ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
「こちらへ来て、少し話をしよう」

その言葉に、リリーシュは恐る恐るルシフォールの部屋へと足を踏み入れる。彼のシンプルな部屋着姿を見るのは初めてではないのに、何だか特別な気がしてやけに鼓動が高鳴った。

リリーシュはカウチソファに腰掛け、ルシフォールはその正面に座った。

「夕食を共に出来ず済まなかった」

「いえ、お仕事ですもの。ルシフォール様が謝る事ではございません」

「そうか」

「ですが…お会い出来なくて寂しかったです」

ランタンを灯した柔らかな明かりの下でぽぽっと頬を赤らめるリリーシュは、とんでもなく可愛らしい。もしかすると部屋に招いてしまったのは時期尚早だったのではないかと、ルシフォールは内心頭を抱える。

結婚どころか婚約もまだなのだから絶対に不埒な事は出来ないと、ルシフォールは自身に警鐘を鳴らした。

「そういえばルシフォール様。私の為にメイドを連れてきて下さり、ありがとうございます」

「あぁ、そんな事か。不便ならもっと人数を増やすが」

「いえ。私にはルルエも居ますし充分です。ルシフォール様のお気遣い、とても嬉しかったです」

「そうか」

ふっと彼の表情が柔らかになると、リリーシュの胸はとくんと高鳴った。ルシフォールのこんな顔が、リリーシュは好きだった。

アイスブルーの瞳に自身が映っている事が、何だか奇跡の様に感じた。

愛どころか普通の幸せさえ望む事は出来ないと思っていた相手を好きになり、その相手からも愛していると伝えて貰える。それがどんなに心を震わせるものであるかを、リリーシュはルシフォールに出会い初めて知った。

幸せだ。お互いの心はこんなにも幸せであるのに。

ルシフォールもリリーシュも、この結婚が相手の評判を落とすのではないかという不安を、どうしても拭いきれない。

自分のせいで、立場上ついて回る周囲の貴族達の目にさらされ、傷付く事になりはしないかと。

「ルシフォール様」

「何だ」

「少しだけ、手に触れてもよろしいですか?」

相手の表情の機微により敏感なのは、リリーシュの方であった。ルシフォールの瞳が不安に揺らいだのを、彼女は見逃さない。

「い、いや。もう夜も遅いし、本来ならばこうして部屋に二人きりというのも」

「お願いです、ルシフォール様」

「……っ」

普段の仏頂面はすっかり消え失せ、今の彼はリリーシュの謎の度胸に顔を赤くし口をぱくぱくと開け閉めする事しか出来ない。

先日の“ドアを壊す”発言といい、ほんわかと大人しげに見えて意外に大胆なところがあると、ルシフォールはたじたじだ。

「俺はその、構わない」

とはいえ、こんなにも可愛らしいお願いを断れる筈もない。ルシフォールはゆっくりと手を伸ばすと、彼女の小さな手を包み込む様に握った。

「温かいな、お前の手は」

「少しは貴方の暖に役立ちますか?」

「あぁ。少しどころじゃないさ」

「ふふっ、嬉しい」

こんな些細なやり取りに赤面しながら、二人は心の底から満ち足りた時間を過ごした。
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