ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
「今日は一段と冷える」

「はい」

「暖かくなるのはまだまだ先だな」

「そのようですね」

ルシフォールは、先程ここへやって来た時の半分程の歩幅でリリーシュの隣を歩く。彼女はずっと俯いたままで、こんな時どう声を掛ければ良いのか分からない。

幼馴染との時間を邪魔した事に腹を立てているのか、牽制じみた真似をした事に嫌悪しているのか、あるいはそのどちらもか。

ユリシスやアンクウェルに言われた「相手の気持ちを尊重する」という事はこんなにも難しいのかと、ルシフォールは内心頭を抱えた。

リリーシュの嫌がる事はしたくないと思うのに、彼女を他の誰かに取られたくないという衝動が止められなかった。

自分が今まで、いかに楽な生き方を選んできたのかを改めて思い知る。己の事だけ考えていればそれで良かったのだから。

「リリーシュ」
「ルシフォール様」

互いの声と視線が、ぴったりと重なる。ルシフォールは恥ずかしさにふいっと横を向くと、リリーシュから先に話すよう促した。

「ルシフォール様。私の軽率な行動が貴方を傷付けてしまって、本当にごめんなさい」

リリーシュは足を止めたたっとルシフォールの前へ駆け寄ると、潤んだ瞳を真っ直ぐに向ける。

まさか謝罪されると思っていなかったルシフォールは、驚きに目を見開いた。

「何故謝る」

「それは」

「お前はただ、懐かしい顔馴染みとアフタヌーンティーを共にしていただけだろう。それとも」

ーーそこに何かやましい感情でもあるということなのか

今までの自分ならば、確実に付け足していたであろう台詞。奥歯を噛み締め、ごくんと喉を鳴らしそれを呑み込む。

謝罪している側のリリーシュが酷く傷付いた表情をしている事が、ルシフォールの心に深く刺さった。

こんな顔を、させたい訳ではないのに。

「正直に言えば、王宮での生活はずっと寂しいものでした。家族も友人も傍には居らず、最初は部屋を出る事も許されなかった。それでも私は、それは仕方のない事だと折り合いをつけていたのです」

「…」

「ですがこの頃、ルシフォール様に優しくされるたび私は、自分がどんどんと欲張りになっていくように感じていました。これでいいと思っていた筈なのに、与えられる優しさが嬉しくて、それをもっと欲しいと思うようになってしまったのです」

泣き出しそうに震えているその小さな体を、今すぐに抱き締めたいとルシフォールは強く思う。それが出来ないのは、怖いから。

伸ばした手を払われることが、何よりも怖いのだ。

「ルシフォール様の仰る通り、私はただ幼馴染とそのご両親に久し振りに会い、懐かしんでいただけです。ですがもしも自惚れでないのならば、ルシフォール様がとても悲しんでおられると思ったのです。私が貴方の傍を離れてしまうのではないかと、怯えているように見えたのです」

「…リリーシュ」

「そう思わせてしまって、ごめんなさい」

ヘーゼルアッシュの瞳がぐにゃりと揺れる。その瞬間ルシフォールは、彼女に手を伸ばさずにはいられなかった。

きらきらと頬を伝うその涙を拭うように、指先でそっと掬い取った。頬に触れるか触れないか、たったそれだけの事。

ルシフォールにとってはそれだけで、愛しさが溢れ出してしまいそうだった。
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