ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
「私今日宮殿の蔵書室へ行ったのですけれど、そこで偶然殿下の兄君であるアンクウェル様にお会いしたのです」

夕食時、いつもは話しかけたりなどしないリリーシュであるが、何となく今日の出来事を話してみようという気になった。それは無意識の内に、弟を宜しくとアンクウェルに言われた事がきっかけになっているのかもしれなかった。

「アンクウェル様は、殿下の事をとても大切に思われておいでだと思いました」

(そしてそれを、羨ましいとも)

兄は、あまり私に関心を持たない。仲が悪い訳でもなければ良い訳でもなく、どうせいずれは嫁ぎ離れていく身なのだからという心情が、いつも透けて見えていた。元々彼は、誰に対しても淡白な性分なのだと思う。

ユリシスもアンクウェルも、ルシフォールの事が大切なのだろう。彼らの行動や言動から、それが伝わってくる。

リリーシュは、どうしようもない事はどうしようもない事として受け入れる。それでも、人並みにそういった感情だって持っているのだ。

「…羨ましいです、とても」

口にして、しまったと思った。慌てて口元を手で覆っても、出してしまった言葉を仕舞う事は出来ない。ルシフォールはアイスブルーの瞳を瞬かせながら、驚愕の表情でリリーシュを見つめた。

「あ、あの。申し訳ございません。今の言葉は違うのです。その…」

いつも、ほんわかとしているようで実際は何を考えているのか分からない目の前の令嬢が、珍しく狼狽えている。この様子から、彼女自身も口にする気はなかったのだとルシフォールは思った。

ーー羨ましいです

この俺をそんな風に表現した人間は初めてだと、ルシフォールは驚きを隠せなかった。兄達は人格者であるが、自分は違う。第三王子で良かったなどと陰口を叩かれた事など、数えきれない。母親は子供に愛を注ぐ性分ではなく、最後に顔を合わせたのがいつだったのかすら思い出せない。

寂しさに比例して性格が捻くれていき、男色家だ暴力支配だのと噂され、第三王子という肩書意外で自分に近付こうとする変わり者はユリシス位のもの。

そんな自分を、羨ましいと。一体どんな心情でそう口にしているのか、ルシフォールは興味が湧いた。

「お前は本当に、私を羨ましいと思うのか」

目を細め、目の前で狼狽えているリリーシュを見つめる。彼女はうろうろと視線を彷徨わせた後、観念した様に小さく息を吐いた。

「はい。先程の言葉は本心でございます。殿下はいつだって堂々とされていて、私とは違う。自分自身の指針というものをお持ちの貴方様を、私はずっと羨ましいと思っていました。だからこそ、ユリシス様やアンクウェル様は殿下をとても大切に思っていらっしゃるのだと」

「…」

「申し訳ございません、殿下。哀れな女の戯言だと、聞き流して頂ければと」

リリーシュは今、自分が恥ずかしかった。何故こんな事を口にしているのか、自分自身を理解出来ない。

「指針など、そんなものは持ち合わせていない」

ルシフォールの声色は、冷えていた。

「私が羨ましいと思うお前の感情は、全く理解が出来ないな」

しかし、その表情は何処か穏やかだった。
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