ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
母であるラズラリーが今日の事を知ったら卒倒してしまうかもしれないとリリーシュは思いながら、今日も豪奢なドレスに身を包み食堂へと向かう。

「殿下。お待たせ致しました」

「待ってなどいない」

「それはとんだ失礼を」

内心は少しもそう思っていないが、リリーシュは適当にニコッと笑いながら席に着いた。先程馬小屋で見た笑顔とは全く違うそれに、ルシフォールの表情は渋くなる。

「本日は大変貴重な体験をさせていただき、本当にありがとうございました。馬とはとても優しく賢い動物なのですね」

「あんなものは、貴重でもなんでもない」

「私にとっては貴重ですわ。アンテヴェルディ公爵家に居ては、絶対に許されない事でしたから」

いつも通り完璧なテーブルマナーを披露するリリーシュに、ルシフォールは何故か腹が立った。

リリーシュ・アンテヴェルディはいつだって、自分の前では公爵令嬢として振る舞う。それが当たり前の事であり、仮にそうしなかったとしたら「不敬だ」なんだと理由を付けて、城から追い出していただろう。

しかし今何故こんなにも、この令嬢が令嬢らしい仕草を見せる事に苛立つのか、ルシフォール自身にも分からなかった。

いやそれ以前に、こうして夕食を共にしている事も、自身の住まう塔の敷地内への立ち入りを許可した事も、馬小屋で馬を触らせてやった事もその全ての行動に、ルシフォールは内心戸惑っていたのだ。

腹が立つのに、顔が見たくなる。

未だ「殿下」と呼ばれる事に、距離を感じる。

そして無性に、優しくしたくなる。

なるだけで、出来はしないが。

「お前は」

音も立てずにフォークを置いたルシフォールが、そのアイスブルーの瞳をリリーシュへ向ける。いつも浮かべている不機嫌な表情とは違うルシフォールに、リリーシュは内心戸惑った。

「お前は、アンテヴェルディの家へ帰りたいと思うか」

「…」

何故そんな質問をされたのか、リリーシュには分からない。ルシフォールの瞳が寂しげに揺れた気がして、どうしたら良いのか分からなくなる。

アンテヴェルディの家に帰りたいか。そもそもその質問自体、おかしな事だ。借金のカタに売られたも同然のリリーシュに、選択権などないのだから。

(…エリオット)

真っ先に浮かぶのは、大好きな幼馴染の顔。未だ手紙の一通さえ寄越してくれない、薄情者。どんな宝石よりも美しいと感じるあのエメラルドの瞳を思い出し、ギュッと胸が苦しくなる。

それでも、リリーシュは迷わず答えた。

「いいえ」

ヘーゼルアッシュの瞳が揺れない様に、気を付けながら。
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