【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください

 ベネディック様の鋭い声と激昂したその姿に、私たちは固まってしまった。彼はつかつかと大股で近づき、私とアルフ様を乱暴に引き剥がそうとしたが私の片腕が勢いに耐えきれず、光の粒子となって拡散した。

「フェリーネ!?」
「お義姉様!?」
「ああ、痛くはないの。……ただ時間切れみたい」

 思った以上に、私の心が疲弊していたのだろう。地上で一定数以上のストレスが蓄積した際、私の精神安定を優先して強制送還術式が組み込まれている。もちろん魔導師でもない私がどうこうできるものじゃない。

 お別れをするなら、今しかない。
 ふう、と一呼吸を置いてベネディック様を見た。先ほどまで激昂していたのが嘘のように、顔が青い。でも彼は、私が居なくても大丈夫。
 だい……じょうぶ。

 未練ばかりで本当に女々しい。それでもこうなってしまった以上、これで良いのだろう。勝手に押しかけて、妻になって勝手に居なくなる。
 結局私は、貴方に恩を返せたのかしら?
 恩を仇で返す形にだけはしないように終わらせないと……。ぐっと唇を噛みしめて、口元を綻ばせる。
 今、私はうまく笑えているかしら?

「──っ、ベネディック様。二年契約でしたが奇病も完治しましたし、契約は履行したということで……当初の予定通り消えることにしますわ」
「なっ、フェリーネ。どうして……そんなっ」

 ベネディック様は酷く動揺していたけれど、いきなり体が崩れたら誰だって驚くわ。そう思ったのだけれど、すぐにベネディック様の表情が変わった。最初に出会った時よりも鋭い視線が私を射抜く。

「許さない。フェリーネがいなくなることなど、私は許可していない! 契約不履行だ! ずっと一緒に居ると、本当の夫婦になったつもりだったのは……私だけだったのか!?」
「──っ」
「兄様、お義姉様は──」
「お前は黙っていなさい」

 胸が痛くて、悲しかった。
 下唇をギュッと噛みしめながら、言葉を返す。私だって本当の夫婦になれたと思っていたわ。でも──。

「私の『普通』と、ベネディック様の『普通』は違うのでしょう。私には貴族の常識なんてありませんし、何をしても付け焼き刃で、覚悟だって……見通しが甘かったのです」
「侯爵令嬢から話は聞いている。フェリーネが社交界に出たくないのなら、それでもいい。だから──私の傍から居なくならないでくれ。……頼む」

 手を差し伸べるベネディック様の顔は真剣だった。悲しいほどに、やっぱり私とベネディック様の価値観は合わないらしい。

「ごめんなさい、ベネディック様。心の底から求められていると分かっていても……それだけは譲れそうにありません」
「フェリーネ!」
「スサンナ様とお幸せに」

 最後にお話ができて良かった。そう思っていたのに、ベネディック様はこれでもかと目を大きく見開き、信じられないといった顔をする。

「なぜ、私が侯爵令嬢と幸せに? 今彼女は関係ないだろう?」
「え……? でも深夜に二人で」
「なっ!? あれは違う。使用人たちが勝手に──」
「兄様はお義姉様を愛人に格下げして、侯爵令嬢を正妻にすると聞きましたが、本気ですか!? 僕は反対です!」
「なんだそれは! 私の妻はフェリーネだけだ。なぜ愛人に?」

 ベネディック様は困惑しているが、私はそれ以上にハテナマークが浮かび上がる。スサンナ様から話は伝わってない?
 体が崩れかけて、もう最後の言葉を言うつもりだったのに、最後の最後で食い違いに気づく。

「スサンナ様からベネディック様が「そう言った」と。貴族社会のよくあることだと……ベネディック様にも、それとなくは聞いたのですが……」

 さすがに「愛人」と直接的な言葉を言うのは躊躇われたので、濁してしまった。その時はスサンナ様から話を聞いていると思っていたのもあったから、その前提で話を進めてしまったわ。それにあの夜、二人で会っているのを見てしまった。

「まず私の妻はフェリーネだけだ。……それに今回のレッスンは、君が侯爵令嬢のことを気に入ったから『教育係を推薦したい』と言い出したのだろう?」
「え? ベネディック様の紹介だと、ある日突然家に訪れたのですが……」
「なんだって!?」
「やられたね、兄様。あの令嬢は学院内で男を取っ替え引っ替えしていて、卒業間近に婚約破棄されて、手当たり次第に声をかけていたんだ。兄様は奇病後、領地復興で社交界に出ていたけれど、噂とか知らなかっただろうし……。国王陛下が遊行に来られるからと、使用人を増員した結果、見慣れない顔が何人か紛れ込んでいたよ。侯爵がうちを乗っ取るつもりなんじゃないかな?」
「なんてことだ……。私が王都にいる間、執事長と侍女長に任せていたはずだが? 二人は?」
「え? ベネディック様の手伝いをするためと言って、ずいぶん前に王都に立たれたと聞きましたけれど?」
「くそっ……そちらも小細工を! フェリーネ、すまない」
「ベネディック様……」

 と言うことは、お互いにスサンナ様の言葉を真に受けて……?
 ここまでくると、アルフ様の読み通り侯爵家当主が絡んでいる可能性が高いと思う。書類偽造って犯罪じゃ? 

「だいたい兄様は、最初お義姉様に素っ気なかっただろう。ちゃんと結婚式にやり直したほうがいいって、執事長からも言われていたと思うけど?」
「だが……実際に提案してみたら、あんまり嬉しくなさそうで……嫌われるのが怖くてだな……」
「その割には寝室一緒にしたりしていたじゃないか! 恋愛が絡むと、こんなにポンコツで、拗らせて、ヘタレだとは思わなかった」
「ぐっ……返す言葉もない」

 どちらが兄だか分からない会話を繰り広げていた。しゅんとなっているベネディック様は珍しい。
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