ことなかれ主義令嬢は、男色家と噂される冷徹王子の溺愛に気付かない。
リリーシュがオフィーリア主催のアフターヌーンティーに参加している頃、ルシフォールは訓練場で騎士見習いに混じり稽古を受けていた。

エヴァンテル王国第一騎士団所属、国でも随一の剣の使い手であるガイが今日のルシフォールの相手をしていた。

剣がぶつかる度、ガキンという金属音が辺りに響き渡る。それは訓練場のあちこちから聞こえた。

ルシフォールは、三人いる王子の中でも一番剣術に長けていた。早く一人前になり、騎士団と共に最前線で戦いたいとずっと夢見ていた。その所為もあり、結婚などさらさらする気もなかった。

その事はもちろん、ガイも知っていた。噂はともかく、誰よりも強くなりたいと思うルシフォールの気概を気に入っていた。

だからこそガイは、今日のルシフォールに堪らなく腹が立っていたのだ。

「何ですかその生温い太刀筋は。久し振りに相手を頼まれたかと思えば、随分と腕が落ちましたなルシフォール殿下」

大柄で屈強なガイが振り下ろす剣は、まるで大木が上から降ってくるかのように重い。いつもであればそれを真正面から受けるような馬鹿な真似はしないのだが、今日のルシフォールは自身でも驚く程集中力に欠けていた。

ガイの言葉も最もであると、言い返す事はしない。そんなルシフォールに、彼は益々苛立った。

「殿下。いつの間にそんな腑抜けになってしまわれた。ただの訓練だからと手を抜いておられるのか」

「そういう、訳ではない…っ」

ガイは息一つ乱れていないというのに、ルシフォールは今にも膝をついてしまいそうだ。

暫くすると、ガイはとうとう剣を振るう手を止めてしまった。

「今日の殿下とは、これ以上剣を交える気がしませんな」

「すまない」

はぁはぁと肩で息をしながら、ルシフォールはアイスブルーの瞳を伏せる。その姿に、さすがのガイも憤りよりも心配の方が先に立つ。

「一体どうされたというのだ。何か悩み事があるのなら、このガイに話してみればよいのです」

「…」

「さぁ殿下。遠慮なさらず、この胸にドンと飛び込んできなさい」

筋骨隆々の中年男性の腕の中は何とも硬そうであると、ルシフォールは顔をしかめる。しかし彼は、ルシフォールと違い既婚者。少なくともその点で自分よりも経験値は高いのだろうと、ルシフォールは思った。

というよりも、ユリシスが執務で王宮を留守にしている今彼には話し相手がいなかった。

他の人間に打ち明ける気にはなれないが、ガイならばと思えるくらいにはルシフォールは彼の事を信用していたのだ。





二人は訓練場の端に腰を下ろし、未だに剣を合わせている騎士見習い達をただ見つめた。

今日の自分は彼から見ても不甲斐なかっただろうと思うと、ルシフォールは自身が情けなくなる。

ーーエリオット・ウィンシスがここにやってくるよ

ユリシスのたった一言に、これ程動揺させられるとは。

「それで?殿下は一体何をそんなに悩んでおられれのだ?」

「…ガイと奥方は、政略結婚だったのか?」

「ウチですか?まぁ、政略結婚かと言われればその通りですな。お互い、実家の繁栄と出世の為に結ばれた契約でしたな」

「そうか」

「まさか殿下からその様な質問をされる日が来ようとは。よもやあの噂は誠であったという事ですな」

ガイは丸太の様な腕を組み、感慨深げにうんうんと頷いた。この捻くれ者はきっと結婚する事もないだろうと、彼は思っていたからだ。

「結婚などそんなものでしょう。ましてや貴方はこの国の第三王子なのですから」

「そんな事は分かっている」

「ほほう。であれば気になるのはお相手の心情、といったところか」

「やけに楽しそうだな、ガイ」

「それは楽しいですとも」

ガッハッハと豪快に笑うガイを見て、ルシフォールは漸く自分が相談相手を間違えた事に気がついたのだった。

「始まりなど、どうだってよい事ではないですか。何事も重要なのは、その過程ですよ殿下」

ガイはドン、とルシフォールの肩に熊のように分厚い手を置いた。

「結婚は決して一人ではできない。ウジウジと悩んでいるよりも、私ならば相手との時間を大切にしますがね」

「…」

「幸せなど、人それぞれなのですよ殿下」

ガイの言葉に、ルシフォールはあの夜の彼女の寂しげな表情を思い浮かべたのだった。
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