ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
近くのベンチに腰掛け話している間、アンクウェルは自身のコートをリリーシュの膝にかけてやった。申し訳なさから彼女は断ったが、アンクウェルは譲らなかった。

「そうか…そういう経緯だったんだね」

アンクウェルは難しい顔で腕を組み、冬樹に積もった雪をジッと見つめている。

「もしも周囲の力を借り手を尽くせば、証拠を掴みやり返す事が出来たかもしれない。ですがあの時の私は、これで良いと思ってしまったのです。それまでアンテヴェルディ家に負債がなかったのは、単に領地に恵まれていたから。母が浪費家である事も父に金回りの才がないことも、紛れもない事実なのですから。遅かれ早かれいつかは、こうなる時が来るだろうと」

「君は聡い子なんだね、リリーシュ」

「いいえ。私は今まで、何かに抗うという事をして来ませんでした。流れに身を任せ全てを受け入れて、その中でそれなりの幸せを見つけて生きてきたのです。決して不幸だと思った事はありませんでしたが、私はルシフォール様に出会って初めて、今のままでは嫌だと思ったのです」

「……」

「これも全て、己の行動が招いた結果。その所為でルシフォール様まで悪く言われてしまう事が、私は耐えられません」

「本当に良い子だなぁ、君は。全く貴族らしくない」

「…申し訳ございません」

「謝らないで。僕はそういう人間味のある人が大好きなんだから」

アンクウェルは憂いを帯びた表情で、リリーシュを見つめながらにこりと笑いかける。彼女は、その笑顔を何故か自分ではない誰かに向けられている様な気がしたが、わざわざ追及する事はしなかった。

「君は自分ばかりを責めているけれど、それはルシフォールだって同じさ。寧ろアイツの方がもっと酷いよ。リリーシュに出会う前から悪評まみれで、本人はそれを利用していたくらいなんだから」

「アンクウェル様」

「風評被害というなら、被害者は確実に君さ」

「そんな…ルシフォール様はとてもお優しい方です。あんな噂、立てる人達の方が間違っているのですわ」

「でたらめもあったけど、本当の事もあったからなぁ。それにルシフォールの事を優しいなんて言うのは、君くらいのものだよ」

「ルシフォール様は、愛情深い方です」

「ははっ、もしかしたらそうかもね」

ふっと頬を緩めながら、アンクウェルは過去に想いを馳せる。愛する者を亡くし絶望に身を投じていたあの頃、腫れ物の様に扱われる事にうんざりしていたあの頃。普段と全く変わらない飄々とした態度のルシフォールに、アンクウェルは確かに救われた。

愛情深いかどうかは知らないが、彼は弟の事が決して嫌いではなかったのだ。

この令嬢となら弟はきっと幸せになれる筈。それを周囲の醜聞などに潰されて欲しくない。

「リリーシュ。僕なら君達の間に流れている噂を、多少なりとも操作してあげられる。今までもそういった類の事はしてきたからね」

「噂を、操作する…」

「何も全くの嘘を流そうという訳じゃない。少しの事で、集団の心理というものはどうとでもなるのさ」

「……」

出会った当初リリーシュは、どこか掴みどころのないアンクウェルの事を少し怖いと感じていた。しかし今は、彼が純粋にルシフォールの幸せを思っているのだと分かる。

彼の言う通りにすればきっと現状は良い方向に変わっていくのだろうと、リリーシュは瞳を閉じる。

「…アンクウェル様。その申し出はとてもありがたいのですが、お断りさせて頂きます」

パチリと開いたヘーゼルアッシュの瞳には、一寸の揺らぎもなかった。
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