ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
ーールシフォール殿下、何だか残念そうにしていらっしゃいましたよ

あの時の彼の様子をルルエから聞いたリリーシュは、自分がとても酷い人間の様に思えた。たちまち気分が落ち込んでしまい、もう散歩どころではない。

いや、体調が悪いと言ってしまったのだからそもそも外など出歩けはしないが。

(私はなんて嫌な子なのかしら。あんな風に追い返してしまうなんて)

恥ずかしさが先行し、ルシフォールの気持ちを考えられなかった。初めて沸き起こる感情ばかりで、頭の中で処理が追いつかない。

かといって誰かに相談する気にもなれず、戸惑うなら情けないやらでジワリと涙さえ浮かんでしまう。

本来ならば、今すぐにでもルシフォールの元へ行き”私も貴方と同じ気持ちです“と伝えるべきなのだろう。しかし、そうしている自分を想像するだけでリリーシュは羞恥心でどうにかなってしまいそうになる。

これはもう奥手というレベルではない。生まれて初めての経験にどうしたら良いのか分からずにただ泣きじゃくる子供の様だ。こうしたいという気持ちはあるのに、それが実行できない。

(ルシフォール様も、こんな風に思ったのかしら)

カウチソファにしなだれかかっているリリーシュは、ヘーゼルアッシュの瞳を扉へと向ける。夕食会すら断ってしまったから、きっと変に思っているだろう。

今、リリーシュの頭からはエリオットの手紙の件はすっかり抜け落ちていた。ただ、ルシフォールの事を想うだけ。考えれば考える程、自分はあの人が好きなのだと心に刻まれていく。

「あんなに、嫌な人だったのに…」

扉の向こう側に想いを馳せ、リリーシュはポツリと呟く。出会った頃の嫌味なルシフォールを思い出すと、何故かくすりと笑ってしまった。

自分は、何でも受け入れる事が得意な性分だと思っていたけれど。今思えば本当はただ、流されていただけなのかもしれない。だから、心の中で芽生えた自分だけの感情に、こんなにも戸惑ってしまう。

ただ、ありのままを伝えれば良いだけ。たったそれだけの事が、こんなにも怖いなんて。

その時、コンコンと控えめなノックが部屋に響いて、リリーシュはパッと顔を上げる。相手が何か言うのを待っていると、またコンコンとノックの音がする。

(これは…いつもの扉からではないわ)

「リリーシュ、部屋に居るのか」

「…っ!」

ルシフォールの声が微かに聞こえた。たった今自分が見つめていた、自分と彼の部屋を繋ぐ扉の向こうから。

リリーシュは弾かれた様にソファから立ち上がると、タタッとドアの前まで駆ける。まるで長い距離を走ったかの様に、鼓動がドクドクと力強く高鳴っていた。

「…ます」

そっと、扉に触れる。

「リリーシュはここに居ます。ルシフォール様」

向こう側の彼が、ジッと自分を見つめている様な気がした。
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