ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
訓練場で男二人がやり合っている事など想像もしていないリリーシュは、鏡の前に座り、顔を右に左に動かしていた。

「ねぇルルエ」

「なんでしょうお嬢様」

「私に似合う髪型は何かしら」

そう尋ねられたルルエは鏡に映ったリリーシュを見ながら、目をパチパチと瞬かせる。今まで、リリーシュが髪型や服装に興味を示した事などなかったからだ。

「お嬢様はふわふわと柔らかなお髪をしていらっしゃいますから、たまには下ろしてみるのはどうでしょう」

「だけど、夕食の席で髪が邪魔になると困るわ」

「では、上側は緩く纏めて、下は流しましょうか」

「ルルエに任せるわ。ドレスも合わせて」

「かしこまりました。ですが珍しいですね。お嬢様が見た目を気になさるなんて」

ルルエの質問に、リリーシュの頬はたちまちぽぽっと紅く色付いた。

「少しでも良く思われたいの」

「まぁ。その相手は誰かしら」

「ルシフォール様以外に誰が居ると言うの」

ゴトンと、ルルエが櫛を落とした。

「お、お嬢様!もしかして…」

「…私、ルシフォール様に抱き締められてしまったわ」

リリーシュの顔は真夏の太陽の元で実った果実の様に赤く、ヘーゼルアッシュの瞳はうるうると輝いている。

恥ずかしさで今にも消えてしまいそうなリリーシュを見て、ルルエはこんなに可愛らしい生き物がこの世にいるのかと震えた。

リリーシュが恋愛事に疎いのは知っているが、まさかここまで初心だとは。てっきり、キスの一つや二つ済ませたものかとルルエは思っていたが、どうやらリリーシュは抱擁だけでいっぱいいっぱいの様だ。

それもそうか、お嬢様は生粋の恋愛初心者だものとルルエは一人頷いた。

「お二人はきっと、素敵なご夫婦になりますね」

櫛を拾ったルルエは、微笑みながら彼女の細い髪にそれを滑らせていく。

「夫婦…そうよね。私達、いずれは夫婦になるのよね」

「婚約について、殿下はなんと仰っているのですか?」

「焦らなくても良いと」

「まぁ、お優しい。お嬢様の気持ちを尊重してくださっているのですね」

「そう、ルシフォール様は本来お優しい方なのよ。ほんの少し、不器用なだけ」

「ほんの少しでここまで凶悪な噂が立つのも凄いですね」

「もう、ルルエったら!」

「ふふっ、ごめんなさいお嬢様」

ルルエは変わらず優しい笑顔のまま、リリーシュの髪を結っていく。その指の心地良さに、彼女はゆっくりと目を閉じた。

頭の中で、先程ルルエから言われた事を反芻する。

ーーきっと、素敵な夫婦に

「…」

リリーシュの胸中は、複雑だった。借金の為に身売りした様な形でここへやって来た自分が、果たして彼の役に立てるのだろうかと。
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