ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
アンクウェルはずっと、ルシフォールを気の毒に思っていた。自分は最愛の人を亡くしてしまったけれど、それでも確かに幸せな時期があった。弟には、それがないのだ。

王妃であり母であるオフィーリアは、一般的な母親像とはかけ離れていた。王族であれば乳母に育てられる事は普通だが、それを差し引いてもオフィーリアは母親らしくなかった。手を繋いだ記憶も、抱き締められた記憶も、微笑み掛けられた記憶もない。

かと思えば、気紛れにとんでもない無理難題を押し付けてきたりする、不可解な女性だった。歳を重ねた今、オフィーリアが完全に悪という訳ではないと漸く理解できる様にはなったが、それでも変わった人である事に変わりはないのだ。

兄と自分は、早い段階で母親というものを諦めた。しかしルシフォールだけは、割り切れなかった様だ。母親から愛情を貰えなかった記憶が強く残り、他の女性に過度な期待を掛けるようになってしまった。

期待をしては、裏切られる。これに関しては運が悪いとしか言いようがないが、弟に寄ってくる女性はことごとく純粋な愛を持ち合わせていなかった。お陰でルシフォールはすっかり女性不信になってしまったのだ。

それに加え自分が結婚を断り続けている所為で、オフィーリアがここ数年特に積極的にルシフォールを結婚させようとしている。

もう、今回で何人目になろうか。今のルシフォールは完全に、誰であろうと女性であれば拒絶するようになっていた。

アンテヴェルディ公爵家のご令嬢と上手くいくなど、誰も予想していなかった。彼女の母親はルシフォールが特に嫌悪する派手な美人。その娘ともなればきっと、すぐに追い返されてしまうだろうと。

それが、どうだろう。もう三週間も王城に留まっているし、ルシフォールの住まう塔にも足を踏み入れた事があるという。そして昨日の舞踏会で、ルシフォールはリリーシュとダンスを踊り最後までエスコートしたらしい。こんな事は、初めてだ。

「こちらの温室、本当に素敵ですね」

リリーシュは美味しそうにサンドイッチをかじりながら、ほわほわとした様子で辺りを見回している。今日は品定めの為に呼ばれたと分かっている筈であろうに、先程の質問にも一切不快な表情を見せない。

なるほど彼女は本当に、自分の置かれた状況をただ受け入れているのか。

きょろきょろ忙しなく動いているヘーゼルアッシュの瞳は、角度によって如何様にも輝いて見えた。

「リリーシュ。君は良い子だね」

少し変わっているけど、とアンクウェルは心の中で呟く。

「アンクウェル様にそう言って頂けるなんて光栄です」

「僕は良い子じゃないからね」

「ふふっ。そうなのですね」

アンクウェルがパチンとウィンクをしたので、リリーシュはついクスクスと笑った。

「随分と楽しそうだな、リリーシュ」

その時入口の方で不機嫌そうな声が聞こえて、二人はそちらに顔を向ける。腕を組み、あからさまにいらいらとした様子のルシフォールが、リリーシュを睨みつけていた。
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