ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
暫くしてオフィーリアが戻ってきたが、リリーシュは上手く表情を作れている自信がなかった。夫人達はどこ吹く風で、先程までルシフォールを貶していたとは思えない。

リリーシュが彼女達に幾ら反論しようとも、それは全てが無意味だった。莫大な借金を負ったアンテヴェルディ家は、どう見ても立場が下。ルシフォールを庇えば庇う程“言わされているのね、可哀想に″と不自然な程に憐れまれた。

そもそも、借金がなかったとしてもアンテヴェルディ家がこの婚約話を断れる筈がない事くらい、誰にだって分かる。それに貴族同士の結婚など何らかの思惑が絡んで当然であるのに、何故ここまで言われなければならないのか。

ルシフォールは、確かに評判通りの人物だった。男色家や暴力を振るうというのは嘘だったが、女嫌いで傲慢で自分すら信用していない様なあの瞳。普通ならば、あんな男に嫁がされるなんて例え王族だとしても絶対嫌だと思うのかもしれない。

いつものリリーシュならば、適当に流した筈だろう。彼女達がどう思おうが、自分の人生になんら影響はないのだから。可哀想だ不憫だという言葉で見下されても、どうだって良かった。

しかし、今は違う。ルシフォールの事をあんな風にこき下ろされて、彼女は我慢がならなかった。

(違うのに。あの方はただ臆病なだけで、本当はとても優しい方なのに)

目の前のテーブルをめちゃくちゃにして、声を張り上げてそう言いたい。こんな激しい感情に揺さぶられたのは初めてで、リリーシュ自身にも抑え方が分からない。ドレスの裾をきつく握り締め、そうしてしまわない様ひたすら耐えるだけだった。

「そういえばリリーシュさん。ルシフォールはエリオットのお相手を、きちんと出来ているかしら。貴女、あの子の訓練場にも顔を出しているのでしょう?」

席に着くなり、オフィーリアがまたリリーシュに話を振る。ただでさえまだ感情が昂っているのだから、今はそっとしておいてほしいとリリーシュは思う。

まさか先程までのやり取りを暴露してしまう訳にもいかず、リリーシュは曖昧に頷くだけで精いっぱいだった。

(ダメよリリーシュ落ち着くのよ。ここで騒いでも、私に不利なだけ)

オフィーリアとの関係性でいえば、リリーシュは圧倒的な新参者。齢十六の小娘が社交界を牛耳るマンチスタに敵う筈もないのだからと、彼女は自身に言い聞かせた。

「エリオットは本当に良い子よね。ルシフォールとは大違い。リリーシュさんが彼を慕う気持ちも良く分かるわ」

オフィーリアの瞳は、まるで黒水晶の様だった。色素が薄いのか濃いのか判断がつかない、とても不思議な色をしている。気を抜けば一瞬で呑み込まれてしまいそうだとリリーシュは思った。

「確かにエリオット様は良い方です。幼馴染という事もあり良くして頂きました」

「それなのに何故ウィンシス家との婚約話が出なかったのかしら」

マンチスタの追撃に、リリーシュは内心ムッとする。

(この方は、私がルシフォール様と婚約するのを良く思っていないのかしら。それともただ、面白がっているだけ?)

他の夫人達は好奇心を隠せていない表情でこちらを見ているので、比較的分かりやすい。しかしマンチスタやオフィーリアは、腹の底が読めないのだ。

「同じ公爵家といえど、アンテヴェルディとウィンシスでは差があり過ぎます。こちらからどうこう言える立場ではありませんし、それに私達は良き友でした。結婚という話には繋がりません」

「良き友、ねぇ」

マンチスタが、含みのある言い方で笑った。

「ねぇリリーシュさん」

オフィーリアが、柔らかな表情をリリーシュに向ける。瞳の奥は笑っていないと、彼女はすぐに気が付いた。

「アンテヴェルディの借金をこちらが肩代わりしたからって、何も言いなりになる事はないのよ?もしもルシフォールが嫌だというのなら、私も考え直すわ。もちろん、借金はそのままで良いから」

「…オフィーリア様」

「ごめんなさいねリリーシュさん。我が子可愛さに、貴女の気持ちを汲み取れなくって」

「私は…私はルシフォール様をお慕いしているのです。強制された訳ではなく、自分の意思であの方のお傍に居たいのです」

「まぁ、なんて心優しいのかしら。益々申し訳なくなるわ」

オフィーリアは哀しげに口元を押さえてみせたが、リリーシュからしてみればそれは演技にしか見えなかった。

(申し訳ないとはなんなの?私は本当の事を言っているだけなのに)

この場に居る誰も、リリーシュの味方にはなってくれなかった。
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