ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
“難攻不落の鈍感令嬢”とは言い得て妙だと、ルシフォールは執務机に肘を突きながらぼうっと考える。

あれはリリーシュが単に男性になびかないという態度を皮肉っただけではなかったのかもしれない。そもそもアプローチに気付いていなかったか、あえて流していたのか、本当のところはルシフォールには分からない。

しかしこれまで彼女に近付いてきた男性は、エリオットを除きその土俵にすら立てなかったのだろう。

恥じらわれるでも嫌がられるでもなく、ただただ対象として見られないという事は、プライドの高い貴族令息達にとっては非常に腹立たしい事だ。その鬱憤を少しでも晴らそうと、鈍感などという言葉で揶揄したのだ。

男性に対する愛や恋が分からないというリリーシュの気持ちを、ルシフォールはとても理解できた。実際自分自身も、リリーシュに出会うまでそんなものはまやかしだと鼻で笑って生きてきたのだから。

しかし彼女と自分の理由は違うだろう。女性不信の臆病者と、全てを受け入れ昇華する令嬢。リリーシュの根本は争わないことであり、そもそも最初から自分がどんなに酷い態度を取ろうとも、彼女が婚約を嫌がるという選択肢はなかった。

全てを否定し跳ね除けてきた自分と、全てを諦め受け入れてきた彼女。全く異なる性格のように見えて、その奥底にあるものは同じなのではないかとルシフォールは思った。

今自分がリリーシュに「結婚しろ」と言えば、彼女は頷く。しかしそれでは何の意味もない。ルシフォールが欲しいのは彼女の心だ。あのエリオットでさえ本当の意味では手に入れられなかった、リリーシュの愛。

「…」

ルシフォールは椅子から立ち上がると、クローゼットに掛けてある手触りの良い襟巻きにそっと触れた。あの雪の日、リリーシュがルシフォールの為に用意した襟巻き。天邪鬼などという可愛いものではなかった自分の態度も気にせず、彼女は笑っていた。

胸の内から湧き起こる不思議な感情を、ルシフォールは持て余していた。彼女の笑顔が見たい、それは本心である筈なのに。

慌てている所が見たい、怖がっている所が見たい、恥ずかしがっている所が見たい、もっともっと、彼女の色んな表情が見たい。

自分が、自分だけが知りたい。

あの幼馴染の姿を思い浮かべるだけで、ルシフォールは腹の中が真っ黒な感情に支配されるようだった。

リリーシュにとっての彼が恋人という存在でなかった事に、情けない話ではあるがルシフォールは心底安堵した。

しかし同時に、浮かれてばかりもいられないと思う。自分とリリーシュを見ていたエリオットのあの目は、確実に彼女を幼馴染以上に想っている者のそれだ。

感情露わに睨みつけたりはしていなかったが、上等な宝石の様なエメラルドの瞳の奥は、嫉妬に燃えていた。

あの男はきっと、このままで終わらせるつもりはないだろう。仲の良い幼馴染であり、友人であり、そして自分とは違い評判の良い人格者だ。本気を出されれば、こちらに勝算など殆どないのだ。

「彼女の気持ちを、第一に」

ルシフォールはアイスブルーの瞳をスッと細めると、本宮殿のある方角を見つめた。決して焦ってはならないと、強く己に言い聞かせた。

早急に事を進めなければと焦るエリオットと、今までの様に焦るだけでは駄目だと自制するルシフォール。

この闘いに、どちらが正しくどちらが過ちかという正解など、存在しない。

明確なのはたった一つ。

リリーシュを、心から愛しているという事だけなのだ。
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