ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
エリオットの時は、只の子供の嫉妬だったのだろうと思う。リリーシュが周囲を褒め、自分を見ていなかった為に拗ねた。今のルシフォール殿下が何となく、あの時のエリオットと重なって見えたのだ。

勿論、エリオットの顔はこんなに凶悪ではなかったし、言葉だってルシフォールに比べればかわいいものだ。殺気に近いような雰囲気を纏う男と捻くれた子供、それを重ねるなど普通はしない。そんな事を思うのはきっと、世界中探してもリリーシュだけだろう。

もしも火に油を注いでしまっても、それはそれで仕方ないとリリーシュは思った。失礼な事は言っていないのだし、更に怒りを買ったとしても流石に今すぐ出ていけという理由にはならないだろうと。

リリーシュの突然の賛辞に、周囲の男達は凍りついた。ルシフォールは見え透いたお世辞が嫌いだと、皆が知っていたからだ。指導官でさえ、顔を引き攣らせ一言も発せないでいた。

「…」

一方のルシフォールは、今自分がきちんとした表情を作れているのか分からなかった。変に動揺したり、笑みを見せてはいないだろうかと、心配になった。

リリーシュから言われた台詞は、今まで幾度となく聞いてきた。美しい、素敵だ、素晴らしいなどと、耳障りのいい言葉を並べ立てればその場を凌げると思っている、浅はかな連中。

所詮この女もその程度なのかと、ルシフォールは心底ガッカリした。いや、しているつもりだ。それなのに何故、

ーーこの場にいる誰よりも

ハッキリと拒絶する言葉が、口から出て来ない。言われた言葉が、頭にこびりついている。蕩けるような笑みから、目が逸らせない。

こんなものはおかしい。絶対にあり得ない。

自分が苛立っていたのは、目障りなこの女が目の前に居るからだ。それ以外にない筈なのに、彼の意に反して心の中の棘がぽろぽろと剥がれていく。

まるで、原因がすっかり取り除かれてしまったかのように。

「あの、殿下。これではご質問の答えになっておりませんか?」

リリーシュが、恐る恐る問いかける。ルシフォールはあからさまにビクッと体を反応させると、彼女から二歩下がってギンと睨みつけた。

「…」

それなのに何故か、言葉が出て来ない。怯えた様に後退りして瞳だけをぎらつかせた所で、いつものルシフォールとは程遠い。その様子を、見習い騎士達は目をまん丸にして見つめていた。

そもそもこの場所にリリーシュがいる事自体がおかしな話ではあるのだが、それ以上にルシフォールの挙動が明らかに変だ。女とあらば問答無用でバッサリと切り捨てる非情の鬼である筈の彼が、無言で後退りをしているなど。

「あの、殿下」

「もう良い」

リリーシュがそれ以上何かを言う前に、ルシフォールはピシャリと遮断した。また突拍子もない事を言われては堪ったものではないと、彼は内心冷や汗をかいた。

「好きにしろ」

漸くそれだけ絞り出すと、ルシフォールはくるりと向きを変え何処かへ歩いていく。

(良く分からないけれど、とりあえず丸くおさまったのかしら)

内心首を傾げながらも、リリーシュは彼の背中に向かって丁寧にカテーシーをした。
< 45 / 172 >

この作品をシェア

pagetop