ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
「はぁ…はぁ…っ」

アフタヌーンティーが開かれているドローイング・ルームに着く頃には、ルシフォールはすっかり息を切らしていた。おかしい、いつもならばこれくらいの距離を走るなどわけない筈なのに。

扉は閉まり、その側には護衛が何人か立っている。彼らはルシフォールの存在に気がつくと恭しく挨拶をしてみせた。

「殿下。ようこそお越しくださいました」

「いや、私は」

「オフィーリア王妃陛下より、殿下が来られた際には中にお通しするようにと申しつかっております」

「王妃が…」

その瞬間ルシフォールは、自分は母親の手の平の上でまんまと踊らされているのだと悟った。どこからどこまで仕組まれているのか知らないが、彼女は高みの見物をしながら高らかに笑っている事だろう。

ルシフォールは拳をグッと握り、一瞬引き返したくなる衝動を堪えた。例え全て王妃の筋書き通りだとしても、リリーシュを好きだと思う感情は紛れもない事実。

笑うなら、笑えばいい。

ルシフォールはアイスブルーの瞳を細めると、堂々とした足取りで中へと足を踏み入れる。広いルームを見渡すと、端の離れた場所にいるリリーシュの姿が目に映った。彼女は立ち上がり、帰ろうとしているように見える。

「リリーシュ」

「ルシフォール、様?」

席へと近付き、彼女の名を呼びながら後ろからふわりと腰に手を当てる。瞬間ピクリと反応したリリーシュが可愛く、思わず緩む頬を必死に落ち着かせた。

「お久しぶりです、ウィンシス公爵夫妻」

「ルシフォール殿下。これはまた、暫く見ない内に随分と凛々しいお姿になられて」

「ご夫妻も、ご健勝でなによりです」

ルシフォールに気付いたジャックとマリーナが、驚いた表情で立ち上がる。ジャックはすぐににこりと微笑み、ルシフォールに向かって片手を差し出した。

リリーシュはいるはずのない人物が隣に立っている事に、ただぽかんとするしか出来ない。エリオットは、思わず眉間に皺を寄せた。

ルシフォールは、こういった場がとても苦手だった。下手な世辞や上辺だけの会話が嫌いで、公式の場でも適当にやり過ごしていた。

しかし今は、目の前にエリオットがいる。逃げる訳にはいかないと、半ば無意識に彼女の腰に回している手にグッと力を込めた。

なるほどユリシスの言う通り、エリオットはとても爽やかな好青年に見える。スラリとした肢体に、甘い顔立ち。宝石の様なエメラルドの瞳と、手触りの良さそうなヘーゼルアッシュの髪。

なにより気に入らないのは、それがリリーシュの瞳の色と同じだということだ。

「殿下、お久し振りです」

エリオットは父親同様、すぐに表情を切り替えた。しかしそれが出来ないルシフォールは、話しかけられた事にあからさまな不快感を示した。

立場上エリオットは、ユリシスと同じ従兄弟。しかしもし彼がリリーシュの幼馴染ではなく王宮で暮らしていたとしても、自分とは合わないだろうとルシフォールは思う。

きっと、何もかもが正反対だ。
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