ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
リリーシュは幼い頃から、本当はしてみたい事が幾つもあった。野原で走り回ったり、木に登ったり、川遊びをしたり。乗馬だって、昔一度何かの事でエリオットの後ろに乗せてもらったきり。あの時の爽快感といったら、今思い出しても胸がスッとする様だ。そう、彼女は本来、体を動かす事が好きだったのだ。

しかし、無邪気な子供の頃でさえ公爵令嬢であるリリーシュにそれは許されなかった。というよりも、母であるラズラリーが固く反対したのだ。もしも怪我でもしたらどうするのだと。派手に着飾り、ゴシップ話に花を咲かせ、夜会で一番目立つ。それが生きる糧であったラズラリーは、当然娘であるリリーシュもそうであると思っていた。

リリーシュは、母親に反抗しなかった。それは、彼女が意地悪で言っている訳ではないと知っていたから。ラズラリーの言い分も分かるし、ただ考え方が違うだけで決して悪い母親ではない。リリーシュの事を可愛がり、愛情を込めて育ててくれたのは事実。だからリリーシュは、母親の言う通りに生きてきたつもりだ。それでも、ラズラリーからしてみれば地味だった様だが。

とまぁ、そういう風にして十六年を過ごしてきたリリーシュは、今とても胸を高鳴らせていた。

(剣術の訓練なんて、初めて見るわ)

以前庭園で、ユリシスから言われた台詞。

ーーぜひ一度、訓練場にお越しください

自分が体を鍛えたいと言ったから、社交辞令として返してくれたのだろう。しかし彼は確かにそう言ってくれたのだから、断られるのを覚悟で聞いてみようとリリーシュは行動に出た。

護衛騎士や王族の若人が集う訓練場は、ルシフォール殿下の住まう塔の敷地内にある。フランクベルトに殿下への言伝を頼んだのだが、まさか了承して貰えるとは。リリーシュの胸はドキドキと高鳴り、実際に訓練を目に出来る事への高揚感でいっぱいだった。

(大方、渋る殿下にユリシス様が口添えしてくださったのでしょう)

二人が言い争い、結果的にユリシスが口で競り勝つ場面を想像して、リリーシュは思わず頬を緩めたのだった。




リリーシュはいつもよりも簡素なドレスに身を包み、しっかりと防寒対策を施してルルエと共に訓練場へとやってきた。すぐに気付いたユリシスが、満面の笑みで近付いてくる。

「やぁリリーシュ。来てくれて嬉しいよ」

「ユリシス様。本日もご健勝でいらっしゃいまして、大変喜ばしい事でございます」

「そんな堅苦しい挨拶は抜きにして、ほらこっちへおいで」

ユリシスは今日も、爽やかで素敵だ。スラリとした訓練服の様なものに身を包み、手には剣を握っている。訓練だというのに怪我をしないのかと、それをジッと見つめていた彼女に、ユリシスは笑った。

「これは訓練用の剣で刃はないから、大丈夫なんだ」

「まぁ、そうなんですの」

「あっちにルシフォールも居るから」

広大な訓練場には、寒い中たくさんの男性が各々訓練に勤しんでいた。その光景を見ているだけで、リリーシュの胸はワクワクする。

「私は邪魔にならぬ様、端の方で見学させていただきますわ」

「そんなのつまらないじゃないか。ルシフォールも、君が来ると聞いて今日はずっとソワソワしているんだ。それを隠そうと必死なのが見ていて面白いよ」

(そんな筈はないのに、ユリシス様はお上手ね)

内心そう思ったが、リリーシュは口に出さずただニッコリと微笑んで見せた。

彼女にとっては、ここに来る許可を得た事が全て。ルシフォールがどんな態度を見せようと、そこを気にする意味はないのだ。

そんなことよりも、もっと訓練の様子が見たい。

(あぁ、あの方は木登りをしているわ。梯子も掛かっていないのに。あら、あちらでは馬に乗る訓練もしているのね)

「ははっ、ソワソワしているのはリリーシュも同じみたいだ」

ユリシスの言葉も話半分で、ヘーゼルアッシュの瞳を子供の様にキラキラと輝かせているリリーシュを見て、彼はとても可愛らしいと微笑ましく思った。
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