ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
(まるで別人の様だわ)

あれからルシフォールの執務室で一緒にパンを食べ、執務の邪魔になるからとすぐに帰って来た。空になったバスケットを見たルルエは喜んだが、リリーシュはまだ夢から醒めていないかの様な不思議な気持ちだった。

きっと他人から見れば、ルシフォールの表情は未だ厳しいままなのだろう。しかし初対面の頃から考えると、とても顕著な変化だった。

(あれは笑顔…だと言っていいのかしら)

ルシフォールの、ほんの少しだけ緩められた口元。何故か惹きつけられ、目を逸らす事が出来なかった。

(…エリオット)

リリーシュは姿見の前まで足を進めると、自身の首元に下がっているエメラルドのネックレスに触れる。

リリーシュは、無意識にふふっと微笑んだ。程度は違えど、急に冷たかったかと思えば柔らかな態度を見せるのも、昔の彼とよく似ている。

リリーシュはまだ、自身の気持ちにケリをつけた訳ではなかった。エリオットに会えない寂しさを、ルシフォールで埋めようとしている事は良くないと頭では分かっていても、心はどうしようもない。

(ルシフォール様は自分は男色家ではないと言っていたけれど、あれは本当なのかしら)

どちらでも良いと思っていたが、もしかするとあれはルシフォールなりの歩み寄りだったのではないだろうかと、今更ながらリリーシュは思う。だとすればあの時、とても酷い態度を取ってしまったと彼女は反省した。

互いに愛のない契約結婚。利があるのならば、それでも構いはしないと思っていたけれど。

ルシフォールがもしも今より穏やかな関係を望むのならば、自分も努力しなければいけないとリリーシュは思う。そこに愛はなくとも、ギスギスとした関係で生涯を共にするよりはずっとましだ。

ルシフォールが男色家であろうとなかろうと、王子ゆえの重圧を背負い生き、これからもそれは続いていくのだ。

(私に出来る事があるのならば、お手伝いしたいわ)

以前にも、こんな感情が湧いた事はある。あの舞踏会の夜のルシフォールの姿を見た時、悲痛な表情を浮かべる彼を可哀想に思い、何とかしてやりたいと強く思った。

あの時のリリーシュは纏っていたドレスの色の所為で、エリオットの事で頭がいっぱいだった。しかし、今は何となく違う気がする。

鏡に映っている自分の姿は、確かにエメラルドのネックレスを愛しげに指でなぞっているのに。

頭に浮かぶのは、澄んだアイスブルーの瞳だった。
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