ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
引き止めてどうするつもりなのか。それはルシフォール自身にも分からなかった。今までこんな風に衝動的な行動をした事など、一度だってなかったのに。

ーールシフォール殿下

やめろ、甘ったるい声で擦り寄ってくるな

ーーどうか私を、貴方の妻に

お前がなりたいのは、王子の妻だろう

ーーこの国の第三王子だという事以外、貴方に何の価値があるというの

そんなもの、俺自身が一番分かってる

母親にさえ愛されなかった俺が、他人から愛されようなどと。

「殿下…?」

リリーシュの戸惑う様な声色を聞いて、ルシフォールはハッと我に返る。掴んでいた彼女の手を離し、ふいっと顔を逸らした。

「殿下。お顔の色が悪い様に見えます。どこかお辛いのですか?」

「違う。もう良い、早くどこかへ行け」

「殿下」

「煩い!殿下殿下と、名前でもなんでもないもので俺を呼ぶな!」

ルシフォールが声を荒げると、リリーシュがあからさまにびくりと肩を震わせた。怯えた様なその表情に、何故かルシフォールは胸の奥が痛んで堪らなくなった。

こんなものは、おかしい。自分は今まで、他人を遠ざけようとわざと威圧的な態度を取ってきた。人から怖がられる事など日常茶飯事で、いつもならこんな風に心を乱したりはしないのに。

リリーシュのいつもと違う様子を、ルシフォールは心配した。にも関わらず自分の元から去ろうとする彼女に腹が立ったし、何より悲しかった。

そうか。俺は傷付いたのかと、ルシフォールはぼんやり考えた。傷付けられたら、傷付け返す。これ以上自身の傷が増えぬ様に。

今まで他人との関わりを拒絶し続けてきたルシフォールには、こうするより他になかった。歩み寄り方を、知らないのだから。

リリーシュは目を瞑り、ツンと冷たい夜の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。そして、反省する。

「ルシフォール様」

振り向かない彼に、尚も言葉を紡いだ。

「お傍にいさせていただけませんか」

きっと、彼も様々な事に苦しんでいる。

殿下と呼ぶなと言ったその台詞が、それを現しているとリリーシュは思った。

「私は今日貴方様と踊ったダンスを、きっと生涯忘れる事はありません」

「…」

ルシフォールが、ゆっくりと振り向く。いつも冷ややかな色を湛えている筈のアイスブルーの瞳が、夜闇を反射しゆらゆらと揺れて見えた。

「今日だけは、どうかお傍に」

ルシフォールは、無意識に胸元に手をやった。嬉しいと思う感情と、切なさに弾けてしまいそうな感情。相容れない二つが絡み合い、ルシフォールはどうしたら良いのか分からなくなった。

「…今日だけ。好きにすれば良い」

「ありがとうございます。ルシフォール様」

安堵の笑みを浮かべるリリーシュから、ルシフォールは目が離せなかった。

エメラルドのドレスがとても良く似合っていると、何故か今強くそう思った。
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