことも望んでいる」
相手を替えて踊るには、もうタイミングを逃してしまっている。二曲目を踊っていることは、もう言い訳することもできないくらい周知された。
セルマは覚悟を決めて、答えた。
「二曲目のダンスを受けましたので、その話も謹んで、お受けします。かなうことなら、今夜はずっとあなたの腕の中で踊っていたいと、思いました」
言ってしまってから、自分でもずいぶん大胆なセリフだな、と頬が真っ赤になるのがわかった。
ダンスの相手を替えることなく踊り続けるなんて、破廉恥と誹られても仕方のないマナー違反だ。それくらいだったら、中座してしまったほうがまだましというもの。
一方のフィンレイもまた、かあっと顔に血を上らせて、しどろもどろな口調で尋ねてきた。
「それは……夜通し……ベッドの中でもという意味ですか?」
「意味じゃない! 違います! そんな色気のあること、私が言うわけないでしょう!?」
「そ、そうですよね。セルマさんが言うわけないですね。俺が妄想しただけです。俺の腕の中で踊り続けるセルマさん」
ま だ 言 う か。
「もう言わなくていいです! 恥ずかしいから! 妄想は頭の中にしまっておいてください!」
「はい。でも、俺が何を考えているか知りたくなったときは、遠慮せずに聞いてください。俺はあなたに隠し事ができそうにありません」
「聞きません!」
言い合いになりながら、その一曲も二人で最後まで踊りきった。
そして、「事の始まりから聞いていただけますか?」と言うフィンレイとともに連れ立って夜会を抜け出し、セルマは自分を取り巻く陰謀をはじめて聞いて、彼の義父と自分の父を思い、大まかな事情を察した。
そういうことだったの、と笑い飛ばしてから「ハニトラ任務はきっと最初で最後だと思うわ」とほがらかに告げたのだった。