ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
ーー
それから数日、ルシフォールは執務に追われリリーシュと夕食の時間を摂る事が出来なかった。会談や評議、外交関連などの仕事をルシフォールは殆ど兄達に任せている。その代わり彼は、武道剣技などの戦闘訓練や執務室でこなす事のできる事務的な作業を多く担っている。
「…」
ルシフォールは常に威圧的であるが、ここ数日特に苛々としている為ユリシスやフランクベルト以外の側近や使用人達は皆びくびくと怯えていた。見かねたユリシスが嗜めようと、ルシフォールの態度は変わらない。
それならば仕方ないとユリシスは他の手に打って出ることを決意し、音も立てずに執務室を後にした。
そんな事に気を配る余裕もないルシフォールは、言いようのない焦燥感の様なものに駆られていた。黙々と執務をこなしつつ、気を抜けば頭に浮かぶのは一人の令嬢。この間の夕食会で見た彼女の恥じらう表情が可愛らしくて、事あるごとに思い出してしまう。
せっかく上手く行きかけていたのにとルシフォールは悔しがっているが、実際のところは何一つとして事は動いていないことに彼は気付いていない。
しかしこんな子供のままごとの様な変化でさえ、ルシフォールにとってはとても大きな一歩だったのだ。
素直になればそれは返ってくるのだと、彼が認識した事は。
遠い昔の記憶の中の、まだ無邪気さを残していた頃のルシフォールは、滅多に会えない母親に会えた時はその小さな手をめいいっぱい伸ばして、母親に甘えた。
しかし、その手を優しく包み込んで貰えた覚えは一度としてない。彼は王子であり、直接的には母親の愛を与えられずとも仕方のない立場にあった。しかし幼い彼にはそれが受け入れられず、やがて歪んだ記憶としてすげ替えられてしまったのだ。
素直さなど、生きていく上で最も無駄なものであると。
砕けそうになる自身の心を守る為、そう己に刷り込ませて生きて来たルシフォールにとって、リリーシュがあの恥じらう様な笑みを見せてくれた事は信じられない程に嬉しかったのだ。
貼り付けられた公爵令嬢の顔ではなく、十六歳のリリーシュを見せてくれた。その事実が。
それなのに、まるで誰かに仕組まれた罠であるかの様にいきなり書類仕事が増えてしまい、ルシフォールがリリーシュと過ごせる限りある時間が奪われてしまった。
寝る間も惜しんで執務に勤しみ、少しだけでも顔を見たいとリリーシュの部屋がある王宮へ向かおうとした途端、誰かに声を掛けられ邪魔される。
それならばと、自室に居る時は逐一窓際に達庭園を睨みつけていたが、彼女が現れる事はなかった。その姿すら、見る事は叶わないまま。
「こんなもの、燃えてしまえ!」
ダン、と机に拳を打ちつけ書類の山に文句を垂れた所で、当然返事は返って来ない。それどころか、その拍子に床に散らばってしまった書類を拾うハメになり、ルシフォールはげんなりしてしまった。
たった数日。たった数日で、この有様。初めての表情を見る事が出来たという高揚感から、一気に落とされた所為もあるのだろうが。
側から見れば何とも情けない姿である為、ユリシスの配慮で今は執務室を人払いしてあった。そんな折、コンコンというノックの音と共にユリシスの声が聞こえた。
ルシフォールは返事をしないまま無視していたのだが、その内勝手にドアが開いた。
「ルシフォール、少し良いかな。物凄く良い話を持って来たんだけど」
「今お前のくだらない話に付き合ってる余裕は…」
うんざりした表情で書類から顔を上げたルシフォールの、動きが止まる。
ユリシスの背後に、チラリとドレスの裾が見えたからだ。
それから数日、ルシフォールは執務に追われリリーシュと夕食の時間を摂る事が出来なかった。会談や評議、外交関連などの仕事をルシフォールは殆ど兄達に任せている。その代わり彼は、武道剣技などの戦闘訓練や執務室でこなす事のできる事務的な作業を多く担っている。
「…」
ルシフォールは常に威圧的であるが、ここ数日特に苛々としている為ユリシスやフランクベルト以外の側近や使用人達は皆びくびくと怯えていた。見かねたユリシスが嗜めようと、ルシフォールの態度は変わらない。
それならば仕方ないとユリシスは他の手に打って出ることを決意し、音も立てずに執務室を後にした。
そんな事に気を配る余裕もないルシフォールは、言いようのない焦燥感の様なものに駆られていた。黙々と執務をこなしつつ、気を抜けば頭に浮かぶのは一人の令嬢。この間の夕食会で見た彼女の恥じらう表情が可愛らしくて、事あるごとに思い出してしまう。
せっかく上手く行きかけていたのにとルシフォールは悔しがっているが、実際のところは何一つとして事は動いていないことに彼は気付いていない。
しかしこんな子供のままごとの様な変化でさえ、ルシフォールにとってはとても大きな一歩だったのだ。
素直になればそれは返ってくるのだと、彼が認識した事は。
遠い昔の記憶の中の、まだ無邪気さを残していた頃のルシフォールは、滅多に会えない母親に会えた時はその小さな手をめいいっぱい伸ばして、母親に甘えた。
しかし、その手を優しく包み込んで貰えた覚えは一度としてない。彼は王子であり、直接的には母親の愛を与えられずとも仕方のない立場にあった。しかし幼い彼にはそれが受け入れられず、やがて歪んだ記憶としてすげ替えられてしまったのだ。
素直さなど、生きていく上で最も無駄なものであると。
砕けそうになる自身の心を守る為、そう己に刷り込ませて生きて来たルシフォールにとって、リリーシュがあの恥じらう様な笑みを見せてくれた事は信じられない程に嬉しかったのだ。
貼り付けられた公爵令嬢の顔ではなく、十六歳のリリーシュを見せてくれた。その事実が。
それなのに、まるで誰かに仕組まれた罠であるかの様にいきなり書類仕事が増えてしまい、ルシフォールがリリーシュと過ごせる限りある時間が奪われてしまった。
寝る間も惜しんで執務に勤しみ、少しだけでも顔を見たいとリリーシュの部屋がある王宮へ向かおうとした途端、誰かに声を掛けられ邪魔される。
それならばと、自室に居る時は逐一窓際に達庭園を睨みつけていたが、彼女が現れる事はなかった。その姿すら、見る事は叶わないまま。
「こんなもの、燃えてしまえ!」
ダン、と机に拳を打ちつけ書類の山に文句を垂れた所で、当然返事は返って来ない。それどころか、その拍子に床に散らばってしまった書類を拾うハメになり、ルシフォールはげんなりしてしまった。
たった数日。たった数日で、この有様。初めての表情を見る事が出来たという高揚感から、一気に落とされた所為もあるのだろうが。
側から見れば何とも情けない姿である為、ユリシスの配慮で今は執務室を人払いしてあった。そんな折、コンコンというノックの音と共にユリシスの声が聞こえた。
ルシフォールは返事をしないまま無視していたのだが、その内勝手にドアが開いた。
「ルシフォール、少し良いかな。物凄く良い話を持って来たんだけど」
「今お前のくだらない話に付き合ってる余裕は…」
うんざりした表情で書類から顔を上げたルシフォールの、動きが止まる。
ユリシスの背後に、チラリとドレスの裾が見えたからだ。